第一章 第三節 司馬懿に纏わる言葉
第一項 司馬懿に対する評価の言葉
・南陽太守であり同郷である、人物鑑定の人として有名であった楊俊の言葉
見帝、未弱冠、以爲非常之器。
帝を見、未だ弱冠ならざるに、以って非常の器ならんと爲す。
(二十歳前の司馬懿を見て、並大抵では無い器であると言った)
・司馬懿の兄の司馬朗と仲の良かった、尚書である清河郡の崔[王炎]が司馬朗に言った言葉
「君弟聰亮明允、剛斷英特、非子所及也。」
「君が弟は聰亮明允、剛斷英特、子が及ぶ所に非ざるなり。」
(君の弟は聰亮 明允で、剛斷 英特、君の及ぶ所では無い)
・孟達が諸葛亮に宛てた手紙
「吾舉事八日、而兵至城下、何其神速也。」
「吾事を舉げて八日なるに、兵 城下に至る。何ぞ其の神速なる也。」
(私が事を挙げて八日で、司馬公の兵が城下に至ってしまいました。何と人間わざとは思えない程の速さでしょうか)
・孫権が公孫淵に宛てた手紙
「司馬公善用兵、變化若神、所向無前、深爲弟憂之。」
「司馬公は善く兵を用ひ、變化 神の若く、向ふ所前無し。深く弟の爲に之を憂ふ。」
(司馬公は兵を用いるのが巧みで、その変化させる所は神の如く、向かう所敵無しだ。その司馬公と戦わねばならない君をとても案じている)
・長雨に苦しんでいる魏軍を召し戻して下さいと上奏した臣下に対する、曹叡の言葉
「司馬公臨危制變、計日擒之矣。」
「司馬公は危に臨みて變を制す、日を計て之を擒にせんと。」
(司馬公は危機に臨んでも不時の災難を制する事が出来る。いずれ公孫淵も捕らえてこよう)
第二項 司馬懿に向けられた言葉
・黄初五年(二二四)、司馬懿が改めて向郷侯に封ぜられ、撫軍となって節を与えられ、五千の兵を委ねられ、給事中に加えて尚書事になるようにと言われたことを固辞して受けなかった時の、曹丕の言葉。
「吾於庶事、以夜繼晝、無須臾寧息。此非以爲榮、乃分憂耳。」
「吾 庶事に於けるや、夜を以て晝に繼ぎ、須臾の寧息も無し。此れ以て榮と爲すにあらず、乃ち憂ひを分くる耳。」
(私は種々の事柄に追われて、夜も昼も無く、僅かな時間も安らかに休む事が出来ない。これはそなたを栄えさせるものでは無い、私の憂いを分かち合って欲しいのだ)
・呉への遠征に出発する時の曹丕の言葉
「吾深以後事爲念、故以委卿。曹參雖有戰功、而蕭何爲重。使吾無西顧之憂、不亦可乎。」
「吾は深く後事を以て念と爲す。故に以て卿に委ぬ。曹參 戰功有りと雖も、蕭何を重と爲す。吾をして西に顧みるの憂ひ無から使めば、亦た可ならずや。」
(私は後事を深く気にしている、だからこそそなたに留守を委ねるのだ。曹参は戦功が有るといっても、重く見られたのは蕭何の方だ。私の後顧の憂いを無くしてくれるのであれば、何と良い事ではないか)
・広陵から洛陽に帰還した時の曹丕の言葉
「吾東撫軍、當總西事、吾西撫軍、當總東事。」
「吾 東に軍を撫すれば、當に西に事を總ぶべし。吾 西に軍を撫すれば、當に東に事を總ぶべし。」
(私が東に出陣する時は、そなたは西の事を取り締まり、私が西に出陣する時は、そなたは東の事を取り締まるのだ)
・太和五年(二三一)に諸葛亮が天水に侵攻し、将軍の賈嗣と魏平を祁山で囲んだ時の曹叡の言葉
「西方有事、非君莫可付者。」
「西方に事有らば、君に非ざれば付す可き者莫し。」
(西方で問題が発生している。そなたでなければ、任せる者はいない)
・青龍四年(二三六)に白い鹿を献上された司馬懿に向けての、曹叡の言葉
「昔周公旦輔成王、有素雉之貢。今君受陝西之任、有白鹿之獻、豈非忠誠協符、千載同契、俾乂邦家、以永厥休邪。」
「昔 周公旦 成王を輔くるや、素雉の貢有り。今君 陝西の任を受け、白鹿の獻有り。豈に忠誠 符に協、千載 契を同じくし、邦家を乂て、以て厥の休を永く俾るに非ず邪。」
(昔周公旦が成王を輔佐し、白い雉を献上された事があった。今、そなたが陝西の任を受け、白い鹿を献上されたのは、千年前とそなたの忠誠が合致しているからだ。我が国を治めて永く幸いをもたらしてくれるだろう)
・公孫淵が魏に叛いた時の、曹叡の言葉
「此不足以勞君、事欲必克、故以相煩耳。君度其作何計。」
「此れ以て君を勞するに足らず、事必ず克たんと欲すれば、故に以て相煩はす耳。君度るに其れ何の計を作すや。」
(これはそなたの手を煩わすに足りぬ程の事だが、必ず勝利を得たい。だから骨を折ってもらうのだが、そなたはどのような策があると思う)
・死に直面した曹叡からの手紙
「間側息望到、到便直排閤、入視吾面。」
「間ころ息を側て到るを望む。到は便直に閤を排て、入て吾面を視よ。」
(近頃は僅かな時間も傾けてそなたの到着を待ち望んでいる。到着したら直ちに宮中の小門を押しのけて入り、私の顔を視よ)
・曹叡の、死ぬ間際の言葉
「以後事相託。死乃復可忍、吾忍死待君、得相見、無所復恨矣。」
「後事を以て相託す。死なば乃ち復た忍ぶ可し。吾 死を忍びて君を待つ。相見るを得、復た恨む所無し。」
(後事はそなたに託したぞ。私は私が死ぬ事については我慢出来るが、私が死を耐えていたのはそなたを待つ為だったのだ。こうしてそなたを見ることが出来、もう思い残すことは何も無い)
第三項 司馬懿に対する読みの言葉
・孟達から諸葛亮に宛てた手紙
「宛去洛八百里、去吾一千二百里、聞吾舉事、當表上天子、比相反覆、一月間也、則吾城已固、諸軍足弁。則吾所在深險、司馬公必不自來、諸將來、吾無患矣。」
「宛は洛を去ること八百里、吾を去ること一千二百里、吾の事を舉ぐるを聞けば、表して天子に上るべし。相反覆する比、一月の間なり。則ち吾が城已に固ければ、諸軍 弁ずるに足らん。則ち吾の所在深險、司馬公必ず自ら來らず、諸將來らば、吾 患無し。」
(宛から洛陽までは八百里あり、私の所までは一千二百里あります。司馬公が私の挙兵を聞いて、天子に上奏文を送っても、それが往復するのに一月の間があります。その間に私どもの城は防備を固められますし、諸軍は言うまでも無いでしょう。そして私のいる所は深く険しいので、司馬公が自ら来ることはありませんし、諸将が来ても、私には心配が無いのです)
・姜維から諸葛亮に向けての言葉
「辛[田比]杖節而至、賊不復出矣。」
「辛[田比] 節に杖りて至る、賊復た出でざらん。」
(辛[田比]が勅命をもって来たのですから、魏軍はまた出てこなくなりましょう)
・諸葛亮から姜維に向けての言葉
「彼本無戰心、所以固請者、以示武于其衆耳。將在軍、君命有所不受、苟能制吾、豈千里而請戰邪。」
「彼は本戰ふ心無し、固く請ふ所以の者は、以て武を其の衆に示す耳。將 軍に在りては、君命も受けざる所有り、苟しくも能く吾を制せば、豈に千里にして戰を請はんや。」
(彼は元々戦う気など無いのです。強く請う理由は、部下に自分の武を示したかった為。将が軍にいる時は、君命も受けないという言葉があります。仮に私を制する事が出来ると思ったのならば、どうして非常に遠い都にまで戦いたいと請う事がありましょうか)
・曹爽へ向けた、司馬懿の様子を探りに行った李勝からの言葉
「司馬公尸居餘氣、形神已離、不足慮矣。」
「司馬公 尸居の餘氣、形神 已に離る、慮んぱかるに足らず。」
(司馬公は生ける屍になっており、肉体と精神とが既に離れておりますので、心配は無用でございます)
「太傅不可復濟、令人愴然。」
「太傅 復た濟ふ可からず、人をして愴然たらしむ。」
(太傅は最早救うことも出来ません、痛ましいことです)
・司馬懿と対峙した時の曹爽の言葉
「司馬公正當欲奪吾權耳。吾得以侯還第、不失爲富家翁。」
「司馬公は正に當に吾が權を奪はんと欲するべき耳。吾 侯を以て第に還るを得ば、富家の翁たるを失はず。」
(司馬公は我が権力を奪いたいだけなのだ。我が侯をもって家に帰る事が出来れば、富家の翁でいられる)
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