人間始めたくば、まず大声で泣け。

 なにもかもを治し、なにもかもが傷だらけである。

 老いるとはそういうことかもしれない。

 わヲんは、この老いを光速で受けたロボット。

 逆ウラシマ効果というべきものに遭っている。

 黒い髪を白くして、黒い扉のまえで膝を抱えてさも哀れ。

 きっとこの廊下が街中だったなら、往来から少し小銭くらい投げてもらえる。

 そういう哀れ。

 しかしこんな長い廊下だけの場所で、だれが身銭のきってくれるものか。

 同情や慰めを与えてくれるものか。

 わヲん、場所は選べ。

 だが!

 なんとそんな奇特な方がいた!

「すみません、邪魔なんですけど」

 奇特な方だけあって、辛辣である!

 こんな哀れ者をつかまえて、邪魔あつかい!

 どこの追剥ぎだと、顔を上げたらイロハだった。

 やっぱり世には奇特な人もなければ、親切なロボットもそうそういない。

 あるのは残忍な追剥ぎと、無感情きわまる冷たい鉄屑だけだ!

「はぁ、僕を笑いに来たのか?」

 いくらでも笑うがいい。

 いまのわヲんは変形は愚か、立ち上がる気力なんてない。

 しょせん悲壮を笑ってもらって、慰めの身銭稼ぐピエロである。

「いえ、ノアの経過を見に。あとなにも面白くないので、ただ邪魔です」

 むしろわヲんが笑かされた。

 ハハハ、と水滴ひとつないガラスコップと同じくらい乾いたものだったが。

「僕はいったいなにをやっていたんだろう」

「愚痴っぽくなるより、はやく退いていただけますか?」

 もはやそんな銃弾は無意味である。

 幽霊がプラズマだろうが、ほんとうの幽霊だろうが、銃弾なぞすり抜ける。

 その代わり、もう亡くなっているのだ。

 この迷宮ですすり泣いてさまようべき亡霊なのだ。

「嫌われていたって、もっと早く気付くべきだった」

「はぁ」

 お得意の「はぁ」である。

 この少女は体は大砲、馬、少女と連想ゲームにもならない変形ができる。

 なのにどうなっても心は、頑なに変形せず冷徹なのだ!

 そこに呆れが加わってできるのが、めんどくさいけど返事しとくかからくる「はぁ」

 これでは、いくらに完璧に作られたって誰も助けられない。

 心を真に助けるのは適当な相づちの「はぁ」でもない!

 まして、言葉の銃弾なんて凶器では断じてない!

 救いある現実なのだ!

 そんなものが鉄面皮で、変形のへの字も知らぬ未熟にわかるか!

「ノアは、あなたのこと嫌っていないと考えます」

 わかるのか!

 なんなら救いすら用意するのか!

 たしかに言い方こそ、起伏なく冷たいが内容はなんだか励ましじゃないか!

 しかしここまで悲しみの淵で老いているわヲんは、頑迷である。

「慰めは止してくれよ。でももうちょっとそういう言葉ほしいな」

 酔っ払いが、となりの子供に愚痴を聞いてもらっている情けない図がある。

 それでもアルコールの力でもって愚痴りたいときもある!

 肝臓を傷めてでも、心を解放せねばならぬ瞬間が大人にだけある!

 まぁわヲんは、未成年者の見てくれで、酒も飲まないのだけど。

「だいぶ酷い弱り方ですけど、慰めではないですよ」

「じゃあ君は僕をどうしたいんだ!」

「邪魔なので退けたいんですよ」

「ならやってみろ! どうせやれるんだろ! 変形もできて優秀ですな!」

「まだ根に持っているんですか?」

 やっと顔を上げ激昂したと思えば、泣き上戸と、怒り上戸のない交ぜであった。

 こんな惨めなものをみる少女の目ったらない。

 薄くひらいて、輝きをすこしも入れない!

 まるで擦れてもはや未来に、希望も情熱もなくしたようじゃないか!

 その尽きた未来や希望の残滓が、わヲんであるようじゃないか!

「なんでノアが、あぁ改造されたと思いますか?」

「ホヘト先生が無理やりだろ!」

「違います。あの人は、じぶんで受けたのです」

「なんだと?」

「いちおう先生は、当人の承諾をとりに行ったのです」

「そんな、あの非道な人が!」

「じぶんの娘ゆえ気も咎めたのでしょう。通過儀礼でどうなっても強行したでしょうけど」

「というか、ならばなぜノアはそんな!」

「あなたを守りたかったそうですよ」

「嘘だ! だったら僕を嫌いだって! 出てけって脅したりして!」

「あなたがじぶんの力で傷ついたからじゃないですか?」

 なんという盲点!

 想像力の欠乏!

 目から鱗!

 たとえば!

 人質を助けようとして誤って、その人質へ怪我をさせてしまった警官。

 練習に励みすぎ、試合当日に体を壊してしまい一回戦敗退を見守るしかなかった主将。

 催し物を主催し友人全員に招待を送ったはずがうっかりひとり忘れていた主催者。

 だれが悪いと責められる!

 もちろん責めたい気持ちがあったとして、責められる奴はそういない!

 なぜならすべて善意から来ていて悪気がない!

 だが強いて責める者があるとすれば、それは当人である!

 これだけの善意をもったものがゆえの罪悪感!

 人として正常ながら、あまりにも真面目で誠実がゆえの呵責!

 ある程度丸く収まった、仕方なかったで、済まされるのはその周りだからこそである!

 なんなら周りや、その被害に遭った人たちはどうとも思っていない!

 それどころか感謝すらしに来るかもしれない!

 そしてそれが当人を、よりいっそう責める!

 嬉しそうな表情も言葉も嘘っぱちだ!

 きっと周りは俺や私を恨んで、その意趣返しに来ているのだ!

 ノアにとって、わヲんはその周りであった!

 見たくないものであった!

 じぶんの善意が傷つけて、そのうえ無理に笑わせている悲哀であった。

 だが、イロハよ、よく言ってくれた。

 君は変形もできれば、本意はどうあれ助言もできる至高のロボットである。

 さて、わヲんはこんなことにも気づかないろくでなしである。

 しかしだ!

 その鈍さは折り紙付きだからこそ、こうなってしまえば単純である!

「なんだ嫌われてなかったんじゃないか!」

 さっそくもう切り替わっている!

 それから黒い扉をあけ放つ!

「ノア、気にすることはない!」

 ノアは元気で大声のわヲんに、ベッドの上から「あ」の口をする。

 だが、そんな脅しがクワガタ属を勝手で卒業したわヲんに通用しようはずがない!

「君は僕のために改造までしてくれた! それは嬉しくって悲しい!」

「こないで! あ!」

 眩しく爆発した。

 病室内部、爆風ふきあれ、なんとか原型を残す!

 されどわヲん、無傷!

 機能も、精神もこんな嘘っぱちの拒絶では敵わないほど充実している!

「僕を見ろ! そんなものは効きやしない!」

「あ!」

 また爆発!

 なんて芸のなく、手加減の入った攻撃だ!

 退くこともなく、わヲんはなお進む!

「僕は君が思うほど弱くはない!」

「あ! あ!」

 いくら爆ぜたとも、しっかり黒煙を跨ぐ!

 そのさきで拭ってやらねばならぬ涙がある!

 泣き叫ぶ爆心地へ近づく!

「いやたとえ弱くとも守りたいもののためなら強くなる!」

「あ!」

「君が僕のためにしてくれた勇気ってやつを、僕もそれ以上のもので戦い! 守る!」

「あ!」

「僕は正義のロボットだ!」

「あ!」

「正義とはこの世のすべてを覆い尽くす絶対不変の原理だ!」

「あ!」

「みな正義を追い求める! 正義を勝ち取る! 悪だって勝てば正義を勝ち取るだろう!」

「あ!」

「しかし! どんな悪も僕を倒せないから正義は手に入らない!」

「あ!」

「なぜならさいごに僕は立っているからだ! 君を、世界を守るために!」

「あ!」

「ノア! 僕に退いてほしいなら! 僕を君や正義の戦いから遠ざけたいなら!」

「あああああああ!」

「僕を倒してからにしろ!」

 もう病室も滅んだなか、すべてのこもった「あ」の連鎖爆発であった。

 あとわヲん、なかなか尊大に語っていた。

 ただこの正義のロボットまだ一体しかまともに倒していない。

 また倒れ諦めかけた数なら、手足の指で足らぬほどある。

 しかし笑いたい奴は笑わせておけ。

 倒れ諦めかけたとき、それでもと立ちあがっているからその数をかぞえられる!

 それに結果論という言葉がある!

 どれだけ弱かろうが、嫌われものだろうが、ダサかろうが、不細工だろうが。

 最後に立っていれば、性能も!

 性格も!

 容姿も!

 根性も!

 暫定同率一位なんぞという甘えた実績も!

 どうだってよくなる!

 結果さえあれば、そんなものはひっくり返る!

 なにもかも美談になって、肯定され、汚名だって引き立て役になる!

 だからいまみたく、泣ける少女を抱きとめるさすがにボロったくなった正義のロボット。

 これも結果論から、また美談である!

 そして泣きじゃくった少女が押し騙していた本音を言うのだ!

「ごめんなさい! ありがとう!」

 もう病室なんて崩れかかっている。

 おまけの爆撃は、わヲんにとって悪くない痛みであった。

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