第16話 一押し
朽ち果てた祭壇の上にトカゲが飛び出して止まり、辺りを見回して、また止まった。
祭壇を挟んで向こう側から来る巨大な機械人形は無機質な殺意を纏っている。まるで僕らに逃げるという選択肢がないことを理解しているかのようなゆっくりとした足取りで、血のように赤い三つ目は不気味に光っている。
トカゲはいつの間にか祭壇から消えていた。
やってやる。その思いは身体を無意味に固くする。ごくり、と唾を飲み下し、手のひらの汗を握りしめた。
祭壇の向こうのゴーレムを睨みつける。まるで失敗の許されない重大な儀式を控える祭司のような気になってくる。あるいは禁忌の儀式の生贄にされるような心地だ。底知れぬ恐怖と不安から逃れたくて、僕はアミの顔を見た。
「ぷっ、なんて顔してんのよ」とアミが吹き出す。
僕が言い返す余裕もなく、黙っていると、甘噛みするように優しく頬っぺたを摘まれた。
「ばーか、気負い過ぎよ。そんな緊張すんなし。失敗したら一緒に死んであげるから」
「……それで安心できると思う?」
あはは、とアミが楽しそうに笑った。「ま、大丈夫よ。いざとなったらあたしが魔法で守ってあげる」
だから頑張りなよ、と背中を叩かれた。それからアミは手をひらひら振って、決まった配置箇所——僕と町田くんの後方——に小走りで駆けて行った。
自分の情けなさが後になって僕を蝕み、肩が縮こまり、顔が火照った。額に汗がじんわり滲む。女の子に励まされた上に、守ってもらうなんて……。
「愛されてんな」と町田くんがニヤニヤと
僕は、それには答えず、俯いて前髪で顔を隠す。
しかし、
「そろそろゴブリンの行列出してくれ」
「え、でもゴーレムと僕らを結んだ直線上にトラップがあるんだから何もしなくても引っ掛かるんじゃない?」
「いや、遠距離魔法を撃たれて散り散りにされたら収拾がつかない。奴に考える余裕を与えないようにするんだ」
そもそも奴に物を考えることができるのかは分からんがな、と町田くんは苦笑する。
僕は頷きながら召喚を行使した。次々と現れるゴブリンは誰も彼もフルプレートでがっちりと防具で固められた鉄塊のような姿で、3列に並び、ゴーレムに突撃していった。
やられる為に召喚された彼らは文句の一つも言うことなく、粛々と行進する。少し胸が痛む。
ゴーレムは予定通りゴブリン達をトマトのように叩き潰したり、薙ぎ払ったりして蹂躙しながら少しずつ前進した。
「よし、もう少しだ。繋、アイツを怒らせろ!」
「怒らせろ、ったって、どうやって?」
町田くんと並んでお尻を突き出してぺんぺんするイメージが浮かび、即座に、それはない、と掻き消す。
「狼だ。死角から狼を消しかけて挑発しろ」
「わ、分かった!」
ブラッドウルフは召喚されるや否や、ゴブリンの列の左右2手に分かれて駆け出した。
ゴブリンを相手にしているゴーレムの、その脇の下からブラッドウルフが鋭い牙を剥いて飛びつく。噛みついた僅か1、2秒後には攻撃を受けて絶命するが、それでもブラッドウルフは次々と特攻した。
「いいぞ! 少しずつだが、ダメージが入ってる!」
「こ、このままだと僕の魔力が保たないよ!」
僕の中の膨大だった魔力は底をつきつつあった。もう何百体召喚したかも分からない。
「もう少しだ! 頑張れ、繋!」
町田くんが拳を握り、希望を見出した時だった。ゴーレムは、ゴブリンとブラッドウルフを葬りながら、赤い三つ目の瞳がギョロり、動いた。
全身の産毛が逆立つような寒々とした気配を感じ、僕は本能的に命の危機を悟った。ゴーレムの殺意の焦点は僕に合わさっている。
力を溜めるようにゴーレムが屈んだ。ブラッドウルフが腕に噛み付き、ゴブリンが斬撃を浴びせる。
「待て。様子がおかしい!」町田くんが勢いよく身を乗り出し、瞳を揺らしながらより一層注意深く観察する。彼の顎から汗が滴り落ちる。
叫んだのはアミだった。「繋! やばい! もっと攻撃させて! 早く! アイツ——」
アミが言い切る前に、ゴーレムは動いた。召喚体の攻撃を歯牙にもかけず、大きく跳び上がったのだ。
噛みついたブラッドウルフを引き連れて、ゴーレムは高く跳躍し、僕は何も言葉を発せぬまま、気が付いたら耳をつんざく地響きと共に、目の前に奴がいた。
「嘘……だろ……」
即死トラップはゴーレムの背後。跳び越えられてしまった。これで自分らを囮に罠にかける作戦は使えなくなった。
奴を引き離して再びトラップを挟んだ位置に移動するのは、移動速度的にも体力的にも、不可能だ。
終わった。視界が歪み、ぼやけ始める。
「まだだ」と隣で抜剣する鋭い音が響いた。「まだ終わりじゃない。斬れなくたって衝撃は与えられる」
町田くんの闘志に満ちた声に、再び視界が明瞭さを取り戻す。彼は斬撃でゴーレムを押してトラップを踏ませるつもりなのだ。
能力向上、と町田くんが唱えて剣を構えた。
そうだ。僕が匙を投げれば、町田くんも——アミも、死ぬことになる。
そんなのダメだ!
無意識のうちに、腰の剣を抜いていた。
僕が、僕の命を諦めるのは良い。だが、アミと町田くんの命を僕が勝手に諦めるな!
1人では不可能でも……3人なら——。
「あああああああ!」と雄叫びをあげながら僕はゴーレムに斬りかかった。
ガギィ、と金属を削る音と共にゴーレムの肩に沿って刃が流される。大したダメージは与えられない。奴の反撃の腕が迫る。
目の前で金属を思い切り打ち付ける音が響いた。町田くんの剣が、僕に迫るゴーレムの腕を弾いていた。
もう一度、今度は一文字に僕はゴーレムの胴に剣撃を入れた。芯の詰まった鈍い金属音がまた打ち鳴らされる。鉱石を掘り起こす坑夫のように、剣が大きく弾かれた。手が痺れる。ゴーレムはよろめき1歩下がった。
「まだまだァ!」と今度は町田くんがゴーレムの首に斬り込んだ。相変わらず斬れはしない。だが、すかさず町田くんの蹴りがゴーレムの腹に入る。奴はさらに2歩後ろに下がる。
僕が斬り、町田くんが奴の攻撃を打ち落とし、町田くんが斬り、僕が奴の攻撃を受け流す。
一撃でもまともに受ければ終わる。重い攻撃を掻い潜りながら、1歩、また1歩とゴーレムを後退させて行く。こんな綱渡りな状況、そう長くは保たない。
だが、あと少し! 気付けばアミの付けた焼き跡の目印はゴーレムのすぐ後ろにあった。
あと1歩だ! あと1歩で奴を即死トラップに突き落とすことができる。
「これで終わりだァ!」
町田くんがトドメの一撃を繰り出そうとした瞬間。
ゴーレムが、キィィィェェエエエ、と超音波のような鋭い高音を発した。僕と町田くんの動きが止まる。
即座に耳を塞ぎたいのに、身体が思ったように動かなかった。動けない訳ではない。ただ異様に身体が重い。まるで重力が何倍もかかる星にやってきたような鈍重さだった。立っているだけでも精一杯で、とても攻撃あるいは撤退できるような状況ではない。
「デバフ魔法……」と町田くんが呟く。どこか諦念の混じった声だった。町田くんの闘志の灯火が消えようとしている。
ゴーレムが腕を振り上げた。僕の上に4本の腕の影ができる。今度こそ……本当に、終わりだ。
ゴーレムの腕が僕に振り下ろされようとした時、突如それは起こった。ゴーレムの顔面に一瞬、光る線が走り、直後盛大な炎が上がった。
目の前で燃え上がる炎に照らされて、頬が温かい空気に触れる。燃え上がった炎の光がいつまでも目に焼き付くように残った。
——アミの魔法だ!
仰け反るような体勢のゴーレムは、しかし、まだ最後の1歩を踏み抜かない。僕と町田くんは身体が重くて満足に攻撃できない。
あと一撃。最後の一撃なのに! アミは、と視線を向けると苦しそうに地にへたっていた。魔力切れだ。
何か! 何かないか! 何でも良い! あと一押し。最後の一押しで全て終わりにできるのに!
そう思った瞬間、僕と町田くんの間を風が抜けた。
——いや、違う。ブラッドウルフだ。ゴーレムが跳ぶ前にいた地点から戻ったブラッドウルフがゴーレムに突進する。それを皮切りに2頭、3頭と僕らの横を駆け抜け、次々と体当たりし始めた。遅れてゴブリンの軍団が列になってゴーレムになだれ込んで行く。
ゴーレムは流石に踏ん張りきれず、2歩3歩と後ろによろめいた。
地に隠されていた魔法陣の赤黒い不気味な色が浮かび上がった。ゴーレムはもはやそこから1歩も動くことは叶わない。
そこは既に魔法陣の中だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます