第4話 陣中見舞い


「やぁ」


 と、唐突に背後から声を掛けられた。


「ぎぃやァァアア!」と腹の底から叫びながら、僕は振り返り様に持っていた石ころを投げつけた。

 エリーがひょい、と首を傾げるように石ころを躱すと、エリーの後ろで芯に響くような低い衝撃音が轟いた。石ころがまた木を貫通したのだろう。


「危ないなぁ。キミはもっと慎重に力を使いなよ。そのうち人を殺すよ?」エリーが目を細めて僕を睨んだ。

「エリー……さん?」

「どうも〜。あなたの女神、エリーだよ」


 エリーがウインクしながら右手でピストルを真似て、ばきゅん、とジェスチャーする。僕は心臓が跳ねて、一瞬本当に撃たれたのかと思った。彼女にウインクされて、どきりとしない男が果たして存在するのだろうか。

 僕は左胸を押さえながら、何とか声を絞り出す。


「な、何してんです、か?」

「何って……陣中見舞い?」


 エリーはそう言いながら、地に手のひらを向ける。すると、地面からにょきにょきと小さな木が生えてきて、みるみるうちに形を変え、天辺が平らな椅子になった。エリーが腰をかけて足を組む。白いローブから覗く艶やかな腿に視線が吸い寄せられるのに抗う術はなかった。

 

「ぼ、僕だけに?」浅ましい欲望と知りつつも、聞かずにはいられなかった。

 エリーは笑いながら手をひらひらと舞うように振る。「そんなわけないじゃん。皆にだよ」

 がっくりと落胆しているのを悟られまい、と堪えているとエリーが「そんな顔しないでよ」と苦笑した。「キミを優遇することはできないけど、特別に1つだけ質問に答えてあげるよ」

「1つだけ、ですか?」

「もちろん1つだけさ。他の皆と同じようにね」


 やっぱり他の皆の質問にも答えてあげるんじゃないか、と腹で呟くと、エリーは「むくれないの。優遇はできないって言ったでしょ」と嗜めるようなことを言いつつ優しく微笑んだ。

 僕はバツが悪くなり目を伏せた。それから話を逸らしたいという理由で、特によく考えることもなく、「召喚師について教えてください」と口にしていた。

 エリーは、ふーん、と何度か頷く。「良い質問だね」


 昔、音楽の授業であくびをしていたら先生に「しっかり歌っていてえらい」と褒められたのを思い出した。意図していないことを褒められると逆にみじめになる。


「この世界の秘密を知ろうとして、当面必要になる大事な情報を聞きそびれる人がよくいるんだけど、そういう人は大抵翌日には死んでるんだよね」


 死、という単語に肝が冷える。

 僕は、昨日までただの高校生だったんだ。死からは程遠いところにいたはずなのに、いつの間にか死はすぐ隣にまで来ている。そんな恐怖をエリーの言葉に再確認させられる。


「で、召喚師について、だったね。キミの選んだジョブ、召喚師は最上級ジョブの一つだよ。使える召喚術は2つ。1つは通常召喚。魔力を使って仲間を召喚し、戦わせる。だいたい1回の召喚で1時間くらいは留めておけるはずだよ」

「さっきやろうとしたら、できなかったんですけど」

「そりゃ、まだ魔物と繋がってないんだから無理だよ」

「魔物と……繋がる?」


 僕は醜い魔物と性交する自分を想像して眉を顰める。


「何を想像してるのか知らないけど、多分違うよ」とエリーが不快そうに鼻に皺を寄せた。「モンスターを倒すと、確率でその種族と魂がリンクするんだよ」


 なるほど。それが『繋がる』ということか。


「どのくらいの確率なんですか?」

「種族にもよるけど、だいたい3%とかそんなもんだよ」


 うっ、と呻き声が口から漏れた。確率が低すぎて目眩がした。多分1体2体倒すだけでは繋がらないだろう。1体だってまともに倒せるか分かったものじゃないのに。そんなのを何十体も倒さなければならないのか。無理過ぎる。


「も、もう1つの召喚は?」僕は望みを託して訊ねる。

「もう1つは生贄いえにえ召喚だよ」

「生贄……」


 物騒なワードに頬が引き攣る。その反応にエリーは満足げに口端を吊り上げた。


「その反応は正しい。ご察しのとおり、生贄召喚は代償が必要なのさ」

「な、何なんですか、その代償って」


 エリーが瞳を見開いた。青い瞳が綺麗だった。


「生命力を使うんだよ」とエリーが言う。「ゲームでいうHPみたいなもの、と考えれば良いよ。ただし代償にした生命力は回復しない。最大HPが削れる、って感じだよ」

「最悪じゃないですか……」

「代償なんだから最悪で当然だと思うけど」とエリーは片眉を吊り上げた。「だけど、通常召喚よりも遥かに強い召喚ができるはずだよ。しかも召喚の時間制限もない。ずっと側に置いておける」


 強い味方は確かに魅力的だが、最大HPを減らすなんて、もってのほかだ。僕は生き残りたいのだ。生きて元の世界に戻りたい。生命力を減らしたら、生き残る確率が大幅に減ってしまう。

 僕は黙りこくっていたが、考えが顔に出ていたのか、エリーが「お気に召さないようだね」と肩をすくめた。

「生命力削るのはちょっと……」僕は白状する。

「大丈夫、安心して。キミにはとっておきの裏技を教えてあげる。生命力を減らさない裏技」

 

 エリーに目を向けると彼女は微笑んでいた。

 僕は背筋が凍った。なぜならその笑みは、美しく、可憐で、そして冷酷な笑みだったから。

 エリーはゆっくりと、含み込ませるように、声を発する。


「他人の生命力を使えばいいんだよ」


 言葉が出なかった。

 そんなことが、許されるのか。人の生命力を勝手に搾り取って、自分のために使う。全く人道的でないその行為を想像して、嫌悪感と共に「それならば僕は助かる」という思いも湧き出た。よこしまな考えが芽生えていることに気付き、僕は自分に失望した。

 僕が口を開く前にエリーがさらに言葉を重ねる。


「ただし、敵対している人の生命力を使うと、召喚体もキミに敵意を抱いていることが多いよ。召喚体には、生贄の心や考えが融合されるから」

「つまり、生贄にして敵を倒しても新たな敵が生まれるだけってことですか」


 そうなるね、とエリーが頷いた。

 話を聞く限りでは、この裏技はあまり使えない。なぜなら容易には成立しないからだ。相手が僕に敵意を抱いておらず、しかも快く生命力を差し出してくれる場合にしか行えない。そんな都合の良い存在がいるとは僕には到底思えなかった。


「さて。じゃあ私はもう行くね」


 エリーはあっさりと別れを告げ、椅子から立ち上がる。何とかしてもう少しだけでも留まらせたかったが、僕にはそのすべがなかった。


「キミが魔王を倒してくれることを祈ってるよ」


 次の約束を取り付ける暇もなく、エリーは勢いよく天に飛び出し、彼女を避けるように木の葉の天井に丸い穴が開いた。彼女はそこを通過して、一瞬で視界から消えて行く。

 ひとときの幸せな時間が終わり、また孤独が始まった。僕は少しでも寂しさを薄めたくて、彼女の作った椅子に腰掛けてしばらくの間、余韻に浸った。まだほんのり温かい。

 僕はため息を一つ吐いて、そしてまた、一人、歩みはじめた。

 

 森が深くなっているのか、あるいは森の終わりに向かっているのか、定かではなかった。だが、とりあえず進むほか選択肢はない。

 幸い魔物やモンスターの類には遭遇せず、出るものといえば鳥や虫、蛇に鹿。そんなものだ。

 鹿を仕留めて食べようにも火の起こし方が分からなかった。流石にまだ生肉を食べようと思えるほど追い込まれてはいない。鹿が食べていた草を少し齧ってみたが、苦くて食えたものではなかった。仕方がないので、この日は葉に滴る水を舐めて飢えを凌ぎ、日が落ちる頃には、木に登り、眠りについた。

 

 浅い眠りと、葉の擦れる野生の音に起こされるのとを繰り返す。そうしてほとんど眠れぬまま最初の夜が明けた。

 日が昇るのと同時に僕は再び歩き出す。このまま火も起こせず、何も食べられぬ日々が続けば、そう遠くないうちに僕は死ぬ。命がかかっているのだ。疲れたなどと言ってはいられなかった。


 天に向かって聳え立つ背の高い樹々が延々と続き、一向に変わらぬ景色の中、彼女との出会いは唐突に訪れた。

 僕が黙々と歩いていると、同じような樹と苔と影が占める視界の中に、これまでと明らかに性質の違うものが見えたのだ。


(あれ……人?!)


 僕は、うつ伏せに横たわったその人に、慌てて駆け寄った。学生服の上に赤いパーカーを羽織った女子生徒だった。全身泥だらけで、彼女の脚の先には、這ってきた跡が延々と続いている。


「大丈夫ですか!?」


 彼女は、少し顔を上げて覗き上げるように僕を見た。そして、震える唇を小さく開く。


「あんた……あの時、の……陰、キャ……」


 ——何見てんだよ陰キャ。きもっ。


 僕は、彼女のその一言で思い出した。無意識に彼女を指差して声を漏らす。


「隣の席の魔術師!」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る