第2話
日曜日。午後八時、私は河川敷にいた。私と貴女の二人きりのお葬式。これは私から彼女への弔いだ。あの世への贐だ。新たな旅路へ向かう彼女への、私からの餞別。彼女が向こうでも幸せに過ごせますように、彼女らしくいられますように、とただただ願う。線香花火を手に持つ。カチッと音が鳴り、ライターに火が灯る。オレンジ色のぼんやりとした灯りを見つめる。線香花火に火を移す。最初はぱちぱちぱちと小さく揺らめき、だんだんと花火は勢いを増す。勢いが最高点に到達したところで、ぼとっと落ちてしまった。仕方がない。もう一度付けるか。
また、花火に火を灯す。ぱちぱちぱち。先程と何ら変わりがない。ただ無感情に揺らめく灯りを見つめている。
---ねぇねぇ。
幻聴だろうか。彼女に似た声が聞こえる。いや、きっと似ている人が近くで話しているだけだ。これは彼女じゃない。貴女はもう居ないのだから。私は骨になった彼女を見た。それが答えだ。
---もう。聞こえてるでしょ。
思わず、声のする方へ振り返る。貴女が、居た。ちょっと拗ねたような顔をして私を見ていた。傷一つなくて、至って健康な貴女がいた。愕然とする。開いた口が塞がらない、とはこのことだ。何故、貴女が居るのか。やっぱり死んでいなかったのか。それとも私も死んだのか。それならば嬉しいことである。だけど、私だけが死ぬのが正しいのだ。貴女が生きていなくちゃ意味が無い。ぐるぐると取り留めもない考えが巡る。線香花火がするりと手から零れ落ちそうになる。
---離しちゃだめ。
一際大きな声で貴女は言う。肩が跳ね上がる。ぐっと手に力を込める。彼女は続ける。
---不思議な力のおかげで線香花火が灯っている間だけはこうして話せるの。故意に手から離さなければ、途中で花火が消えることはないんだって。
なんて、都合のいい夢なんだ。私に都合が良すぎる。通常、線香花火は最後まで燃え尽きることが少ない。だから、皆最後まで燃え尽きるように、落とさないように、揺らさないように、と楽しむ。それが線香花火の醍醐味だ。なのに、今日に限ってはそれがない。それに貴女にも逢えるなんて、私に都合が良すぎるのだ。
---ふふっ。夢みたいって私もそう思う。また、逢えるなんて思ってもみなかったから嬉しいなぁ。
私も。私も嬉しい。気が抜けたみたいに破顔する。きっと締まりのない顔をしているんだろう。けれど、もうどうだって良かった。キャラとか、体裁とか、人の目とか。貴女にまた逢えたから、こうして話せたから、もう何もかもどうでも良いのだ。
---えー、今日は素直だね。なんだか素敵な魔法にかけられちゃったみたい。
そうかもね。私、きっとどうかしてる。他愛のない話に花を咲かせる。近所の猫が塀で日向ぼっこをしていた話とか、昨日の空は澄み渡るような青だったとか。本当にどうでもいいこと。だけれど、私たちには大切なことだった。有り触れた日常を共有することですらも、心が踊るのだ。貴女が居なくなってしまってから、全く笑えていなかったはずなのに、愛想笑いの作り方しか分からなかったはずなのに、貴女と居るだけでこんなにも自然に笑えている。貴女が居るだけで私はこんなにも幸せになれるのだ。
でも、幸せは突然終わりを迎える。貴女の姿がだんだんと霞んでいく。だんだんと声が途切れ途切れに聞こえてくる。だんだんと夜闇に溶け込んでいく。だんだんと、消えていく。静かな夜、だ。
二本目。もう一度、花火に火を灯す。ゆらゆらと蠢く光を熱心に見つめる。あ、点いた。夜空を見つめる貴女に私は一つ聞いた。
ね、そっちに私も行っていい?
ひゅうひゅうと音を鳴らしながら風が通り過ぎる。髪の毛が揺らめく。静寂が辺りを支配する。私は続ける。ずっと言えなかった想いをぽつぽつと吐露する。私が死ねばよかったのに、なんて誰にも言えなかった。皆優しいからそう言わないだけで、心の中では思っているはずだ。貴女じゃなくて、私が、居なくなれば良かったのだ。それなのに私が生き残ってしまった。あと十秒別れが遅ければ、私も一緒に逝けた。私が貴女を助けることだって出来たかもしれない。でも、いつだって現実は残酷だ。私が思い描く日常よりも、汚い現実を見せてくる。私はただ、ただ、ただ。貴女と一緒に生きていたかった、だけ、なのに。
いつの間にか、雫が頬を伝っていたようだった。雫を拭うように風が優しく頬を撫でる。貴女の表情は見えなかった。眼球が半透明の膜に包まれているみたいだ。貴女の存在を確かめたくて手を伸ばす。空を切る。ぼとっ。下を向く。線香花火は地面に横たわっていた。彼女はもう、消えていた。
三本目。彼女に逢いたくて、急いで火を灯す。ぼやぼやと煙に混じって彼女が姿を現す。真剣な面持ちで私を見つめる。鋭い視線にいたたまれなくなって、生唾を飲み込んだ。
---これでほんとのほんとに最期だよ。
どういうことだ。彼女は最後だと言った。疑問が無数に頭に浮かぶ。どうして、最後なんて言ったのだろうか。貴女がこうして現れるのに時間制限があるのか。なら、どうして最初に言ってくれなかったのか。
---うん。魔法のランプだって、叶えてくれるのは三つまで。それと一緒だよ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。消えないで。その不思議な力なんて言うものに私も願うから、私の命だってあげるから消えないで、消えないでほしい。ずっと一緒にいてよ。頭を振りながら駄々をこねる。世界中どこを探したって、貴女の代わりは居ないのだ。私のことを笑わせてくれるのは貴女だけなのだ。それなのに、それなのに、居なくなってしまうのか。
---いいから聞いて。私は君が生きていてくれて嬉しいよ。だから、そんな、悲しいこと、言わないでよ…。
そんなこと言われたって、私が生き残るべきじゃなかった。私が、私が、私が、死ぬべきだった。全身全霊をかけた叫びが木霊する。
---私はもう死んでるんだよ。でも、生きてね。私、君の笑顔が一番好き!
だからもっと笑ってるとこ見せてよ。
それで、百年後とかこっちにきた時、今までで一番の最高の笑顔見せてよ。約束ね!
そういい放って、貴女は消えてしまった。晴れやかな笑顔のまま、夜闇に吸い込まれていった。私に呪いを植え付けて、貴女はそっちに行くんだね。
私は貴女が大嫌いだ。嫌いで、嫌いで、嫌いで、でも、どうしようもなく好きで。好きすぎて憎たらしい。この行き場のない感情はどうしたらいいのか。貴女が居なきゃ、私は生きていけないのに。前へ進めないのに。どうしたらいいの。
---大丈夫。ずっとそばに居るよ。
声が、聞こえた気がした。貴女の、大好きな貴女の声が聞こえた。撫でるような、私を包み込んでくれるような声が聞こえた。もう見えないのに、声だけは確かに届いていた。温かさに胸がいっぱいになる。見えなくても存在がなくても貴女がそばに居る。それだけで頑張れる気がする。
もう線香花火は落ちていた。
線香花火が落ちるまで、貴女は傍に居てくれた。線香花火が落ちたとしても、貴女は傍にいてくれてる気がするの。
そうだよね。
顔を上げる。もう迷いなんてなかった。
1分にも満たない時間。それでも貴女に逢えて幸せでした。百年後、そっちで笑って迎えに来てね。約束、だよ。
スカビオサ、私から貴女へ贈る言葉。「私は全てを失った」私は貴女が全てだった。貴女が私の世界の中心だった。けど、もう貴女はここには居ない。私は乗り越えていかなくちゃ行けないんだ。
ヒマワリ、貴女が好きな花。「あなたを見つめる」「未来を見つめて」考えすぎかな。貴女からのラブレターに聞こえてしまう。そんなこと貴女が考えているはずがないのに、けど期待をしてしまう。
最高に可愛い笑顔を見せるから待っててね。
きらり。無数の星明かりを見つめる。涙はもう乾いていた。
線香花火が落つるまで。 水瀬 凪 @nagi_mizuse
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます