ミートマトン
ゼロG歩行にはコツがいる。磁気スケートを全面的に信用すること、足裏の向いてる方を「下」と定義すること。
アニメーションの矢印に従って、俺は壁を滑っていく。途中で落書きを見つけたので踏んでやった。二本の脚で直立するイカの回りに口汚い文句がずらりだ。スクィディオの想像図だろう。目撃証言はあるが捕虜は一匹もいない。絵はスケートに削られすぎて消えかかっていた。
視界の端に映るのは今日のニュース――国際政府、デモを鎮圧。死傷者多数――敵対的買収で数兆ドル規模の軍事
マヌケだって? 同意しよう。だがこいつは真空へ放り出されるってことを忘れないでほしい。対して俺には空気が必要だ。空気圧に耐えるのは球形殻が最善だし、その後ろへ推進機をつけなきゃならない。そうしたらほら、電球の形になるってわけだ。
「うわっ」
ファイターの前でレーザーアレイを磨いてた整備士が、俺を見て声を上げた。と思う。格納庫は雑音だらけなんだ。使える壁を全部収納と整備に使っちまってるせいでまあ、うるさいのなんの。
整備士はすぐ姿勢を正すと、俺に言った。
「もう終わりますんで。乗ってお待ちください」
パイロットに対する敬意で満ちた顔。たしかに俺は、ユタの牧場から来た割にはよくやってる方だろう。だがこいつの表情はちょっとわざとらしい。
「わかった」
「おい! 工具箱はこっちへ置けって言ったろ!」
整備士が助手へ滑り寄ると、いきなり工具で引っ叩いた。
俺はコクピットへ潜りこむと、マスクを装着した。黒いグローブに包まれた手で前側の壁を押す。シートに背中をつけるとすぐ身体が磁気固定された。後頭部へ小さな氷をくっつけたみたいな感触が頼もしい。システムが生きてるって証だ。プラグがインプラントへ接続されたかどうか確かめるため、脳直でテスト信号を送ってみる。
〈受信。感度良好〉
コクピットが密閉されたとたん、世界が回転した。いや違う。背中にGがかかるといつもこうなる。人間はサバンナで生まれたのであって、決してゼロG空間で発生したわけじゃない。
ふいに、シートを残してすべてが消え去った。見えるのは格納庫の景色だ。赤黒いトンネルが迫ってくる……まるで出産をもう一度経験してるみたいに。
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