ママ、羊になる

「それじゃあ、羊さん達。おやすみなさい」

「メェー」

「メェー」

「めぇー」


 牧場主の奥さんと思われる女性が羊小屋の扉を閉める。

 強固な鍵のかかる音が遅れて聞こえた。

 安全に守られた小屋の中で、私と同じ見た目をしている者たちは眠りにつく。


『よし、いくか』


 動きにくいフワッフワの毛皮を纏い、短くなった手足で羊——になった私は動き出す。

 ふっふっふ。これで誰にも気が付かれることなく、魔王城を抜け出すことができた。

 昼間。精神干渉魔法で羊達の記憶を消した際に生じた記憶の隙間。

 その隙間に無理やり私の意識をねじ込み、体の支配権を奪ったのだ!

 ……羊相手に魔王が本気出してどうするんだっつーの。


『おっと、時間がない』


 小屋の壁を短距離転移魔法で飛び越え、飛行魔法で身長の二倍ある柵を飛び越す。

 あっという間に牧場の外へ。気が付かれている様子はなし。

 

『さ〜てと、噂の出所を掘り出しに行くわよ』

 

 街に流れている噂は、思ったよりも正確なものだった。

 魔王城から見て南西とか。

 枯れた老木が近くにあるとか。

 真っ赤な蜘蛛が侵入者を喰らい尽くすとか。


『あの娘が嘘を私に伝えた、とは考えにくいのよね。後付けされた情報かしら?』


 ひたすら魔王城南西部を私——羊は爆走していく。身体強化魔法と雷魔法の併用は効果的。

 雷狼の噂が流れても仕方ないことだろう。

 しばらく何もない草原を走っていると、視界の隅に何かが映った。

 

『ん?』


 火花を散らしながら急ブレーキ。夜目は効いている。見間違いのはずがない。

 名も無き飛行魔法を発動。月の無い夜空に羊が大跳躍し、”それ”を見下ろす形をとる。


『……やっぱり』


 そこにいたのは二人組の魔族だった。しかも、こんな夜遅くに全身黒服とは。

 よほど服装選びのセンスがないのか、それとも凄く怪しいことをしているのか。


『間違いなく後者だね』


 二人は暗闇の中を、”南東”方面に真っ直ぐ進んでいく。

 私はその上をのんびり飛んでいく。

 何分飛び続けただろうか。

 二人組の魔族は、一本だけ残った枯れた老木の前で立ち止まった。

 私がそーっと地面に着地すると、魔族達の会話が聞こえてきた。


「それにしても、今回の奴隷達はかなり値がついたなぁ。総額で金貨何枚だぁ?」

「三千と少し。利益としては二千枚ね。仕入れ値が上がった割には、まずまずの結果じゃない?」

「今まで魔王の時は、奴隷が多くて助かったんだけどなぁ。今回の魔王は少し違うなぁ」

「わざと偽のアジトを作ることになるなんてね。こんなこと初めてよ」


 声からして男と女の二人組。話の内容から察するに、裏の組織にどっぷり浸かっている。

 男が大木に手を当てると、音を立てて地面が開き、地下へと続く階段が現れた。

 そりゃ見つからないわけね。

 二人組が何事もなく階段を降り始めると同時に、私も動き出——パキッ。


『……め、めぇー』


 前右足を上げる。折れた小枝とこんにちは。

 直後、凄まじい殺意が羊を襲った。

 異常な量の魔力が二人から放たれている。


「ガイラ……あれは羊かぁ?」

「えぇ。羊ね」


 男は長剣を顕現させ、女は腰に携えた双剣を構える。

 お互いに顔を見合わせ——破顔。


「「殺すか」」

『!!』


 地面から鋭い炎の荊が突き出し、周囲一体を針山へと変えた。

 私は魔法障壁で荊を防ぎ、即座に水魔法で羊毛を濡らす。

 フワッフワだった羊毛が、ピッタリと体に張り付く。これで動きやすい。


「おい、防がれてるぞ?」

「ただの羊じゃないわね。ま、殺せば分かるわよ」

「んじゃ、遠慮なく」


 男が長剣を振るいながら突撃を開始。

 あっという間に距離を詰められた。首を狙った死の一撃はギリギリで回避、からの跳躍!

 

「うがっ!!」

『めぇー』


 無防備な体に頭突きを喰らわせる。

 男は吐血しながら、夜空彼方へと吹き飛んでいく。


「カルナ……っ!!」


 女には数百の氷属性初級魔法『雪構矢』を発射。防御魔法に専念させる。

 これは私の考えた魔法のひとつ。速さと消費魔力の少なさがウリ。

 男が落下するまであと六秒。

 後ろに大きく跳び、助走距離を確保。


『めぇー』


 可愛く一鳴き。自身の体に雷魔法と身体強化魔法を纏わせ、弾ける勢いで走り出す。

 弾丸のような速度で突っ込んだ私は、魔法障壁もろとも女の体を貫く。

 後ろでドサリと何かが倒れる音がした。

 


 





 

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