第23話 ペトラ


 エルフの里は、意外にも木造だけでなく、石造りの建物も多かった。

 樹の中が建物となっているようなイメージだったが、普通にレンガ造りや、木を切り出して組み上げた木造が主だった建築手法であり、地面は石畳で歩きやすく整備され、中世ヨーロッパのように公道に汚物が捨てられていることもない。


 この様子なら、おそらく下水設備も整っているだろう、と僕はひとまず胸をなでおろした。糞尿が垂れ流された村で、疫病にでもかかったら、厄介だ。病院のないこの世界では、まず助からないだろう。この世界の医者は多分当てにならないだろうし、転移してきた高校生の中に医者などいるはずもない。

 

 道行くエルフは美男美女揃いであり、誰もかれもが奇異の目を僕らに向けていた。期待、怒り、恐怖、尊敬、様々な感情がその整った二重まぶたの奥にうつる。なんとなく居心地が悪く、僕は視線を伏せて歩いた。

 

「ここです」

 

 と先ほどの老齢エルフ、里長のミジャールさんが足を止めた。

 その屋敷を見上げて僕は思わず感嘆の息が漏れた。平屋ではあるが、その敷地はおそろしく広い。昔の——たとえば江戸時代とかの——お屋敷のような造りで、部屋と部屋の間を廊下が渡り、いくつも連なっている。

 廊下を歩きながら、開け放たれた部屋を見る限りでは畳間ではなく全て板間のようだ。


 里長について廊下を歩く中、僕は奇妙な部屋を見た。

 開け放たれたその部屋は、奥に長細い造りだった。扉は1つしか見当たらず、開いた扉付近はある程度は明かりが差したが、奥は暗い。その暗闇の最奥で、赤くぼんやりと光る玉が宙に浮くように見えた。空気に滲むような赤が目を惹いた。

 よくみると、宙に浮いているのではなく、神棚のような立派な台座に鎮座しているようだった。

 

「あれですか」と唐突に僕の耳の後ろで脈絡なく里長が声を出す。

「ひゃいぃい!」と変な声が漏れた。心臓が跳ね上がる。


 隣でアミが頬を膨らまし顔を赤くして笑いを堪えているのを見て、変な汗が出た。顔が熱い。

 

「なんか光ってるな」と優馬くんが話を逸らしてくれる。優しい。

 ——と思ったら、真顔でボソッと 「......ひゃいぃい」と優馬くんが呟いた。アミが、ぶふぅ! と噴き出し、顔を両手で覆って笑いを押し殺し震えていた。殴りたい。

 

「あれは鑑定石です」と里長が言う。「あれに魔道具をかざして魔力を流すと、その魔道具がどういった物か、というのが情報として頭に流れ込んでくるのです」

「なんだそれ。凄すぎないか? どういう仕組みなんだ」


 優馬くんが両方の眉を上げて感嘆する。


「私どもに理解できる代物ではありません。昔、皆さまとはまた別のコドク様がお作りになられたのです。そのコドク様はジョブが錬金術師だ、とおっしゃっておりました」

 

 コドク、というのはどうやら転移者のことらしい。彼の話が本当であるならば、僕らが最初の転移者という訳ではなく、もっとずっと以前から絶えず転移者がこの地に送られていることになる。

 だが、そうなると一つの事実が浮き上がる。

 

 ——遥か昔から現在まで魔王は未だ倒されていない。

 

 誰も成し得なかった偉業の達成を、僕らは背負わされている。

 過去の転移者たちはいったいどうしたのだろうか。魔王に挑んで殺されたのか。あるいは、戦うことを諦め、この島で死ぬまで過ごしたのか。

 いずれにせよ、二度と元の世界には戻れなかったのは確かだ。そして、今僕らも同じ選択肢を迫られ、同じ結末を辿ろうとしている。

 考え込んでいたら、いつの間にか目的の場所に着いていた。

 

「この部屋を皆さまでお使いください」

 

 正方形を縦横に分割するように板引戸で繋がった4つの部屋に案内された。1つの部屋が20帖くらいはあろうかという広さだ。1人1部屋使って良いらしい。

 

「世話役として、この子を置いていきます」と里長は僕らの後ろから付いて来ていた金髪の女エルフを手招きした。「私の娘です」

 彼女はぺこり、と頭を下げてから「ペトラです。何なりとお申し付けください」と微笑んだ。

「無言でついて来るから侍女か何かかと思った」とアミが失礼なことを言う。

 

 しかし、ペトラは人懐こい笑みを崩さず、「はい。皆さまにお仕えする侍女と思っていただいて構いませんよ」と肯いた。

 

 こんな美人が世話を焼いてくれるなんて、なんという好待遇だ。泥水をすするようなサバイバルから一転して天国にやってきた気分だった。

 ふわふわした心地でいると、唐突に頬っぺたに痛みが走る。アミが僕の類を摘まんで引っ張り上げていた。

 

「何、鼻の穴膨らましてんのよ、この変態! ゲス!」

「痛い痛い痛い、ふ、膨らましてないから!」


 里長がペトラの肩に手を乗せて言う。

 

「ペトラはまだ850歳ですが、とても賢く優秀な子です」と里長が言うと、「やだ、パパ。私もう903歳よ」とペトラが少し恥ずかしそうにした。

 

「歳を50歳分、間違えられる人初めて見た」

「きっとエルフにとっては誤差の範囲内なんだろ」

 

「それに」と里長は続けた。「それにペトラはある意味皆さんに一番近い存在でもあります」

「え、どういうことですか」

 

 僕が里長に訊ねると、里長ではなくペトラが答えた。

 

「私、ハーフエルフなんです。人間——コドク様とエルフの」

「えぇ?!」「まじか?!」


 僕と優馬くんの声が重なる。

 

「はい。母が皆さんが言うところの『テンイシャ』だったんです」

 

 驚いた。だが、考えてもみれば、然程おかしなことでもないのか。魔王に挑むのを諦め、この世界で生きていくことを決めたのなら、この世界の者と結ばれることだってあっただろう。

 

「その……お母さんはどうなったんですか?」

「母は私を生んだ時に死にました」


 特段気にした様子もなくペトラはあっけらかんと答えた。

 

 しまった、とすぐに僕は頭を下げる。「す、すみません」

 僕が不僕な質問を詫びると、里長が「人間ですから早くに亡くなるのは仕方のないことです」と首を小さく左右に振って答えた。


 さて、と暗い話を区切るように里長が言う。


「皆さん、お疲れでしょう。もう少しで夕食の準備もできると思いますので、それまでごゆるりとおくつろぎください」

「あ、もォ、パパぁ! それ私のセリフ!」


 ペトラが頬を膨らませる。少しあざといその仕草も美人のエルフがやると非常に扇情的である。端的に言えば、可愛い。

 アミが鋭い眼光を僕に向けているのに気付き、僕は鼻に触れて膨らんでいないか確認する。大丈夫膨らんでない。

 

「いやぁ、すまんすまん」と里長が娘とじゃれる父の顔になる。それから「あ、皆さん。温泉もあるので、よかったらご堪能ください」といたずらっ子のようなお茶目な顔で、また僕らに告げた。そしてチラチラと娘の反応を窺っていた。

 

「パパぁ!」

 

 先ほどの落ち着いた声が嘘のように、ペトラは10代の少女じみた声を上げた。

 公私の差が激しい親子である。

 




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