3 帰巣本能

    3.帰巣本能


 リーンフォース――。擬似身体の意味だけれど、特に全身を擬身に換装する者をさして、そう呼ばれた。

「どう思う?」

 アグィが浦浜の消えたセーフハウス内で、誰ともなくそう訊ねた。

「不死身のカシチェイ……。本名、ボリス・コシコフスキー。ロシア系のハッカーで十二年前、混迷する小ロシアを脱出、各国でクラッキングをして稼ぐものの、十年前に米帝に逮捕される。

 その経緯も疑問だけど、精神をネットへ移す、その手法も謎ね。しかも、どうして脱獄した後、各国でサイバーテロを起こしたのか? 決して自分が得をすることもないのに……」

 プリティは落ち着いて、そう説明してみせる。


「実際、生きていると思うか?」

 アグィはそう訊ねた。

「ゴーストを移し替えた……と考えるのは難しいわね。むしろ、電脳に何らかのプログラムを置いておき、それが彼の死後も動いている……と考えた方がすっきりと理解できそう……」

 プリティの言葉に、ヴァイも頷く。

「生きているか? そこは微妙だろう。電脳にゴーストをコピーできたとして、それを本人としてよいのか……」

「AI生物論争に与する気はないよ。でも、奴の名を冠したテロが発生しつづけている事実は変わらんだろ」

 三人の討論を黙って聞いていたラヴァナが、このとき言葉を発した。

「今のところ、CIAからカシチェイがこの国に入った……これだけが判明している事実だ」


「カシチェイのテロは、これまで米帝にとって都合よく、敵対する勢力に向けられていた」

 ラヴァナの言葉に、アグィが「おいおい、もしかして米帝が裏でカシチェイを操っている、と?」

「もしくは米帝自身がカシチェイか……、だ」

「だが、米企業も奴のテロで被害をうけていたはずだ」

「目晦ましかもしれんし、制裁だったのかもしれん。増税に抵抗、情報提供を拒む、そんな企業をテロで懲らしめる。いずれにしろ、カシチェイが米帝を利してきたことは間違いない」

「それがどうして今回はCIAが彼を売ったのか? 自分たちが直接、手を下すこともできるはずなのに……ね」

 プリティも顎に手をあて、考えこむ。

 ラヴァナはヘッドセットを外すと、立ち上がった。

「カシチェイの居場所の解析が終了した。身柄を拘束するぞ」


 ラヴァナは三輪のバイクに跨り、その後ろをアグィがハンドルをにぎるRVが、高速道をひた走る。

「リーンフォースを逮捕しても、またネットに脱獄するんじゃないのか?」

 アグィの愚痴に、助手席のプリティが「そんなことが本当にできるのなら……ね」と呟く。

「逃げだすなら、オファニムでネットを遮断するだけだ」

 アグィはそう強がるけれど、重要施設の近くなど、オファニムを発動するには調整が必要な場所もある。むしろカシチェイなら、そういう場所を択んで移動しているはずだった。

 二台は高速をおりて山野を走り、やがて海の近くの公園にでた。

 特に目立つ施設もなく、海が見える高台には碑があり、その前に一人の男が立っていた。


「ボリス・コシコフスキーか?」

 アグィが近づき、声をかけると、90歳ぐらいの老人がふり返った。

「…………。What am I?」

 資料によると、60を越していないはずだけど、痴呆がかなりすすみ、記憶すら曖昧となっている様子も見受けられた。

「ゴーストが……ない?」

 プリティが顔認証をつかい、相手の身柄を確認してから言った。

「劣化した、というべきでしょうね。脳の劣化は未だに止められない。特殊な誘導たんぱくをつかい、脳を活性化すると老化を早め、寿命をちぢめることが知られるようになった。

 米帝からその能力をしぼりとられ、カスとなって捨てられた……。この国なら悪いようにはしないだろう……と考えて」

「脱獄していた……という話との整合もとれるし……な」

 ヴァイがそう付け足す。カシチェイの手をとり、ゆっくりと導く。それは老人をいたわるように……。

 カシチェイはどうして自分がここにいるのか? 自分が何者か? WhoではなくWhatだったことで、存在すら理解できていないようだった。


「どうして、ここに来た?」

 アグィがその碑に目をやる。

「ロシア兵の戦没慰霊碑か……」

 多くのロシア兵がここで強引な上陸作戦を決行し、亡くなった……。それを悼む記念碑だ。

「祖国を捨てたカシチェイの、最後の郷愁か……」

「それすら米帝の意思かもしれん。出来過ぎた美談には、ゴーストライターがつきものだよ」

 ラヴァナがそう嘆息する。

「ゴーストがなくなった後でさえ、ゴーストに操られるのかよ……。不死身の称号も考えないといけないのかもしれないな……」

 この国で、痴呆となった後も余生を過ごすことを不死身と呼べるのか? ネットにゴーストを移し、脱獄して自由となったはずの男の末路は、刑務所で穏やかな余生を過ごす、となった。

 CIAの関与と言い、後味の悪さをのこしつつ、そこから眺める夕日をバックに彼らは引き上げていった。

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