第24話 温泉
お湯からゆっくりと立ち上がる湯気を突き抜けるように、ざぶざぶと温泉の隅まで歩いた。
僕と優馬くんは適当な岩場に背もたれて、肩まで湯に沈み込んだ。
全身が弛緩して、長い長い吐息が漏れ出る。カラカラのスポンジを水に浸けるように、湯の温かさやあらゆる効能が身体に染み込んでくる心地だった。
「ふぃ〜、まさかこっちで風呂に入れるとは思わなかったよなぁ」
優馬くんが温泉の湯で顔をこすってから空を見上げるように頭を縁岩に乗せた。
「森の中にいた時は、まさかこんな至福が味わえるとは考えもしなかったよね」
僕らの他に人はいなかった。
もっとも入ってきた時には何人かのエルフがいた。そのうちの一部は仰々しく土下座のように頭を下げてから、慌てて出て行った。お構いなく、と声はかけたが誰も聞いていなかった。
そして残りの何人かは僕らを睨みつけながら、「私、不快です」とでも示すように舌打ちをしてから、やはり出て行った。
両極端な対応に僕は困惑したが、鋼のハートを胸に備えている優馬くんは「貸切だな」と笑った。
「なぁ」と優馬くんが空を見上げたまま言う。「こういうときって、誰かが『女湯覗こうぜ』とか言い出すんだよな。アニメとかだと」
僕は岩壁に目を向けた。あの向こうが女湯である。僕らのレベルアップした身体能力ならば軽く乗り越えられそうな高さだ。
「普通に犯罪だよ。このご時世、アニメでだってそんな展開少ないんじゃない? ノリで女湯覗くのなんてひと昔前のラノべくらいでしょ」
「…………だよな。ああいうの良くないよな。俺もアレはどうかと思うぜ」
沈黙が訪れた。湯が流れる音に混じって、微かに岩壁の向こうから話声が聞こえる。何を話しているのかは分からないが、楽しそうな女性の声であることは分かった。
「なぁ」と優馬くんがまた口を開いた。
「何?」
「…………女湯覗こうぜ」
「この流れでよく提案できたね」
逆に感心してしまう。さすが鋼のハートの持ち主だ。
「やめておけ」と僕らは唐突に声を掛けられた。声の方に顔を向けると、僕らのいる温泉の縁岩の反対側にエルフの男が浸かっていた。
僕と優馬くんは、自分ら以外に誰かがいるとは思っていなかったから、びっくりして身体が跳ね、湯が音をたてて揺れた。
「お前、いつからそこにいた」と優馬くんが問うが、エルフはそれには答えず、代わりに自分の話を続ける。
「エルフってのは性的な目で見られるのに敏感でね。無遠慮な下心は特に軽蔑される」
「それエルフに限ったことじゃないと思うけど……」
女性全般そうだろう。まぁエルフは他の種族と比べて見目麗しいから余計にそうなのかもしれないが。
「エルフってのはね、話に横槍を入れられるのを最も嫌う」
「こいつめっちゃエルフを語るな。てか、それエルフっていうかお前がそうなだけだろ」と優馬くんがエルフの話を聞いて尚、横槍を入れた。
僕は元いた世界で、やたら「人間ってやつはな」と語る先生を思い出した。人間を語る割にはまだ20代の若手で、案の定生徒からはウザがられていた。
「ボクぁ、ヤンジャミン・スー。ヤン坊って呼んでくれ」と彼は優馬くんのツッコミを無視して自己紹介に移行した。さすが横槍を最も嫌うだけはある。
「自分で『坊』つけた呼び方すすめる人あんまりいないよね」
「坊っつっても、どうせうん千歳とかなんだろ」
「ボクぁこう見えてまだ673歳さ」
こう見えても何も、エルフは高齢エルフ以外全員20代くらいに見える。
だが、ペトラよりも年下と思うと、なんだか子供のような感じがしてくるから不思議だ。この人、子供のくせにエルフについて語っていたのか。
「エルフって性欲ないのか」と優馬くんがまたどうでも良いことを訊く。
「まぁ、ほとんどないね。ボクらは長寿だから生存本能とかが薄いのかもしれないな」
「ふーん」
その時、岩壁の向こうから、少し大きめの女の声が聞こえた。
——すごーい、おっぱいおっきぃ〜! 柔らか~い!
——んぅ、ちょ、やめてよぉ、もぉ。
僕らの間に気まずい空気が流れる。
ヤン坊を見ると、彼は顔を真っ赤にして口まで湯につかりブクブクやっていた。のぼせたのだろうか。
そして、ついにヤン坊は我慢の限界が来たのか、ざばぁ、と立ち上がった。ヤン坊に付属したヤン棒も立ち上がっていた。
「生存本能めっちゃ濃いな」と優馬くんが口走るので、「ちょっと! やめなよ」と僕が止めた。
やん坊はのぼせ上がった真っ赤な顔で「まぁ何にせよ、ボクぁ、キミらを歓迎するよコドク様方」と微笑み、脱衣所の方に向かった。
僕らも風呂から上がり、食堂に行くと、既にアミとペトラは着席していた。僕がアミの正面、優馬くんがペトラの正面に座った。
「おっそ。何ちんたら湯あみしてんのよ」
文句を垂れるアミは、おろした黒髪がまだ濡れていて、少し頬がピンクに染まっていた。いつもと違う雰囲気に、なんとなく僕はアミと目が合わせられなかった。
「お、温泉はのんびり浸かるものだから」
「はぁ? てか、なんで目逸らしてんの?」
「別に……」
不審そうに眉根を寄せるアミの目の前に、横からドカっと大きな魚の頭で飾られた舟盛りが置かれた。それを皮切りに次々と料理が運ばれてきて、テーブルを埋めていく。
「すごい品数だな」
「これが普段のエルフの食事量なの?」と僕がおそるおそる訊くと、ペトラは明るい笑顔でかぶりを振る。
「いえ、私たちは普段こんな豪華な食事取らないです」
「まじか? なんだか気を使わせちまったようだな」
「お気になさらず。コドク様に尽くすのが、私たちの使命ですから」
ペトラが金細工のように上品に輝く髪を耳にかけて、微笑む。
僕らはお言葉に甘えて、豪華な食事を楽しんだ。ここしばらく焼いたトカゲやら焼いた鹿やら、焼いた何かしか食べて来なかったから、魚や野菜が食べられるのはありがたい。新鮮な食材と、エルフの長い年月をかけて培われた調理技術の賜物に、僕らは舌鼓を打った。
「んぅ! コレ、んまぁ〜い」とアミは気に入ったものがあると、その都度、僕に「食べた? 食べてみ? 美味いよっ」と報告してきた。僕にも食べる順番というものがあるのだが、「早く! 早く食べて! ホント美味しいから!」と何故か急かされる。正直邪魔くさい。
わいわいと騒がしく食事をしていると、厨房らしき出入口から一人の女エルフがこちらに歩いてくるのが見えた。
「おやまぁ、あんたらがコドク様方かい? イメージと違うね。もっとゴッツイのを想像してたよ」
おばさんのような口調なのに見た目は見目麗しい緑髪の美女だから、自分の頭がバグったのかと心配になる。
「あたしゃ料理長のソケリだよ。どうだい? あたしらの料理は? 美味いだろ?」
ソケリさんが白い歯を見せて豪快に笑う。皆ソケリさんに顔を向ける中、アミだけは食べるのに夢中で見向きもしない。
そんなアミを見てソケリさんは大きな口をあけて笑う。
「なっはははは、良い食べっぷりだね、あんた! そういうの好きだよ、あたしゃ!」
アミは眉を顰めた迷惑そうな視線をソケリさんに向けるが、その口からは海老の尻尾が飛び出ている。
「美味いっす」と優馬くんがアミに代わって言う。「特にこのスープ」
「そうだろ? それは山で取れたキノコを丸一日煮込んでだね——」
「——ソケリおばさん! コドク様方、困ってるよぅ。料理の話はいいから、あっち行ってて」
ペトラが眉を八の字に曲げてソケリさんを追いやる。
「なんだい。冷たい子だねぇ」
ソケリさんが口を尖らせて言った。ちょうどその時、コック服のエルフがソケリさんの元まで小走りで寄ってきた。
「料理長。そろそろ、ユーシャさん達の料理できるんで、確認お願いできますか?」
「おや、もうそんな時間かい。はー、やれやれ。今行くから待ってな」
ソケリさんは肩を自分で揉みながら、「コドク様方が来られたってのに、挨拶も満足にできないとはね」とため息をつく。
そして、続けて「あっちの子達はワガママだから面倒なのよね」とボヤきながら厨房に去っていった。
「あっちの子達って誰だ?」と優馬くんが僕に小声で訊く。
「さぁ。僕ら以外にも客人がいるみたいだね」
ペトラを見ると、目が泳ぎ、あたふたと首をあちこちに巡らせていた。明らかに動揺している。
そして唐突に、
「み、皆さん! もう食べましたか? 食べましたよね? ではもう行きましょう!」
と、立ち上がった。
「あたしまだ食べてんだけど」とアミが言う。というか、いつまで食べてんだ。アミのちっこくて華奢な身体のどこにそんなに食べ物が入るというのか。
ペトラは落ち着きなく、食堂の出入口に何度も顔を向け、また時計らしき魔道具にも忙しなく視線を合わせていた。
そして、そう間をあけず、その来訪者はやってきた。
「やぁ来たよ。予定の人数より2人増えたけど、問題ないよね? あ、窓側の席ね」
金髪の優男が入ってくるなり、ウェイターのエルフに尊大な態度で声をかけた。優男に続いて、大柄の男、露出度の高い衣服を纏った女、神官っぽい女と続々と食堂に入ってきた。
その男2女2の集団を見て、ペトラは顔を青くした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます