第5話 日本兵の悪夢、連絡のない瑛人の母

 東大生は忙しい。文系ならば弁護士か国家公務員を目指す。理系ならば進学振り分けを乗り切らねばならず、その後は専門課程で実験と研究活動に忙殺される。一見、暇そうに見えるのは文科Ⅱ類。その余裕そうな生活は、駒場キャンパスにいる野良猫に例えられ、「文Ⅱは猫」と言われている。

 瑛人は東大入学後、家庭教師のバイトを始めることとした。これは、「東大家庭学習モットーの会」の紹介である。相手は小6女子で、中学受験を控えていた。

 サークルではサッカーを始めた。「コールドスリーパーズ」というチームで、初心者中心で気楽に参加できるサークルであった。

 クラスではシケ長を務めることとなった。東大では試験対策委員会なる自主組織があり、各クラスの代表がシケ長と呼ばれている。シケ長をやっていれば、試験対策の情報が無理やりにでも入ってくるわけだから、これで試験対策は抜かりないだろう。そのように瑛人は考えていた。


 日本の最高学府東京大学入学という輝かしい結果に関わらず、瑛人は悪夢をみるようになっていた。瑛人の見る悪夢では、太平洋戦争における様々な旧日本兵と視界がシンクロしていた。その日の日本兵は硫黄島の兵士であった。

 その日本兵は何十日も飲まず食わずで洞窟に潜んでいたが、ついに地上のアメリカ兵に戦闘を挑むこととなった。味方で何人も餓死寸前だったからだ。

 瑛人の憑依した日本兵は日本刀と短銃を持って洞窟を出た。何十日かぶりの日の光がまぶしく、外は潮の香が満ちていた。意外なことに周囲のアメリカ兵は日本兵に気づかず、そのまま何かの話しを続けていた。

 日本兵は近くの3人組アメリカ兵の背後の近くまで近づき、日本刀を振り上げた。その様子に、近くの岩場いたアメリカ兵がようやく気づいたが、声を出すわけでもなく、銃を構えるわけでもなく、急いで逃げ去ってしまった。日本兵はそのことは無視し、渾身の力を込めて、一人目のアメリカ兵の背中を切りつけた。

 目の前に、鉢巻を巻いた日本兵が現れた。しかも、日本刀を持っている。残り二人のアメリカ兵は混乱状態に陥った。二人は恐怖に引きつり、おびえ切っていた。二人ともわずか18歳だったからだ。

「あああああ」

 日本刀をもう一振りすると、二人目のアメリカ兵の右手首が吹き飛んだ。その手首より先には短銃が握られていた。

 丘の上から、アメリカ兵がライフルを発砲し始めた。流れ弾が飛び交う中、その場に這いつくばった3人目の青年兵は「ノー、ノー」と叫びながら、命乞いをしていた。

 日本兵は丘の上を目指して前進し始めた。

 マシンガンがようやく到着し、射撃が始まった。マシンガンは、まったく違う場所を射撃していた。その先は洞窟の入口であった。入口からは味方が何人も這い出てきていたところだった。

「あいつら、生きていたんか」

 しかし、仲間たちの体は一瞬のうちに血煙と化していた。

「靖国で会おう」

 日本兵がつぶやいた。

 マシンガンが瑛人の方に照準を向けられたとき、夢が終わった。


 瑛人が起きると全身は汗で覆われていた。

 瑛人は下着も含めて着ていたものを全て着替えて、父親と朝食を共にした。ロシア情勢のニュースを見る父親に瑛人は話しかけた。

「なあ、親父。母親は外国で何をやっているんだ?息子が東大に入学したのに、何の連絡もないだなんておかしくないか?」

 父親は、はっとした表情となった。息子からの雑談は、ミサイルや戦闘機以外の話題にほとんど反応しないがこの時は違った。

「きっと、機密レベルが高いから連絡できないんだろう」

「この5年間、一度も連絡できないだなんて、どんな仕事だよ」

「それは、私にもわからない」

「ひょっとして、連絡ができない状態なんじゃ・・・」

 父親は慌てたように、息子の発言を遮るように答えた。

「心配するな。そのうち、連絡が来る」

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