第10話 ループ


 森の中にそびえたつ断崖。その行く手を阻む大きな崖に、ひっそりと穴があった。

 20メートル程で行き止まりに突き当たるため、洞窟と呼ぶにはあまりに浅い造りだが、寝床にするには十分だ。

 入り口には大きな落とし穴が掘られ、落とし穴の底には太く鋭い尖った枝が上向きに配置してある。侵入者対策だと町田くんは言った。

 その落とし穴から、更に20メートル程行ったところに、日中を過ごす生活エリアが広がっていた。木で枠を建て、そこから蔓や大きな葉で緑の天井が作られている。

 

 生活エリアの簡易な木の椅子の上にアミはあぐらをかいて座り、八重歯の覗く小さな口でカプッと肉にかぶりついた。良く焼いた鹿肉だ。町田くんが昨日獲ったという。

 アミは少し目を見開き、潤んだ瞳に気力が灯る。そして、また肉にかぶりつく。がぶがぶ、と更に続けて口いっぱいになるまで頬張っていた。どうやら気に入ったようだ。ここまで碌なものを食べていないから、無理もない。魔人も人並みに腹は減るらしい。

 

 僕も一口齧りついて、目を瞑ってゆっくりと咀嚼し、ごくん、と嚥下する。正直少し獣臭いし、調味料もないから味も薄い。なのに、これまで食べたどんな肉よりも美味く感じた。じんわりと自分の中に栄養素が溶け込んで来るような気がして、あまりの感動に少し眩暈すらした。自分の目が涙ぐむのを感じる。

 不意に、ははは、と町田くんが笑う声が聞こえて顔を上げると、彼はこちらを見て嬉しそうに微笑んでいた。


「肉ならまだある。存分に食え」


 羞恥に顔を俯けてこっそりワイシャツの袖で涙を拭った。

 だけど、空腹には耐えられず、僕とアミは無遠慮にひたすら鹿肉を貪り食った。

 ひと通り目の前の肉を食べきってから、アミは油の付いた唇にペロリと舌を沿わし、「まぁまぁね。次はもっと濃い目の味付けでよろ」と宣った。

 僕はアミの頭をはたいてから、「ありがとう」と町田くんに告げた。アミが僕の足を蹴ってきたが、そんなものは無視だ。


「礼には及ばない。鹿なら獲るのも簡単だ」

「肉のことだけじゃないよ。狼の群れに襲われてた時、町田くんが来てくれなかったらヤバかった」

「あたしは別に大丈夫だったけど」アミが腕組をして、顎をあげる。

「アミだってへばってたじゃないか」

「へばってないし。様子を覗っていただけだし」


 言い争う僕とアミに、町田くんが割って入った。


「言っただろ。俺だって打算無しに助けた訳じゃない。実はお前らに頼みたいことがあったんだ」


 町田くんがそう言った直後、アミが立ち上がり叫ぶ。「断ーる!」

「話も聞いてないのに」僕はアミを座らせようとするが、彼女は僕の手を振り払った。

「あたしたちは寄り道してる場合じゃないでしょ! 一刻も早くこの森から出ないと! もう近寄ってくる虫を燃やそうとして更に虫の大群を引き寄せちゃうなんて事態になるのは嫌なの!」

「アミはもう少し考えて行動しないと森から出ても同じことだよ」

「あぁん? あたしのことバカだって言いたいの?」


 まさにそう言いたかったのだが、僕がそう告げる前に、まぁまぁまぁ、待て待て待て、とまたも町田くんが僕らを仲裁する。出会ったばかりなのに、仲裁役が堂に入っている。


「お前らの言い分は分かった。だが、これはお前らにとっても悪い話じゃない。というか、結局は俺と同じ問題にぶち当たる」町田くんが人差し指を僕に向けて言う。

「何がよ。もったいつけてないで、とっとと言えし」


 また失礼な態度をとるアミをたしなめようと僕が顔を横に向けた時、町田くんが構わず言った。


「ゴーレムだよ」

「ゴーレム?」

「ああ。といっても俺らが、勝手にそう呼んでいるだけなんだがな。ここから20キロ程、南に行くと遺跡地帯があるんだが、そこにいるんだ」

「なによ。まさか、そのゴーレムを一緒に倒してください、って話なわけ?」


 アミが面倒ごとは御免、とばかりに眉間に皺を寄せた。

 そのまさかだ、と町田くんが申し訳なさそうにして、顔を歪めた。


「強いの?」


 町田くんの強さは狼戦で間近で見たから知っている。その町田くんが倒せないのだ。強いに決まっている。それなのに、僕は聞かずにはいられなかった。いったいどれだけ強いというのか。興味半分、恐怖半分、といったところだった。


「強い。相当な。俺の仲間もそいつに殺された。あいつらのためにも、俺はこのまま黙って引き下がるわけにはいかない」


 町田くんは鋭い眼光で睨みつけるように宙を見た。

 目の前で仲間が死ぬのを見たのだ。平気なはずがない。気丈に振る舞っていても、胸中では耐え難い苦悩が蔓延しているに違いなかった。そして僕にもその気持ちは痛いほど分かる。

 新里さんを消した——殺したときの記憶が僕の心をぐちゃぐちゃに斬り刻む。


「いや知らないし」と遠慮のないアミの声が隣から上がり、僕はハッと我に返った。

「自分で殺りなさいよ」とアミが吐き捨てる。「そのゴーレムを倒したってあたし達には1ミリもメリットがないじゃん」


 町田くんは口角を片方上げて意味ありげに笑った。


「ところが、そうじゃないんだな」

「その勿体つける話し方やめろし」


 アミが悪態をつくが、町田くんは意に介さず、説明を続ける。


「俺たちはこの森を、ここから西に20キロ、南に100キロ、東には200キロずつくらいは進んだ。体感だがな」


 驚くべき距離だ。数日で320キロメートルを進んだことになる。しかも、いつ魔物が現れるか分からない森の中をだ。生身の人間には無理だろう。おそらくステ振りによる能力値の激増がそれを可能にしたのだ。


「お前たちと同じく俺らも森からの脱出を目指していた。西は20キロ地点で断崖絶壁に行き当たった。遠回りできるレベルの崖じゃない。だから断念した。それは良い。おかしいのは南と東だ。進めど進めど、いつまで経っても森の終わりには届かなかった。それどころか、見覚えのある木を何度も見たり、素通りしたはずの魔物の群れに30分後に再び出会ったり、と不可解なことが続いたんだ」


それだけ説明されれば町田くんの言わんとしていることは薄々分かった。「つまり——」と僕が先を引き継ごうとすると、

「——つまり、迷子ってことね」とアミが勝手に引き継いだ。

 僕は、う゛ぅん、と咳払いしてから「つまり、道がループしてるってこと?」と訊ねた。

「ああ。木に印をつけながら進んで確かめたから間違いない。東と南、どちらに進んでも森は終わらない」


 はぁ?! と怒りに満ちた声を上げたのは、遅れて事態を理解したアミだった。「最悪! じゃ、どうしろってのよ!」

「落ち着いてアミ。むしろ時間をかけないでその情報を得られたのはでかいよ」

「どうしようもない、って情報を得てどうすんのよ! 森で暮らすの? 虫は友達? ふざっけんな! あたし嫌だからね!」


 町田くんが苦笑して、僕に目を向ける。「まるでお姫様と従者だな」

「悪役令嬢の方が近いよ」と肩をすくめて答えると、アミにケツを蹴られた。

 

「だが、有益な情報ならまだある」町田くんが希望の光を差し込むと、「もったいつけるなって言ってんでしょ!」とアミは却って激怒した。

「ループが始まるのはどうやらその遺跡地帯の辺りからのようだ。中間なかま、どう思う? もしこれがゲームとかなら——」と町田くんが答えを待つように僕に視線を向けた。

「遺跡にギミックがある?」


 僕が答えると、それだ、と町田くんは指を鳴らした。アミが「うざ」と呟く。

 

「それで俺らは遺跡地帯を調べ始めたんだが、その途中、ゴーレムに襲われた」

「ゴーレムって、あのレンガの石みたいなのでできた人型の?」

 

 僕にイメージできるゴーレムはそれ以外にない。岩の巨人みたいなやつだ。たまにゲームで出てくるモンスター。

 

「いや。岩ではない。どちらかと言えば機械のようだな。丸くボールのような胴をしているが、とにかく固くて、速い。その上、魔法も使って来る」

「聞くだけでダルいんだけど」アミが鼻に皺を寄せる。

「見たところ遺跡には守るべき出入口もお宝もなかった。それなのに、奴は遺跡地帯から先には出てこないんだ。これっておかしくないか」

 

 町田くんは瞳を上向きにして様子を覗うように僕らに視線を向けた。

 アミがこれ見よがしに大きくため息をついて、更に舌打ちもする。アミも僕と同じ結論に達したようだ。

 

「やるしかないようだね」

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