青年とふたりぼっちの夜
やがて、ふたりは国からなんとか脱出することが出来ました。
国を離れ、驚異が遠ざかっても3等級の奴隷は必死に荷車を押します。
がたん、ごとん。
怒声が聞こえなくなり、安堵するはずだったのに、3等級の奴隷はだんだん涙が溢れてきます。
虫の鳴き声しか聞こえなくなった頃、3等級の奴隷はへたり込むように泣き崩れました。
青年はそばに近寄ろうとしましたが、自分の腕から流れる血を見て留まります。
「怖い思いをさせて、悪かったね」
青年は視線を下げます。
「ご主人様は、何もしていません。何も悪いことをしていません。
とても優しく礼儀正しく過ごしていたのに、どうしてあんな扱いをされるのでしょう」
奴隷は嗚咽を零しながら涙を拭います。
青年は口を開こうとして、声がすぐ出ないことに気づきます。
しかしそれも何度か呼吸を重ねると、自然体を装うことが出来ました。
「強い魔族を父に持っていたと、前に話したことがあるだろう。
力を振るわんばかりの父親は、母親同様に多くの国と魔族を蹂躙したんだ。
その血を引くものが現れたら、たしかに恐ろしいと思うだろう。同じような害悪が訪れたと判断されても仕方がない」
「でもご主人様はお父様とは違います」
「そう簡単にわけられないものだよ」
俺だってそうだ。青年はそう言います。
青年は今でこそ普通に接してはいるものの、3等級の奴隷のことを肉として買い、肉として育てました。
それはあの時の3等級の奴隷のことを、そうとしか見れなかったからです。
「価値というものは変わるものだ。そして人により、随分と異なる。
君はそう言ってれるが、レッテルが大きければ大きいだけ、その表記ばかりが目立つのだよ」
青年は寂しそうに呟いて、奴隷が泣き止むのを待ちました。
奴隷にとってはその優しさがまた涙を誘って仕方がありません。
随分と長い間、奴隷は泣き続けました。
悔しくて悲しくて、どうしても我慢がなりません。
しかし、体力や気力は尽きるものです。
やがてそれも収まった頃、青年は静かに伝えました。
「隠すような真似をして、悪い事をした。
俺のことを恐ろしく思ったならば、君を安全な村まで届けたのちに自由にしよう」
「そんなこと……」
「できるよ。奴隷の拘束魔法は、主人である自分ならいつでも解約できる。君が望めばそれをいつでも行おう」
しっかりとした言葉で伝えますが、奴隷は小さく首を振ります。
「害悪となった魔族の血は、たしかに大きなレッテルかもしれません。
でもこの身にとって、ご主人様は尊敬すべき方です。
誰がどうご主人様にレッテルを貼りつけようと、この身の過ごした日々や受けた御恩を覆い隠すことは出来ません」
涙でつっかえながらではありますが、3等級の奴隷は頑張って言葉を紡ぎます。
そんな3等級の奴隷を見て、青年は呟きました。
「血のことを知って逃げられなかったのは、久々だ」
「そう、なのですか」
「ああ。全くの他人だとすれば、初めてだ」
青年はタンクの中から水を汲み、3等級の奴隷に金属製のカップを手渡します。
「飲めるかい」
「ありがとうございます」
3等級の奴隷は、なんの躊躇もなくそれを口にします。
青年はそれを見て、当たり前になっていたこの景色がとても貴重であると噛み締めます。
「今後も、同じようなことが続くかもしれない。それでも、そばに居るのかい」
青年の問いかけに、奴隷は何度も頷きます。
「この身は、ご主人様の奴隷です。
ご主人様以外に、仕えたくはありません」
青年はそれを聞いて少しだけ微笑みます。
「考えが変わったら、いつでも言うんだよ」
3等級の奴隷はぶんぶんと首を横に振ります。
「誓います。この身は何度も、同じ答えを出すでしょう」
青年と3等級の奴隷は、今夜も野宿をしました。
星あかりの下で番をしながら、青年は3等級の奴隷の寝顔を眺めます。
今までたくさんの人が去りました。
学のある者、力のある者、美しい者、優しい者……しかし誰もが、同じ決断をして青年の元を離れていきました。
3等級の奴隷は、すやすやと寝息を立てています。
青年はあの時、この子を選んで良かったと心から思います。
そしてすこし、ほんのすこしだけ、この3等級の奴隷がまだしばらくそばに居てくれないかと願ってしまいました。
長々と見てはなるまい。
そう思った青年は視線を少しだけ逸らし、荷車に積まれた荷物に向けます。
初めは重いと感じていたふたり分の荷物です。
しかしその量や重さにも、もう随分と慣れてしまいました。
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