第18話 後悔
洞窟の鍾乳洞の間を夜風が通った。
不規則だが単調な水滴の音がどこからか聞こえる。湿った土の匂いと、僕の頬に触れて流れていく爽やかな風は、心に安寧をもたらしてくれる。異世界に来て初めてこんなに穏やかな時間を過ごす気がした。
僕は洞窟の岩壁にもたれて、淡く輝く月を見上げていた。アミと町田くんは洞窟の奥で眠りについている。
僕が夜番を買って出たのだ。どのみち今日は眠れそうになかった。昼間の死闘がふとした瞬間にフラッシュバックして、少し鼓動が速まる。
今回こそ死を覚悟したが、また生き延びた。生き延びてしまった。
僕に死ぬ勇気はない。だけど、戦闘から運良く生き残る度に、新里さんの顔が頭に掠めた。僕は新里さんを消した——殺したのに、僕だけまんまと生き延びて良いのだろうか。
考えるだけ無駄か、と天に向けていた視線が地に落ちる。岩壁の
このミミズは自らの意思で地表に出てきたのだろうか。その結果の死であるならば、それは立派な最後と言えよう。少なくとも僕よりは。
僕は死を選ぶことはできない。誰かの経験値と化すこともできない。かと言って魔王に挑むこともしない。腰抜けの腑抜けだ。
今となっては別にどうしても生きたい訳ではなかった。ただ死にたくないのだ。後ろ向きな生への執着が、僕の心のどこかにあるはずの勇気を蝕んでいるのかもしれない。
地に目を伏せて、ぼんやりしていると、洞窟の奥の方からのそのそと華奢な影が近づいて来た。
そして僕の隣に腰を下ろし、眠そうな目を擦ってあくびをした。
「どしたの、アミ」
「……別に。眠れないだけ」アミは明らかに嘘と分かる言葉を吐いてから、「寒い」と呟いて、僕の肩にもたれて来た。
お馴染みのツインテールではなく、今は下ろしている艶やかな黒髪が頬に当たる。お互い風呂に入れていないから体臭が酷いはずだが、不思議と不快感はなかった。
アミと重なる部分だけ、温かい。
半分閉じかけているアミの瞼と長いまつ毛を見つめながら、僕はやっぱり新里さんを思い出していた。彼女も温かかった。新里さんを背負っている間は、僕は一人じゃない、と安心感に浸れた。
僕は彼女を助けようとしていたようで、助けられていたのは実は僕なのだ。
本当は救いたかった。あるいは一緒に死ぬべきだった。それなのに——。
ねぇ、と肩の上で少し勝気で、しかもどこか幼さを含んだ声が上がった。聞き慣れた声。アミの声。
「あたしに融合された人——新里だっけ?」とアミが訊くので「うん」と肯くと、アミはぷい、と視線を僕から逸らし、少し口を尖らせた。そして言う。
「……その人……のこと、好き……だったの?」
唐突に向けられた頓珍漢な質問に、一瞬思考が止まる。それから僕は、訳の分からない質問に首を傾げながらも、一応答えた。
「いや、好きとか、そういうのは考えたことなかったけど」
「……嘘」とアミが呟く。
「はぁ?」
なんで僕はこんな訳の分からないことで疑われているのだろう。嘘をつく必要性が皆無ではないか。
「なら、なんで時々あたしのこと見て悲しそうな顔してんのよ」
「は、はぁ? してないし」
「してる。あたしが気付いてないとでも思ったわけ?」
なんでこいつ怒ってんだよ、と僕も段々と苛立ちがつのるが、アミに新里さんを重ねて見ていたのは事実だった。
「……別に好きとかじゃない。ただ、新里さんを忘れることは絶対にできない。僕には責任があるから」
「責任?」
「…………新里さんを殺して……自分のために利用した責任だよ」
アミはため息をつき、それから僕を見つめる。先程より幾分優しい口調で彼女は言う。「あたしを召喚したこと、後悔してる?」
アミの赤い瞳に僕が写っていた。アミはじっと僕を見つめ続けた。だから僕もアミの視線を正面から真っ直ぐに受け止めた。
「してないよ」
アミはすぐには言葉を発しなかった。嘘であることは、彼女にも伝わってしまっただろう。
アミはよく頑張ってくれている。だけど、僕はやはりあの時、新里さんと一緒に死ぬべきだった。誰も手にかけることなく、普通の人間——高校生らしく、人生を終えるべきだった。
アミはしばらく僕の目を見続けてから、「そ」と視線を僕から外して、また僕の肩に頭を乗せた。
気まずい沈黙の中、アミの匂いに包まれながら、僕はまた夜の空を見上げた。満月には薄黒い雲がかかっていた。
「召喚体は、元になった者の心を引き継ぐ」唐突にアミが言った。「その意味をよく考えて」
それっきり、アミはまた黙って僕で暖をとった。
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