第6話 レベルアップ

 日も暮れかけた頃、僕は新里さんを担いだまま木の上によじ登った。筋力をアップしているからか、然程苦もなく登ることができた。

 葉をたらふく蓄えた辺りの太枝まで行ってから、ワイシャツで結びつけるように新里さんを僕に固定した。ここで夜を明かすのだ。


 僕は木の幹に背中を預けて、その僕に新里さんが背中からもたれる形になった。新里さんの赤いパーカーのフードは、元いた世界で染み込んだのであろう香水の匂いがして、なんだかやるせなくなる。平和な世界の名残りが、今は精神的に辛い。

 不意に新里さんが消え入りそうな声で言った。


「……あたし、臭いから、固定するなら木とかにして」

「木に固定したら痛くて寝られないと思うよ。それに臭いのは僕もだから。お互い様だよ」


 この世界に来てからただの一度も風呂に入っていない。一日中歩き続けて汗だくになったわけだし、歩いていなくてもこう湿度が高くてはじんわりと汗が表出し、服に染みる。臭くて当然だ。


 明日の朝、出発前に水浴びでもしようか。僕だけさっぱりするのも申し訳ないが、僕が新里さんの身体を洗う訳にもいかない。

 どうしたものか、と考え込んでいると、不意に新里さんが呟いた。


「ありがと……」


 僕は無言で小さく頷いて、考えるのをやめ、目を閉じた。新里さんは温かい。まだ寒いという気温でもなかったが、人肌は不思議と心を落ち着かせる効果がある。新里さんの体温は、僕の心を幾分か安らぎをくれた。

 それは新里さんの方も同じだったのか、ふと新里さんの手が僕の手に重なり、ギュッと握られた。

 僕はドキッとして、目を開き、顔を上げる。後ろからだから新里さんの顔は見えない。


「に、新里さん?」


 僕が呼びかけると、スースーと規則正しい寝息が聞こえた。どうやら既に寝入ったようだ。寝ぼけて僕の手を取ったのか。僕は握った手はそのままに、再び目を閉じた。

 だけど、なんとなく眠りにつけず、うとうとと夢と現を行き来しているうちに朝が来た。

 

 木から降りると僕は結局水浴びはせず、昨日と同じルートで、引き続き川を下った。そうして、3時間ほど歩いた頃、昨日のゴブリンが再び姿を現した。前方から3体。

 僕はまずい、と川上に戻ろうと振り返り、血の気が引いた。そちらからも3体のゴブリンが近づいてくるのが見えたからだ。


(挟まれた?!)


 川から外れて逃げるしかない、とそちらに目を向けるが、やはりそちらにもゴブリンが配置されていた。木が邪魔で正確な数は掴めない。

 逃げ道はないか、と視線を振って活路を探す。すると、1つの方角だけゴブリンがいないことに気がついた。気がつくのと走り出すのとはほぼ同時だった。

 新里さんを担ぎながら、僕は必死に駆けた。ゴブリンが左右背後とぴったりついて来る。

 1体のゴブリンが左から僕に接近して来た。赤い小さな肉片のような汚れがこびりついた口は三日月型に歪み、黄ばんだ鋭い歯が見えていた。

 僕は握りしめた石ころを走りながら隣まで来ていたゴブリンに投げつけた。石ころは鈍い音をたててゴブリンの頭をえぐり取って貫通して飛んでいく。隣を並走していたゴブリンは崩れるように前のめりに倒れて、後方に流れていった。

 直後、僕の身体にゾクっと、えも言えぬ快感が一瞬走った。そして力が漲る。明らかにこれまでは到達できずにいた高みに1歩ステップアップしたのが分かる。しかも、それは1度だけではない。6、7回連続して快感と漲溢ちょういつとが繰り返された。


(これ……もしやレベルアップ!?)


 喜んでいる暇はなかった。まだゴブリンの群れが僕を追ってきている。

 レベルアップしてスピードが上がったが、乱立する樹々が邪魔で最高速度を維持できず、森に慣れているゴブリンを引き離すには至らなかった。

 やがて、僕らは円形に開けた場所に出た。そして、そこで自分の愚かさを改めて知る。

 その広場にはすでにゴブリンの大群が陣取っていたのだ。中央に一際身体が大きく、鎧を纏ったゴブリンが椅子に座っており、その周りには僕を追ってきていたのと同型のゴブリンが何体も立っている。

 一様に剥き出す鋭い歯は、悲壮の表情を浮かべているであろう僕を嘲笑っているように見える。


(やられた……! この方角にゴブリンがいなかったのは罠だったのか!)


 立ち止まっている間に、後ろから追いついたゴブリンが飛びかかってきた。僕は咄嗟に腕を振った。すると、ちょうどゴブリンの胴にラリアットのように腕が入り、ゴブリンは吹き飛び、太い幹にぶつかって動かなくなった。

 そしてまたレベルアップの快感が身体を包む。


(これなら……戦えるかもしれない!)


「新里さん、このまま戦うから掴まってて!」


 返事を聞いている暇はない。僕は言うや否や、すぐさま追っ手のゴブリンに一足飛びに接近した。そしてその顔を思い切り殴ると、バゴッ、と頭蓋骨が砕ける感触が手に返り、血が飛び散ってゴブリンは絶命した。

 殴る蹴る石を投げる、とがむしゃらに攻撃して追っ手のゴブリンを片付けていると、前方のゴブリン達も僕の方に流れてきた。大ゴブリンは未だ座ったまま戦況を窺っている。

 ゴブリンを3体葬っては、腹を殴られ、ゴブリンを4体仕留めては、左腕を石のナイフで斬りつけられる。

 背中におぶった新里さんには攻撃を受けないように気をつけていたが、それでも死角からの攻撃が新里さんに当たることもあった。

 奴らの半分ほどを倒した時には、僕も新里さんも傷だらけで、既に満身創痍だった。ハァハァ、と乱れる呼吸は、血の味を伴う。喉が焼けるように熱い。ぐわんぐわん、と目眩がして、立っているのもやっとだった。

 

 奴が動いたのはその時だ。

 この時を待っていた、とばかりにソレは椅子からゆっくりと立ち上がる。立ち上がると周りのゴブリンとの違いは一目瞭然だった。明らかにゴブリンの上位種と分かる。周囲を威圧しながら、余裕のある足取りで、ズシン、ズシン、と地を揺らし、ゆっくりとこちらに歩み寄って来る。

 迫り来る死を前に、僕は震えが止まらなかった。

 

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