ママ、方針を変える

「すぅぅぅ……はぁぁぁ……」


 朝の日差しを全身に浴び、ゆっくりと、ゆっくりと、ゆっっっっくりと深呼吸。

 灰の中身が新鮮な空気と緑の風で潤った。

 ここは魔族領郊外の森の奥。

 こっそりと自室から抜け出しているので、誰かに気が付かれる心配はないだろう。


「まさか魔王が負のオーラを抑える朝練をしてるなんて、誰も思わないよ……ね?」


 私が魔王となって半年が経った。

 しかしながら、依然として問題は山積み。

 一つ解決すると問題が二つに増えている、なんて思わざるを得ないほどに。


『魔王様。こちらの資料なのですが……』

『魔王様!明日の会議の内容で相談が……』

『魔王様!!』

「う、うるさい……」


 全身から濃密な負のオーラが溢れ出し、周囲の木々を枯らしていく。

 

「しまった。証拠の隠滅を急がねば」


 回復魔法を応用。枯れた植物を元に戻す。

 木炭のように黒ずんだ樹皮が、ハリ艶のある色に舞い戻っていく。


「はぁ……」


 大きな大きなため息をひとつ。

 私が全ての内容を指示してしまったら、彼らの成長につながらない。それは分かってる。

 最初のうちは、分からないことは人に聞くのが一番早い。これも分かる。

 

「半年経っても変わらないのはダメだ……」


 彼らに才能がないわけではない。むしろ、頭の回転は良い方だ。

 だが、自分で決断する力がない。

 自分で自分の成長を拒んでいる。


「なら、導き出される答えはひとつ」


 私は、自分の背丈の三倍近くある大岩の前に立ち、親の仇のように岩肌を睨みつける。

 昨日の夜、寝る前に行った一人反省会で、私は大切なことに気がつけた。

 部下が成長していないのは、私が成長していないから、だと。


「まずは私が欠点を克服しないと!」


 私の一番の問題点は、対話する相手を負のオーラで威圧してしまうこと。

 これは、今後の関係を築く上で良くない。

 深く深呼吸。全身から溢れる負のオーラを体の中に押し込んでいく。

 そっと冷たい岩肌に触れる。

 負のオーラが出ていなければ岩は崩れない。

 反対に、オーラが出ていれば岩はくず——


「ふぇ?」


 目の前にあった大岩に無数のヒビが入る。

 思わず一歩後退り。しかし岩は崩れない。

 ……これは、成功している、のか?

 

「あ」


 どこからか飛んできた鳥が、ひび割れた岩の上にちょこんと座る。

 盛大に何かが崩れる音が森に響いた。



 


「——ですので、我が国の食料自給率は半年で大幅に上昇。麦の価格操作も順調です」


 今日は定期的に行わせる現状報告の日。

 今回の担当は農業部門。

 配られた資料に書かれていたのは、半年前と今の食料自給率のグラフ。

 麦農家に対する手厚い保護——通称麦政策は順調に進んでいる。

 まずは麦や特定の野菜農家に補助金を与える。

 すると、補助金を求めて麦農家が増える。

 しかし、国家が介入することで、市場に流れる麦の量を意図的に制限。

 爆発的に増えた麦は価格下落を経験することなく、手頃な価格で庶民の手に渡る。

 すると——


「関税を取り払ったことで、我が国を訪れる商人の数も増加。金銭的に余裕のできた庶民が、活気のある市場で売買。魔王様の、利益に応じた税収制度も順調に進んでいます」


 どよめきが各方面から聞こえてきた。

 なにしろ、半年でこれまでの一年分の税金を集めたのだ。驚きも仕方あるまい。

 私は何気なく紅茶を飲み……砂糖を少し混ぜる。ちょっと濃いわね。

 農業部門担当——ジュリアナ・ローゼントが私に視線を送る。

 黄金のように綺麗な双眸から放たれる期待の眼差しが心に刺さる。

 

「魔王様、次はどうなさいましょうか?」


 食い入るように見つめてくるなぁ。

 う〜ん。禁止していた野菜の順次解禁。それとも……口を抑える代わりに紅茶を一気に飲む。


 「魔王様?」


 ふわふわの短茶髪が首を傾げる。幼い容姿は同性ながらも破壊力抜群。

 なんというか……母性がくすぐられる?

 私は軽く咳払い。周囲の雰囲気がグッと引き締まるのを横目に、兼ねてから用意していた回答をする。


「貴方はどう思うのかしら?」

「わ、私ですか……?」


 ローゼント家のご令嬢は平然を装いつつ口籠ってしまう。

 何度も資料を確認。側に控えていた二人の同僚も呼び、三人で何かを話し合っている。

 時計の長針が五回動いた時、ご令嬢を残して同僚達は舞台を降りていく。


「決まったのね?」

「はい。ヘル様の貴重なお時間を浪費してしまい、大変申し訳ありませんでした」

「構わないわ。私よりも、貴方達の思案をめぐらせる時間の方が、よっぽど貴重なのよ?」


 頭を下げようとしたジュリアナを手で制し、話の続きを促す。

 やや硬直気味のジュリアナの重い口が開く。


「わ、私達ならば、家畜に対する飼料の増加を提案します。麦政策と進行中の肉類の生産増加……上手く繋げられるかもしれませんし」


 ……うん。合格かな。

 私が右手で丸を作ると、ジュリアナ嬢は今度こそ大きく頭を下げた。

 各方面からは拍手が鳴り響く。同時に、不安声も聞こえてきた。


『なぁ、次は俺達の番だよな?』

『良案を考えねば……』

『私、先に退出して皆に伝えてきます』


 うんうん。他の者にとっても良い刺激になったようだ。

 明後日の発表も心待ちにしよう。

 

 

 

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