ブラックホールの思慮

 とてもわヲんにとって酷な修行が始まっている!

 いまだかつてこんなメンタルヘルスに来る修行があっただろうか!

 さっきまでの己との闘いというのが、いかほど楽だったかと思い出す!

 じぶんはなんと殴りやすいことかと!

 こっちが心置きなく殴れば、あっちだって心置きなく殴っているのだ!

 あと腐れない!

 なんなら、この広い一室の中心で動かないじぶんを跡形もなくなるまで殴ろう!

 寝技をかけよう!

 ギブアップといったって許してやらない!

 そのくらいへでもない!

 されど!

 これぞ残酷!

 わヲんはこんど守りたいものを、殴らねばならないらしい!

「目のまえにいるのは、異型わヲん滅却用改造少女、異違(いい)ノイ」

 先生のアナウンスである!

 縋るようにわヲんは、この別称へ食いつく。

「じゃあ、ノアじゃないんだな!」

「さぁそれはしらない。ともかくちゃちゃとやるのだ!」

 おとぼけで突き放しアナウンスが途切れると、真偽は不確かになった!

 間違い探しというなら、あきらかに違う一点!

 まず髪が青い!

 しかしそんなの染めればどうにでもなる!

 さらに顔も、パジャマもどこか違う気がする!

 いやめっきり違う気すらする!

 だがしかし!

 シルエットが同じなのだ!

 きっとノアの型を粘土かなにかでとって、ノイをはめればぴったりだろう!

 もしやあの集中治療室は、美容室だったか!

 整髪、ブリーチ、カラーリング、まつエク、角質除去!

 そういったことが執り行われていた可能性がある!

 このわヲんの疑いを笑う輩に、では聞こう!

 よく化粧をすれば人の印象はだいぶ変わると謳われている!

 蒲公英が薔薇ぐらいになる変化量がある!

 それでなくとも前髪を少し切るだけ、野球でいうチェンジアップくらいの変化がある!

 このボール一個にも満たない変化で、打者は打ち損じる!

 今日なんか違わないと訊かれて、いつも通りだよと答えて幻滅される恋人もいる!

 そんな世間がある!

 なのに安易にぜんぜん違うとか、そのままとか言える奴は勇気がある!

 わヲんはその勇気の場に立たされている!

 現に正直なわヲんの心は迷っている!

 なんだろう!

 前よりかわいくなった気がする!

 青髪の効果だろうか!

 あるいはまったく別人だからだろうか!

 これを自己判断で選ばねばいけない!

 そのうえ間違うことは許されない!

 なぜならもし偽物と判断して、あまつさえ容赦なく殴ってみよ!

 本物だったとき、気まずい!

 あれだけ、かっこつけたことさんざん言って、見る目ないんだと思われる!

 また逆もしかりで、人の心の欠片もないイロハあたりが告げ口したら、また気まずい!

 この二択外すわけにはいかない!

 だがそう単純に訊けば、やはりしこりが残る!

 これはさっきのような殴り合いではない!

 猜疑が踊る心理戦である!

 これがどう修行なのかは、神のみぞ知る!

 と長々と硬直状態でいると、ノイは仕掛けてくる!

「い」

 わヲんはなんとかこの一室いっぱいの大爆発を耐え凌ぐ!

 さんざんっぱら悩むわヲんをなんのその!

「い」が連呼される!

 それも残虐にイヒイヒ笑ってとても楽しそうに!

 これはノアにしては変だ!

 あまりに人格がかけ離れている!

 こんなのはノアではない!

 わヲんは直感した!

 だが待てよ。

 と!

 疑うなり、やはり直感して直感を疑った!

 よくよく考えるとノアはこんな人だった気もしてくるのだ!

 間違い探しのなかには、映像が少しずつ変化するものがある。

 一気に違わず少しずにミソがある。

 空で鈍い雲が毎秒どれくらいズレたかといった違いである。

 ゆえ見れば見るほど、最初から同じな気がしてくる。

 わヲんはこれにとらわれている!

 また矛盾点はやたら補強が入る!

 もしかしてノアはちょっとヒステリックになっているだけなんじゃないのか!

 ここまで幾度となく、嫌なものを背負ってきた彼女である!

 しかもその一端にはわヲんがいた!

 いまそれへのストレス発散が行われているのではないか!

 そうなると青髪も、そういうやさぐれの象徴みたく見えてくる!

 わヲんはさらには疑いをじぶんへ向けた。

 だいたい僕はノアのなにを知っているんだろうか!

 好きな食べ物は!

 嫌いな食べ物は!

 誕生日は!

 趣味は!

 血液型は!

 もしノアクイズがあったら!

 わヲんはこんな簡単なことにも当てずっぽうでしか答えられない!

 なんと悔しいことだろう!

 しかしここでアハ体験はやってくる!

 するとわヲんは「い」の爆発を堪える!

 笑う彼女へ向かっていく!

 彼女のまえに立つ!

 偽物と本物が混在し、やはりどう見てもわからない。

 が!

「すこしでもノアの可能性があるなら、どうせ僕は君を倒せない!」

 こう言い切る!

「ただ君はきっと偽物だと思う。なぜなら彼女はそんな風に笑わないからだ」

 さらに続けて、それにと加える!

「僕の敵は悪であり、君は修行相手で倒すべき敵じゃない!」

 そう、先生もちゃちゃとやれとは言ったが、倒せとは言っていない!

 わヲんは、こうなったら観念したのだ!

 悪でなければ倒さない!

 疑わしきは罰せず!

 これは正義の必須要件である!

 すると不思議なことが起こって、ノイは自身の「い」で自壊し始めた。

 鉄や回路があらわになり、それすら蒸発していく!

 ただ勘違いしてはいけない!

 わヲんがそれらしく喋っていたが、ほぼ「い」の爆発音でノイには聞こえていなかった。

 つまりこの自壊は、心意気なんてものではない。

 単なるなるべくしてなった機械の限界である。

 そうしてさっぱり掻き消えたノイ。

 またもうひとり転がって動かなかったわヲんも幾度もの爆発に消えてしまった。

 ひとり残された真実のわヲんは、ぼろったい体で立ち尽くす。

 とここでアナウンス。

「やはりノイでは、まがい物の動力炉すら耐えれんか、ア動力炉おそるべしだな」

 と、先生はいつも通り冷淡だった。

 修行は終わった。

 扉はしまったときと微妙に違った音で開く。

 修行の結果、わヲんは表面上でなにも手にしなかった。

 ただ、どことなく顔つきの変わっていた。

 もしかしたら偽物かもしれない。

 まぁ、そんな冗談はさておく。

 それより大切なのはわヲんのなかでひとつ、確信できたことだった。

 僕はじぶんの守りたいものを守るためなら命だって投げだせるようになったのだ。

 この思いを改めて胸にし、わヲんは本物の大切な人へ会いに行く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る