17.潜入

 ジューラが組合を通して手筈を整えてくれたものの、シュジャが領主の館を訪れたのは、アースィーが忍び込んでから五日経ったあとだった。

 ジューラはしきりに妹はいいのかと気にしていたが、シュジャはファルカが何とかしてくれる、で押しきった。実際にアースィーは不在だったので、姿を見せないことを怪しまれる可能性も下げられて、よかったのではないだろうか。


 組合を通してジューラの店に招待状というものが届けられて、シュジャはそれを持って領主の館へ向かった。もちろん、出かけるときに姿を変える魔法薬を飲んできたから、シュジャの見た目はノスト・アル・カラズでよく見られるものに変わっている。茶色の髪に茶色の目、褐色の肌のありふれた人族だ。

 なお、シュジャとしてはアースィーの魔法で作られた外見に似せたつもりだが、美醜の加減がうまくいっておらず、エルフ族ほどではないにしても、人族にしては少々整いすぎている。ただ、シュジャは人の美醜に興味が薄く、目が二つ鼻が一つ口が一つ、耳が尖っていなくて色合いが同じ、という項目だけで、似せられたと判断していた。


 その外見で現れたシュジャに、領主の館の門兵はいささかためらいつつ、彼の行く手を阻んだ。


「何者だ? ここは領主様のお屋敷で、用もない者がむやみに立ち入る場所ではない」


 シュジャはきょとんと門兵を見て、少し首を傾げた。招かれたのに、止められるものなのだろうか。

 いや。


「……薬師です。これを持ってきました」


 顔かたちを伝えていないから、招待状というものを門のところで見せるように、とジューラが言っていたのだった。約束が必要な人の家を訪れたことなどないから、シュジャにはそのあたりの作法がよくわからない。

 荷物入れから招待状を取り出して、門兵の一人に渡す。その間にも、もう一人の門兵がシュジャをじろじろと眺め回している。


 昔さらされた視線と、よく似ている。

 シュジャは表情を変えないように、招待状を確認している門兵に集中した。この人族も、目が二つで鼻が一つ、口が一つだというのに、何が違うのだろうか。髪の色は少し違うが、どちらもノスト・アル・カラズではありふれた見た目のはずだ。


「……確かに、領主様からの書状のようだ。取り次いでくるから、待っていなさい」

「はい」


 素直にうなずいて、シュジャは門兵が歩いていくのを見送った。残った一人の視線にいたたまれない思いをしつつ、ちらりと視線を向ける。

 シュジャをじろじろと見ていた門兵は、あたふたと門の横の建物を示した。ドアのついていない入口があって、椅子や机が置いてあるのが見える。


「あちらで待つといいだろう」

「はい」


 ごく一般的な大きさの荷物袋を持って、何の変哲もない服を着た、薬師を名乗る男。

 身につけているものや立ち居振る舞いは住民として違和感がないはずなのだが、顔がすべてを台無しにしている。門の警護をするのが仕事であるはずの門兵も、詰所の椅子に大人しく腰かけたシュジャの顔を、じっと見つめたままだ。


「……どうか、しましたか」


 エルフ族の血を引いている姿を隠していなかった頃は、よくこうして人に見られたものだが、今は人族の姿のはずだし、そうそう珍しい見た目ではないはずだ。何かおかしなところがあっただろうかと、シュジャから目を離さない男に尋ねてみる。


「いや、君みたいな子を見たことが、あったかな、と」

「……この辺りに来たのは、初めて、なので」


 この辺りに来たことがないのは事実なのだが、とっさに取り繕うというのがどうも苦手だ。たどたどしく答えたシュジャに興味が増したのか、門兵の男が詰所に入ってくる。


「名前は?」

「……シュジャ、です」

「へえ。年は?」

「二十歳、くらい……です」


 実際には何十年も生きているのだが、今は人族の設定だ。見た目に違わない年齢にしておかないと怪しまれる。

 そう思って答えたシュジャに、門兵がさらに近づいてくる。


「二十歳なんだ。結構若いね」

「そ、そう、ですか」


 怪しまれているのだろうか。この見た目なら、だいたい二十歳くらいだと思ったのだが。

 不安になってきたシュジャの前に、門兵が立つ。この距離は、今日初めて会った人間同士にしては、明らかに、近すぎる。逃げたほうがいいかとシュジャが思った瞬間、門兵がぐっと身を寄せてくる。


「住んでる場所は?」

「……あの、言わないと、いけない、ですか」

「領主様に近づく人間のことは、調べないといけないからさ。僕も仕事でね」


 そうなのか、と納得はしたものの、相手がやたらと近いのが気にかかる。そっと荷物袋を体の前に回して、シュジャは貧弱な防御態勢を取った。


「南東の、アリ塚、で」

「あんなところに住んでるのか?」

「安い、ので……」


 アリ塚、と言えば、ノスト・アル・カラズの住民ならすぐわかる。無計画に家々が建てられ、積み重なった場所。人族だけでなく、獣人族や鳥人族、リザードマンなども住んでいる。とりあえず屋根のある場所を確保、とばかりに作られた家だから、狭く、小さく、治安もそこまで悪くないにせよ、いいとは言いきれない。

 そんな場所に、領主の病を治すほどの腕前であるにも関わらず、二十歳そこそこの薬師が住んでいる。

 これはまずかっただろうか、と思い直したシュジャの肩に、門兵の手が乗せられる。


「何か事情があるんだろうが、そんなところに一人で住むのは危険だろう。それとも、誰か一緒に住む相手がいるのか?」

「えっ……えっと……」

「まさか……悪い男に食い物にされてるんじゃないだろうな?」


 人間種族を食べるような種族は、町に定住などしないと思うのだが。

 きょとんと目を瞬いたシュジャの両肩を掴んで、門兵が真剣な顔をする。


「悪いことは言わない、今すぐそんなやつとは縁を切りなさい」

「えっ」


 戸惑うシュジャにとうとうと、門兵が自分を大事にしなさいと説いてくる。どうやら彼には娘がいて、かわいいので変な男に言い寄られたり付きまとわれたり、親として心配で心配で夜しか眠れないらしい。夜に眠れたら十分ではないだろうか。

 逃げたほうがいいかと身構えていた分、予想外の言葉に戸惑って、シュジャはぽやんと門兵を見上げた。もっと身の安全を確保すべきと説いていた門兵が、唐突に言葉を失って、さっと顔を逸らしてしまう。


「あの……」

「ああ、いた……お前、何してるんだ……?」


 戻ってきた門兵が見たのは、見目麗しい男の肩に手を置いて、顔を赤くしている同僚の姿。

 不審である。


「ちょっ、待て、違う、俺はこの子が心配でだな……!」


 言い合いを始めた二人を、シュジャは交互に見つめた。こういう事態を収める術をシュジャは持っていないし、そもそも、二人が何を言い合っているのかよくわかっていない。


「あの……」

「っと、すまないな、確認が取れた。ついてくるように」

「はい」


 何がどうなったかよくわからないが、館の中へ入れてもらえるらしい。門兵に従って門をくぐり、シュジャは領主の館に足を踏み入れた。中には別の人族が待っていて、シュジャを引き継いだ門兵は戻っていく。これが領主だろうか。


「お待ちしておりました、薬師様。お名前をお伺いしてもよろしいですか」

「……シュジャ、です」

「シュジャ様ですね。お世話役を申しつかっております、サディクと申します。どうぞこの屋敷にいらっしゃる間、手足としてお使いください」

「……よろしく、お願い、します……?」


 名前を聞かれたのはわかった。相手がサディクという名前なのもわかった。手足として使えというのはどういう意味だろうか。シュジャには手も足もあるので、代わりは必要ないが。

 よくわからないまま答えたシュジャに微笑し、サディクがきれいに一礼する。


「それでは、ご案内いたします」

「はい」


 一人で勝手なことをしないように、ジューラにも念を押されたから、ひとまず大人しくついていく。領主の館は外から見ただけでもかなり大きかったし、案内してもらわなければシュジャなどすぐ迷子になるだろう。廊下でさえ、壁や床、天井にまできれいな模様がついていて、窓にはガラスまで使われている。飾られている絵や壺、彫刻もきっと高いものだから、汚したり壊したりしないように、そちらも気をつけなければいけない。

 サディクに案内される先が、通常は来客の招き入れられるような場所と知らないまま、シュジャは荷物袋を抱えた状態でついていった。

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