第21話 お祝い


 何も起こらない平和な草原で、唐突に優馬くんが再び叫び声を上げた。


「止まれ! つなぐ、止まれェ!」


 地形上、なだらかな丘のように少し上がっており、丘上の先は僕からは何も見えない。見えなくて当然だ。おそらく優馬くんは感知系のスキルでも使っているのだろう。

 それにしても、前回と比べて優馬くんの声は妙に逼迫した声色だった。僕は不審に思いながら優馬くんの言葉に従い、ロアに指示を出した。


「ロア、止まれ」


 しかし、ここでもロアは嬉しそうな荒い息遣いで、一心不乱に突き進んでいた。完全にアホの子である。

 そして、丘上から飛び降りると、僕にもその人影が見えた。

 相手は一人。およそこの世の者とは思えない麗しい空色の髪をそよ風になびかせ、彼女は薄く微笑んでいた。

 そして片腕を前に突き出し、手のひらをロアに向けた。


「止まれ! ロア!」


 血相を変えた僕の叫びは、ようやくロアに届いた。ロアは足を踏ん張り、ジタバタと動かして、女にぶつかるすんでのところでなんとか止まった。

 女——エリーは手を引っ込めて、セーフ、と両手を左右に振った。


「危なかったね」エリーは言う。

「す、すみません。危うくひいちゃうところでした」と僕が頭を下げると、エリーは「違う違う」とかぶりを振った。

「危なかったのはそのワンちゃんだよ。それ個体召喚でしょ? 個体召喚は一度死ぬと2度と召喚できないから気をつけてね」


 ごくり、と唾を飲み込む。エリーが嘘を言っているようには思えなかった。あと数センチ止まるのが遅かったら——。想像して、肝が冷えた。


「私だってそりゃ自分の命が大切だからさ。正当防衛だよ。何もしなければ、こっちから手を出す気はないから安心して?」


 エリーがにっこりと笑う。


「女神様!」


 優馬くんがウィンドウルフから降りて、片膝をつき、敬服の意を示した。

 

「あはは、別にそんなことしなくていいよ」と彼女は笑う。


 僕はエリーを見て、妙な違和感を抱いていた。森で会った時と何かが違うような気がするのだ。だが、それが何か、ということまでは分からない。


「お久しぶりです! 森で会って以来ですね!」と相合を崩す優馬くんは、なんとなくいつもの5割増しでハキハキと喋っていた。

「そうだね。キミも元気そうで何よりだよ。ところでお仲間は——」


 エリーが言葉を止めると、優馬くんは目を伏せて眉根を寄せて首を左右に振った。お仲間、とは僕らに会う前の仲間、ということだと気付き、ズキッと胸が痛む。

 エリーは悲しそうに眉を下げた。


「そっか……。残念でならないよ。彼らの分もキミたちには是非がんばってもらいたいな」

「はい。もちろんそのつもりです。俺が必ず魔王を倒してみせます」


 鋭い眼光で優馬くんが1歩エリーに歩み寄る。男の僕から見ても優馬くんは男前だった。おまけにリーダーシップに富んで、面倒見が良く、性格も良い。元の世界ではさぞかしモテたことだろう。


「うん。ありがとう。町田優馬くん。期待してるよ」


 エリーの柔らかい笑みに、優馬くんは目を少し見開き、口角がやや上がっていた。


「アンタ何しに来たわけ?」


 空気の読めないアミが遠慮のない物言いで割って入る。優馬くんが非難がましくアミに顔を向けた。が、アミは優馬くんには一瞥もくれずに白けた顔でエリを見ていた。

 

 エリーは質問には答えず、代わりに「キミはつなぐくんの召喚体だね。私はエリー。よろしく」と腕を差し出した。

 ところがアミは「得体の知れない奴と握手するなってご主人たまに言われてるから」と肩をすくめる。

「言ってないし。てかご主人たま言うな」

  僕の言葉はアミの耳には入らなかったようで、アミは「で、何のよう?」と質問を重ねた。

 

「お祝いだよ」


 エリーはそう告げてから、ペチペチと可愛らしく手を打ち鳴らして「おめでとォ〜」と気の抜けるような声を出した。

 

「……何がだし」アミの眼光がより鋭くエリーを突き刺す。

「森を抜けたお祝い。すごいね! キミたち実はかなり条件が悪い転移先だったんだけど、見事クリアです」


 やっぱりか、という思いが湧き上がった。全員があの森から始まるのならば、ほとんどの生徒は死に絶えているだろうな、と僕は考えていた。あの環境の過酷さの上に出口はループし、脱出にはゴーレムを倒さなければならない。難易度が高すぎるのだ。

 だが、森から始まったのはごく一部だけだと、今エリーの口から明かされた。不公平さに少し不愉快な気持ち生じる。


「そんな顔しないの。前にも言ったでしょ? 世の中は平等ではないのだよ。その代わりにキミには尋常じゃない魔力が元からあったわけだし——」


 エリーが歩きながら僕の頬に触れ、次に優馬くんに触れる。


「——キミには、ずば抜けた身体能力と剣技があった。そういった意味ではキミたちは有利でもある」

「あたしにはこの美貌があるしね」とアミが自分の頬に片手を当てて言う。

「……そうだね」とエリーもテキトーに合わせた。多分対応が面倒くさくなったのだと思う。


「だけど」とエリーは目を細める。「今のままだと何年——いや何十年経っても魔王は倒せないよ」

「な……ッ! それは本当ですか?!」優馬くんが目を見開く。

「ホントだよ。嘘つく意味もないし」


 信じたくない情報だった。これまでの戦いで、僕らはかなりレベルアップした。それも10、20といった程度ではない。100、200単位で上がった。正直、もう僕らに叶う魔物はいないかも知れない、という傲りさえ生じていた程だ。多分ゴーレムともう一度戦っても今なら割と楽に勝てるのではなかろうか。

 だが、魔王はさらにはるか上を行くらしい。


「さて、なんか余計な情報漏らしちゃった気もするけど」とエリーは前置きしてから、本題に入る。「恒例の質問コーナーだよ。例によって、慈悲深き女神エリーが1つだけ質問に答えてあげるよ」


 エリーがウインクした。隣で優馬くんがごくり、と唾を下す音が聞こえた。目にハートでも植えたら今の優馬くんの状況をぴったり表す外見になることだろう。

 とにかく彼は今冷静じゃない。下手したらエリーのスリーサイズとかを聞き出しかねないレベルだ。

 僕は優馬くんが何かを口走る前に、と慌てて質問を飛ばした。


「どうしたら魔王に勝てる?」


 口にしてから自分でも意外で驚いた。僕は魔王と戦うつもりがない。誰かが魔王を倒すまでどこかで平和に暮らす腹積りだったのだ。

 それなのに何故魔王に勝つ方法を欲する? まるで自分の中の誰かが居ても立っても居られずに口走ったような感覚だった。

 

「プレイヤーキル」


 と、エリーは答えた。

 意味を悟ったのは僕と優馬くんだけで、アミは眉間に皺を寄せて首を傾げていた。


「魔物とは比べ物にならない量の経験値を得る方法がプレイヤーキルだよ。相手のレベルが高ければ高いほど多くの経験値を得られる。そして、この世界ではレベル——言い換えれば経験値が全てなんだよ」

「で、でも、人を殺さなくたって魔物を大量に狩れば——」


 僕は溺れるような思いで口を挟むが、それをエリーは手を伸ばして制した。

 彼女の魅惑的な唇が艶めかしく上下に動く。


「この際だからはっきり言うよ——」


 聞きたくない。

 だけど、聞かなければならない。僕がもし、万が一、魔王と戦う未来が来るのであれば、僕は備えなければならない。それがどんなに非道で、非人道的な行いであろうと。

 祈るように、僕はエリーの言葉に耳を傾ける。

 どうか、ハズレであってくれ。頼む。

 エリーの口から審判が下る。


「——人を殺さなければ魔王には敵わないよ」

 

 

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