ホッチキス神話

 いつまでもしょぼくれてはいられない!

 白けてはいられない!

 気丈にならなければいけない!

 たとえぎこちなくとも!

 あの研究所を下敷きにした広葉樹のもとまでドカンッと戻ってくる。

 くるなり、わヲんはホヘト先生へ向かった。

 原状回復に至っているテレビなんだか箱なんだかわからないものを蹴散らした!

 鬱の配線へ躓きながら、先生を呼ぶ!

 出てこなかければさらに暴れるぞという憤懣だ!

 この大げさと対照でついてきているノアが、罪に肩を重くししょんぼりしている。

 さて、どのテレビもついて先生の見たっておもしろくもない顔たくさん。

「どうかしたか?」

「先生! ノアは限界だ!」

「経緯はおおむね承知している」

「なら、なお云う! 限界だ!」

「限界とは、科学的に言ってどういう限界なのか?」

 わヲんは日ごろの通り淡々とされたことに驚いたのではない!

 科学的にどう説明したらよいかと困惑したのだ!

 だがわヲんだって科学の粋を集めた頑なな結晶!

 ロボットほど科学を押し固めて作られたものはない!

 じゃあ、言ってのけれる!

 さぁ、言ってやるのだ!

 このぼんくらに、なにが限界かを!

「十あれば十に達しているということだ!」

 まったくマスマティクスで形而上学であった。

 しかし仕方がない!

 人間だって、人体がどう作用して自分はそれによりこう動いている!

 なんて自覚しきっている奴などいない!

 実際は動くから、動くなのだ!

 十であるから十なのだ!

 限界だから限界なのだ!

 さあ、ここまで見事かつ思いっきりの真理に対し、机上でせこせこやっている科学者!

 どう答えるというのか!

「その十は十であるというところの十はなんなのだ?」

 さすが名答である!

 たとえばなんにもないところに数字の書かれている!

 これはなんの数字だろう!

 知らん!

 数字とは指標である!

 ひとつ、りんごがこの数字の隣でいたらこの数字はりんごの数であるかもしれない!

 キロやメートルを書き加えれば距離や速度かもしれない!

 ただ数字だけでは、頭のなかを空回転して結論、やはり知らん!

 となるわけだから、頭にあるその観念をりんごに集約させ表現することが伝達である!

 わヲんは、ここからさらに頑張らなければならない!

 ロボットなりのニューロンを総動員しろ!

 抽象概念という天使をりんごまで、現実まで堕天させるのだ!

「十とは、人間の心のすべてだ!」

「ならばその心の一部が十あわせれば心になるんだな」

「そうだ!」

「じゃあ、その一部の一とはなんであるか」

 先生なお理詰めである!

 わヲんはもう頭のなかが空っぽである!

 雑巾でいえば、もう一滴だってかなわないところだ!

 だが絞り出さねばならぬ!

 たとえなくとも!

 ハッタリでも!

 言い切らねば、一は一から脱出できない!

 こんな屁理屈では、話も進まない!

 わヲん、渾身の一言!

「心の一とは、すなわち、きっと、たぶん、一である!」

 脱出失敗であった。

 やはり天使は天界で蝶のよう楽しく遊ぶ夢のままであった。

 わヲんは悔しい歯ぎしりをした。

「ちくしょう、僕には限界がわからない!」

「わかったか、わヲんよ。ノアの限界とはお前がはかれるものではない!」

「そうかもしれない、だが!」

 この期に及んでまだなにか最後の悪あがきをしようとしている!

 なにもかも尽き果てた頭で!

「ノアの傷つく姿は見ていられない!」

「限界すら定義不足のお前が、なぜノアが傷ついているとわかる!」

「だって、こんな重たい雰囲気になっているだろう!」

 ノアの指させば、いつもと大差ない。

 罪の荷も心もおろしたように、無表情だった。

 なんなら無理やり感の否めないが、ちょっと笑った。

「大丈夫だよ」

「疲れた人のそれじゃないか!」

 先生へそう示した!

「気づかってほしいための演技だな」

「なんで、そう言い切れる! あんただって限界を定義できないだろ!」

「そんな屁理屈は関係ない!」

 先生もう飛び出しそうな目ん玉をさらに見開く!

 矛盾、理不尽を足蹴に土下座させるに足る勢いである!

 ちょっとおののきながら、わヲんはなお踏ん張る!

「あんたに人の気持ちはわからない!」

「あぁわからんさ、しかしその子の心はわかる!」

「なんでだ! 僕にわからずあんたにわかるわけがない!」

「私はその子の親だ!」

 わヲんは衝撃的な事実を思い出し、直面した!

「なんならば、その子は私の娘だ!」

 逆さまにして同じ意味なのに、ふたつ分の衝撃であった!

「そしてお前はその子のなんでもない!」

 べつに恋人でも、家族でもなく、血も繋がっていない。

 気の遠くなって倒れそうにふらっとした。

「でもせ、先生だって、疑惑が」

「あのあと恐怖へ打ち勝ち検査をしたら一致したよ」

「そんな馬鹿な!」

「デオキシリボ核酸が言っているんだ! 親子だと!」

「なんて残酷なことを知らせるんだ遺伝子よ!」

 茫然自失!

 這う這うの体であった。

 なお先生はこの際だから容赦しない。

「わヲん、私はその子にとって確固たる定義ができたぞ。お前はどうだ?」

「僕は……なんだ?」

「言ってやろう強いて言えば、仲間!」

 地獄の鬼のようなのから、すこし救いの糸だと思った。

「しかし足手まといの仲間だ!」

 糸はきっと地獄に通じていた!

「そ、そんな!」

 それこそ一番いて迷惑な奴である!

 日ごろ気の良く接して、いざとなればてんでダメ!

 意図せず仲間すら窮地へ追い込む!

 それで自分が危なくなったら助けてくれとほざきだす!

 あるいは助けてくれとは口にせず、ただ助けてほしい感をだす!

 で、戦いの終われば調子のいいことを言って、また足を引っ張りながら同行する!

 ただみんな抜けろとは言えない!

 悪い奴ではないから!

 わざとではないから!

 気のいいやつだから!

 空気の読めポンコツなだけだから!

 それに仲間はみな優しいのだ!

 優しさに自覚もなくつけ入っている!

「お前はあくまでノアの前座であり、また不意な攻撃から娘を警護するのが役目だ」

「もうやめてくれ! わかっているんだ!」

 涙の懇願まったく相手にされない。

「それがなんだ! 守ってもらうばかり! 大きなことを言うばかり! 負担ばかり!」

「違うんだ!」

「なにが違うんだ! 科学で言ってみよ!」

「とにかく違う! 僕は頑張って!」

「頑張っていれば、科学的に守っているのか! 正義を行使しているのか!」

「それは……」

「お前に親子に差し出がましく言えるだけのなにがわかるか!」

「やめてくれ!」

「さらに言えばお前のへっぽこで私の顔へまで……」

「あぁ、もううるさいよ! お父さん! 友達を馬鹿にするあなたなんか大っ嫌いなの!」

 ノアの叫んだ!

 爆発のまぎわ、温厚な人のみせる怒りで引き結ばれた口もと、小さく聳える肩。

 また潤んだ瞳が、わヲんの目に滲んだ姿で映った。

 友達とは救いであるが、同時にわヲんはなぜだか心の十のうち九まで深手を負った。

 怒りの爆発は、どの父の顔おも消滅せしめ、研究所の内部のあらゆるを一掃せしめた。

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