殺戮人形の遺跡で
第9話 戦友
茂みから僕とアミは、1頭の鹿の様子を窺っていた。正確には何頭か群れているうちの1頭だ。僕は手に持つ石を弄びながら機会を待っていた。
「まだぁ? あたしがやろっか?」とアミが爪をいじりながら言う。
「アミがやったら燃えるからダメ」
血抜きの前に焼くのはダメだと素人でも分かる。肉が臭くなりそう。
アミと森を彷徨って既に3日が経過している。この間、食べたものといえば、焼いたカエル、焼いた蛇、それから焼いた木の実くらいだ。「焼けばなんでもいけるっしょ」とアミが言うから食べてみたが、どれもクソまずかった。蛇は吐いた。
あの鹿はようやく見つけたまともな肉なのだ。アミに台無しにされるのだけはごめんだ。
鹿が岩を舐め始め、動きが止まった。
僕は、狙いを定めて、手に握る石を振りかぶる。鹿が顔を上げたのは、いよいよ石を放ろうという時だった。
(勘づかれたか……?)
音を立てないように息すらも止めて、気のせいだと鹿が判断するのを祈った。だが、僕が祈る時は大抵は真逆の結果になる。鹿は僕らと反対の方角に首を向け、耳をピクンと動かしてから、唐突に脱兎の如く——ウサギではなく鹿だが——駆け出した。
「あ! 待て!」アミが叫ぶ。
僕はダメもとで跳ぶように走る鹿に石を投げつけようとしたが、違和感——というよりも嫌な予感——を感じて動きを止めた。
「待って……アミ。なんかおかしくない?」
「なにが?」
「鹿は僕らの方は見てなかったよね? じゃあ……何から逃げてんの?」
アミは鹿が見ていた方に目を向ける。「何って……そりゃ——」
僕もつられてそちらを見た。そして、サーっと血の気が引いた。
「——アレでしょ」
アミが指差したのは、牛ほどもある体躯の狼だった。4、5頭が連なって走り来る。いや、4、5頭どころではない。その後ろにまだ何頭も続いて迫って来ていた。
「ぎぃやァァアア!」白目を剥く思いで僕は叫んだ。
「うるっさいなぁ! 叫ぶなら叫ぶって言ってよね!」とアミが耳を塞ぎながら迷惑そうな目を向けてくる。
「叫ぶ前に『叫ぶね』とか言う奴いないでしょ! てか言ってる場合か! に、逃げ、逃げるよ!」
僕は気怠そうにしてあくびしているアミを小脇に抱えて走り出した。だが、人間が狼の速さに敵うわけもなく、あっけなく追い付かれる。
先頭の狼が大口を開けてアミに飛びかかった。アミは抱えられながら器用に振り返って腕を狼に向ける。腕の周りに小さな魔法陣が現れたかと思えば、次の瞬間には先頭の狼数匹はまとめて火だるまになっていた。走りながら僕の身体にレベルアップの快感が伝わってきた。
キャンキャン吠える炎の塊が地面を転がった。その横を後陣の狼が駆け抜ける。
「アミ、残りも倒してよ!」と息も絶え絶えに僕が言うと、「数が多すぎて流石に無理〜」と返ってきた。
追って来る狼を何頭かアミが倒すが、多勢に無勢。僕らはあっという間に狼に取り囲まれた。
アミの魔法を警戒してか、狼たちはすぐには仕掛けて来ず、僕らの周りをぐるぐると回って様子を窺っている。
「どうすんのよ」とアミがため息をつく。ため息をつきたいのはこちらの方だ。「言っておくけど、あたし接近戦はできないからね」
「えぇ?! 魔人なのに?!」
「だってあたしジョブ、魔術師だし」
「僕だって召喚師だけど?!」
お互い後衛の魔法職同士なので、前で攻撃を受ける前衛の役割はどちらも担えない。仕方がないので、気が進まなかったが、僕は通常召喚術を行使した。
頭で念じると、身体が薄らと発光し、前髪が風に吹かれたように浮き上がった。そして、光が積み重なって行き、次の瞬間には大量の——少なく見積もっても20体の——ゴブリン達が現れた。
「わぉ、ちょーキモい!」とアミがゴブリンを指差して笑う。
僕はアミを無視してゴブリンに命じる。「盾になれ!」
ゴブリン達は僕とアミの前に出て、狼を迎え撃つ構えをとった。ゴブリンたちがただ何もせず『盾』のように噛み砕かれるのを待つ可能性も考えていたが、ある程度はこちらの意図を汲み取ってくれるようだ。ゴブリン達の目には闘志が見えた。
だが、巨大な狼との戦力差は圧倒的であり、ゴブリンたちは呻き声をあげながら次々と消滅していく。
「てかさ、なんでゴブちん裸なの?」アミは言ってからハッと閃き、顔を顰める。「もしかして、
「んなわけないだろ! てか、ゴブリンが奴らを押さえてる間に早く魔法撃って!」
僕は余裕なく急かすが、どこまでもマイペースなアミはそんなことは意にも介さず得意げに指を1本立てて僕にアドバイスし始める。
「召喚師なら魔力次第で召喚体の装備は整えられるはずだよ。とりま鎧と剣くらい持たせてあげなよ」
「分かった! 分かったから、魔法!」
はいはーい、とアミがゴブリンごと狼を炎に包んだ。
「だぁー?! 何味方殺してんだァ!」
「通常召喚の雑魚なんだからいいじゃん。アイツら死なないし」
そうなの? と思いつつも「なんか気持ち的に嫌!」と叫んでいた。
追加でゴブリンを召喚する時に、頭で念じると、ゴブリン達は鉄の鎧とサーベルを持って現れた。それでも狼達には歯も立たないが、素っ裸で戦うよりはマシだ。
どういうわけかサーベルは持ち主のゴブリンが消滅すると同時に消えるが、持ち主ゴブリンさえ生きていれば僕でもサーベルを使えた。持ち主ゴブリンには1体だけ隠れていてもらい、僕もサーベルで狼を斬りつける。剣など振ったこともないが、筋力に任せて振り抜くと、狼は前足辺りで真っ二つになった。
「ヘンテコ斬りなのにやるじゃーん」とアミが腹を抱えて笑う。
「う、うるさい!」
そうして狼達と殺り合っていると、狼の殲滅よりも先に体力の限界がやって来た。
「もう……無理!」とかすれる声で僕が言うと、「あたしだってもう魔力切れよ!」という苦情じみたアミの声が背後から聞こえた。
アミに振り返ると、彼女の死角から狼が今まさに噛みつこうと迫っているところだった。
「危ない!」
咄嗟に身体が動いた。アミを肩で押し飛ばす。僕も避けようとしたが、もう目の前に狼が迫っていた。避ける余裕はない。1度噛みつかれれば、あれよあれよと他の狼も群がって来るだろう。僕は死を覚悟した。
狼が僕の腕に歯を立てる瞬間、唐突に狼は胴から切断され、僕の顔に狼の赤い血が飛んでくる。
剣を振り下ろした短髪の青年がそこにいた。彼と目が合った。鋭い眼光が僕を貫く。
お互いに、敵ではない、と理解するまで1秒も掛からなかった。僕がサーベルを持ち直して彼に背を向けるのと、彼が僕に背を向けるのとはほぼ同時だった。お互い背中合わせで狼たちに剣を向ける。
バテている場合ではない。1体でも多く倒すんだ。あの人に迷惑をかけたくない。僕は悲鳴をあげる身体に鞭を打って、サーベルを構えた。
「あたしはもう無理。ちゃんと守ってね」と座り込むアミの近くで、僕は狼を葬り続けた。目の端に、同じく狼を斬り払う男が映る。彼は素人目にも綺麗な太刀筋だと分かる斬撃で、華麗に殺める。
何体倒したか、もはや数えるのもやめた頃、狼と魂がリンクするのを感じた。そして間も無く最後の狼は、短髪の男に前足を斬られ、地に伏した。
男が狼の傍に歩み寄る。彼は狼の首にブロードソードをドスっと突き立ててから、ゆっくりと僕らに顔を向けた。
「お前らもプレイヤーだろ?」と彼は言った。
「プレイヤー?」
「ああ。あの馬鹿でかい教室に呼び出された奴らの事だよ。昨日まで一緒にいた連中とはそう呼んでたんだ」
僕は自分の頬が引き攣るのを感じた。昨日まで一緒にいた……? 嫌な予感に聞くのを躊躇っているとアミがあっさりと「そいつら死んだの?」と訊ねた。
「ああ。死んだ」と彼は真顔で答える。
僕はアミの頭をペシン、とはたいた。
「いったぁーい! 何すんのよ!」頭を押さえてアミが睨んでくる。
「キミはデリカシーというものを欠片も持ち合わせていないのか」
「どうせ聞くならいつ聞いても同じでしょ!」
「こういう繊細な話は相手のタイミングというものがだなぁ——」
僕とアミが延々と言い争っていると「待て待て待て」と男が仲裁に入った。
「気持ちはありがたいが俺は別に気にしちゃいない。それにアイツらの死を話さねぇとそれより先の話ができねぇからな」
男がそう言うとアミが勝ち誇った顔で僕を見て来る。ムカつく。僕はあえて無視して、「先の話って?」と男に聞き返した。
きゅる〜、と誰かのお腹が鳴ったのはその時だった。隣でアミが口を結んで目を逸らし続けているから多分アミだ。
彼はフッと頬を緩めた。「とりあえずメシでも食いながら話そう。肉なら備蓄してある」
男は背中を向けて先に歩き出した。が、不意に振り返って口を開いた。
「自己紹介がまだだったな。俺は町田優馬だ。よろしくな」
これが僕と優馬の出会いだった。
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