氷は溶けるからこそ値打ちがある。
光がさしこむ!
走ってきた暗黒!
狭苦しさ!
これらいっさい取っ払われる!
中腹の開けたところ!
天のてっぺんで太陽!
それから広がる青空!
近くは青々と森!
遠くはぐるり山並み!
そして追いついたノアの背が立っていた!
さらにノアのまえで、ホヘトが対峙している!
どうやらわヲんは大樹の裏側へ出てきたらしい。
柔らかい土の感触が、ここまでの廊下とちがってやさしかった。
こういまに小鳥が鳴きだしそうなところで、親子が恨みと無関心でいることが痛ましい。
「ノア、なぜここまで来たのかな」
ホヘトは上着を脱ぎ捨て、肋骨が浮かぶ骸骨の模型みたいな肉体を晒している。
余った皮がやつれて、そこかしこただれている。
もうロボットになっているくせに、どうも衰えた人の体である。
どうせならもっと美形にすればよいのに。
わヲんのなかで、メモ一枚ぶんほどのちょっとした同情が挟まった。
「倒しにきた」
ノアはまったくその同情が挟まるところを、恨みで詰めて塞いでいる。
「わヲん、お前もか?」
「僕は、彼女を守りにきた」
「よろしい。ではお前たちの処分は私みずからするとしよう」
ホヘトはズボンのポケットから、なにやら取り出す。
なんなら見せてくれる。
手のひらほどで、赤い押しボタンのひとつついた簡単な装置。
「これがお前へ仕掛けた爆弾のスイッチだ」
とても有効な脅しである!
これまでノアを守りたいと思ったのは嘘偽りない真実!
だがこの脅しもまたわヲんを動かしていた事実!
この愛情と恐怖こそ、心が動くための負荷である!
そのふたつが一緒くたにわヲんのなかで同棲していた!
しかしこんかい破局を余儀なくされる!
「では命令しよう。ノアを始末しろ」
冷徹かつ残忍なホヘトが、まったく容赦なく言うのだ!
潰しあえと!
ノアが困った目を向けてくる!
小川のせせらぎに宿る光のように震える瞳が、迷っている!
だがわヲんにはもう迷いなどない!
ただ一点で、見据えるのだ!
彼女を!
瞳を!
愛情を!
ポンコツの廃棄物を受け入れるには、あまりに緑豊かなもんじゃないか!
不法投棄による環境破壊なんていうが、ただこの度ばかりは許される!
わヲんに起こっている状況とは反対の清々しく前向きな心持ち!
この矛盾は、どんなパラドックスよりも高尚で!
人間である!
いなくなるのだとしても、おつりがくる!
守りたかった人の手で始末をつけてもらえる!
これほどの釣銭なら、地球一個!
いや、宇宙一個おも買えてしまう!
それくらいにはわヲんは幸せなロボットなのだ!
わヲんは涙を呑む少女へ、悟ったように微笑みかける!
「ノア、いまの僕は連戦で修理もしてない」
「わヲん?」
泣いてくれた!
悲しんでくれた!
それだけでもここまで戦った甲斐があった!
贅沢を言えば、さいご笑ってくれないことだけ心残りであるくらい。
「おそらくあと数発、いや一発でも、もうお陀仏だ」
「嫌だよ!」
「君ならきっとあんな瘦せっぽち倒せる!」
「わヲん! 頼りないし、変に意地っ張りだったけど、私はずっと!」
言おうとしてたじろぐ。
結局つづかず嗚咽があった。
どうやら、その言葉に「あ」が入っているのだろう。
「僕は君を倒せない! これはそう作られたからじゃない!」
そしてわヲんはノアへ強く正義を語る!
「僕が! 僕自身が、どんな君でも守りたいと思うからだ!」
あたたかく、優しく!
まるで陽だまりのように!
「そして僕はこの心を大事にしたいのだ!」
ここまでの思いを棒に振る!
まして多くの敵へも一緒に戦った彼女である!
命より重い心を無下にできるわけがない!
ノアのなかの吊り天秤が、僅差でわヲんの意志に傾く!
涙を払いのけ!
鳴き声で淀みそうでもはっきりと!
ノアが言う!
「私はずっとあなたを、愛していました。ありがとう」
笑ってくれた。
わヲんは大満足に瞼をおろした。
風の音がすぅうとした。
この物語もここまで!
わヲん、ここに完結!
わヲんよ、永遠に!
良い話だった!
感動モノだ!
さいごに愛が勝ったか負けたか!
そこを見たものに、想像させる余地を残す!
と言いたいところだが、水風船の破裂するよな音があった。
ついで驚いただろう鳥たちの羽音がさぁあと抜けた。
わヲんは暗闇で考える。
なんだいまのちっぽけで乾いた音は?
というか僕は消し飛んだか、と!
まだ真っ暗だが、ここから天国が見えてくるのか!
あるいは地獄か!
いや正義の限りを尽くした僕にまさか地獄なんて!
しっかし長い!
闇がこう続くあたり、あの世とはインフラ整備がなってないのかもしれない。
もちろん簡単に行き来できては困るが。
あるいはこの闇こそあの世かもしれない。
しかしそうすると目を瞑っているのと変わらなさすぎる。
こんな身近なところにあの世があるとは!
燈台下暗し!
というかそもそもロボットって、あの世とかいけるのだろうか。
考え始めたわヲんは、まさかと思う!
まだ生きているのか!
だとしてノアは、仕損じたのか!
わヲんは、ふたたびやり直すのかと思えば、あの告白の思い出されて赤っ恥!
どうしよう!
わヲんは瞼のあけるまえに返事を用意しなければ! と焦りつつ楽しそうである!
愛の詩とか、踊ったりもするべきか!
しかしそういうのは、すこし重たい返事な気がする!
となると、黙って抱きしめる!
さんざん迷った挙句!
どうやら、一直線に愛していると伝えるで決まった!
よし準備万端!
こんどこそ伝えるべきを伝え、倒してもらう!
意気込んで、いざと蘇生と瞼を上げた!
ノアが倒れていた。
腹の裂けていた。
裂けたところから、人が壊れたらしいあらゆる赤い物があふれていた。
惨劇を柔い土が吸って黒い。
さんざん予測し、策を弄したがこれは想定外!
どころではない!
またさんざんやった割に、そう現実でときは経っていない。
その証拠で、ホヘトがあのボタンを押して離すところだった。
立ち尽くし放心ひたすらのわヲんは、いっさい無傷であった。
まるで代わりみたいにノアが、傷ついていた。
破れていた。
壊れていた。
もう動きそうになかった。
「そうあっさりやってしまってはつまらんだろ。もっと醜くなれ」
わヲんの失意のぐあいをうかがうホヘトの表情は、喜悦で満ちていた。
「僕に爆弾があったんじゃあ……」
尋ねるというより、思いついた疑問を口走っただけだった。
「私は誰とは明言していないぞ」
「なんでノアだけ……」
「お前への改造はそう容易くできんし、またノアとお前どちらが厄介かは明白だ」
戻ってきたらしい小鳥たちがついに長閑に鳴きはじめた。
あいにくまた飛び立ってもらうことになる。
わヲんはそれほどに叫んだ!
「あああああああああああああああああああああ!」
どこまでも、こだまし!
お涙ちょうだい感動モノなんて、どこにもありはしない!
わヲんがただなにもかも失った!
ただ恨みが!
怒りが!
悲しみが!
残った!
矛先はもう決まっている!
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