ママ、お掃除をする

 侵入者を喰らう真っ赤な蜘蛛。

 そんな噂も流れていた。

 アジトの噂が本当だったので、こちらの噂が事実であることに疑問はない。

 天井に張り付いていたそれ——蜘蛛の頭に女の上半身がついた魔物、アラクネは私に殺意を向けた。


「初対面の魔王に対して、随分と攻撃的ね。貴方、友達少ないでしょ?」

「私はマスターの命令に従うのみ。侵入者は全て喰らう。それだけのこと」

「実力差を理解できないの?と聞いているのよ」


 真紅のアラクネは両腕から、複数の糸を束ねた太い糸を発射。部屋中に蜘蛛糸を張り巡らせる。

 なるほど、戦場を支配することは勝利を支配する、だっけ?

 私の予想通り、アラクネは大きく飛び上がると、張り巡らせた蜘蛛糸を縦横無尽に飛び回り始めた。

 速度は発射された鉛玉と同じくらいかな?


「いかに魔王といえども、この速度での攻撃は避けられません」

「いや、そんなことはない——痛っ」


 頬を何かが掠った。蜘蛛が吐き出すものだから、毒針か何かだろうか。

 流れる血を手の甲で拭い、傷を回復魔法で治す……治りが悪い。


「魔力阻害の毒ね。厄介だけど、解毒できないわけじゃないわ」

「ならば数を増やしましょう。数百、数千、数万。どこまで耐えられますか?」

「う〜ん……数億?」

「ふざけるなっ!!」


 アラクネが激怒し、一瞬で私の体が針山のようになった。肌は酸の毒で溶かされ、全身が痺れる。体の一部は貫かれている。

 おまけに糸で体を縛られ、宙に吊された。

 アラクネの愉悦に浸った顔が間近に迫る。


「お前はマスターの計画を邪魔した」

「マスターって誰?せっかくだから教えてくれるかしら?」

「本気で言うと思ったか?お前は魔王ではない。ただのバカだ。羊の容姿で敵の意表を突くことしかできない。愚かな生き物だ」

「愚かで結構。私は結果の過程を大切にするの。勝利の結果しか持っていない貴方と違って、私は無数の失敗と敗北を味わった。意味がわかる?」

「えぇ。今度は私に負けるということがねっ!」


 アラクネの右腕が私の胸を貫く——直前に吹き飛んだ。

 緑の血が吹き出し、同様したアラクネは糸から転落する。

 あ、糸が緩んだ。今のうちに毒針を全部抜いて回復〜。

 私は地上へ降り立ち、左腕を再生させたアラクネと対峙する。


「お前、何をした……」

「屋根裏に住み着く虫を殺す毒を少し放った」

「そんなものは知らないっ!」


 アラクネの放った糸は初級土魔法『土弾』で全て相殺。単調な名前と攻撃に反して、威力はなかなかのものだ。

 さらに初級炎属性『炎生波』で床をお掃除。

 地面に突き刺さっている毒針を焼き尽くす。

 アラクネは飛び上がり、蜘蛛糸を再び跳ね回り始めた。それが失策とも知らずに、ね。


「知識は何よりの武器。知っていると知らないとでは雲泥の差。失敗は知識の種よ?」

「何が言いたい!?」


 太い蜘蛛糸が張り巡らされた闇から怒号が聞こえてくる。

 なので、頭上から降り注ぐ高速の糸玉を握りつぶし、アラクネに死刑を宣告しておく。

 

「虫は燃えやすいの。それと、蜘蛛糸は太くて頑丈でも、とても軽いのよ?」


 右足で思いっきり地面を踏みつける。

 最初に用意していた魔法が展開され、床全体に幾何学模様の魔法陣が次々と姿を現す。

 

「そ、それは……!!」

「私は普遍な魔法が嫌いなの。魔力消費も多いし、威力も低い。速度も遅い。だったら、私が一から作ればいいと思ったのよ」

「お前は、お前はぁぁぁぁっ!!!」


 半分の魔法陣から炎が吹き出し、もう半分からは竜巻が放たれる。

 二つの魔法は混ざり合い、全てを焼き尽くす熱風へと形を変えた。

 その温度は蜘蛛糸を灰すら残さず全て燃やし、その威力は天井すらも吹き飛ばした。

 これぞ、上級炎風融合魔法『炎滅輪風』!


「屋根裏のお掃除用の魔法だったけど、こんなところで使うことになるとはね……人生って何が役に立つかわかんないよね」


 掃除で家が全焼しかけた話も、今となっては笑い話。娘達よ、本当にすまなかった。

 微かに朝日が見える夜空を眺めると、私は残った最後の扉を開けるべく歩みを進めた。

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