16.決意
念のため傷薬や気付薬をいくつか持って、シュジャはジューラの店に向かった。そこで聞き出したところによれば、薬は無事、昨日、領主の館まで届けられたらしい。
それなら、アースィーは昨夜のうちに領主館に忍び込んでいてもおかしくない。実際、夜に領主の館で騒ぎが起きたそうで、詳細はわからないものの、館は未だにざわついた雰囲気なのだそうだ。
何かわかれば次の機会に教える、と言ってくれたジューラに礼を言って、シュジャは店を出て思案した。
夜に起きた騒ぎに、おそらくアースィーは関わっているだろう。捕まってしまったのだろうか。それにしては、館がざわついた雰囲気だというのが気にかかる。
しかし、探し物を見つけてうまく抜け出せたなら、シュジャの家に帰ってくるだろう。何か問題が起きたと考えていいはずだ。
ただ、シュジャはそこで行き詰まった。
今まで逃げたり隠れたりしたことはあるが、どこかに忍び込んだことなど一切ない。身を潜めた経験なら、あるいは役に立つかもしれないが、とっさにごまかすとか、取り囲まれたときに抜け出すとか、シュジャでは経験も実力も足りないだろう。
それに、まったく知らない大きな家の中で人を探すのは、難しいと思う。
アースィーが困っているなら、助けたい。でも、シュジャにできるのかわからない。
何度もぐるぐると考えてから、シュジャは思い立って町を回り始めた。市場や人通りの多い場所をゆっくり歩けば、それなりに噂話を集められるのは、シュジャでも知っている。
あちらの街道で盗賊が出たらしい。こちらの誰それが腹を下したらしい。
関係ない噂も多かったが、領主の館で起きた騒ぎは盗人が現れたからで、警備の人間が捕まえたらしい、という情報を得られた。
きっと、捕まったのはアースィーだろう。
助けなければ。アースィーが捕まっているとしたら、それを知っているのはシュジャしかいないし、誰かに話すこともできない。
けれど、どうやって。シュジャには戦う術はないし、領主の館にのこのこ出かけていくわけにもいかない。
ふらふらと町中を歩き回りながら、シュジャにできることを考える。
ただ、選択肢は多くない。
きちんと警戒しつつ家に戻ると、シュジャはターバンを外して外套も脱ぎ、荷造りしてしまっていた調薬の道具を取り出した。
薬の材料には、新鮮でなければならないものもあるが、乾燥させて保存しておくことができるものもある。その他にも、きれいな流水で三日三晩洗うとか、満月の夜に月光を蓄えさせるとか、特殊な加工を施すものもある。
そういったものは、用意するだけでも手間がかかってしまう。だから時間があるときにいくつか用意しておいて、必要に応じて使うようにしているのだ。
今が、そのときだろう。
一年で最も長い夜、その翌朝にだけ咲く花の、花びらについた朝露。
精霊のいたずらでできたという霧のような滝から集めた水には、満月の光をため込ませてある。
それから、深い谷底にできた洞窟の中に生えている、やや毒々しい色をした苔。
それ以外の材料も少しずつ取り出しながら、父親から聞き覚えた歌を歌い、普段はほぼ作らない、まじないの力を秘めた薬を作っていく。
ジューラの店に持っていくのは、風邪薬や傷薬のような日常的に使うものがほとんどだが、エルフ族は元々、まじないの力を秘めた薬を作るのが得意な種族だ。シュジャも、すべての薬について学んだわけではないが、ある程度は知識を持っている。
だから、効果時間は短くても、アースィーがしてくれたような見た目を変える薬も作れる。予備はいくつかあるが、どれほど必要になるかわからないから、新しく作ってしまったほうがいい。
もし、シュジャの薬で領主の容体が回復したなら、薬を作ったのが誰なのか、確認しようとするだろう。組合に連絡が入るとして、ジューラにもその話が伝わるはずだ。組合が回答するのかどうかまではわからない。ただ、そこから領主館に入る手立てが、何か見つかるかもしれない。
具体的にどうやって、などとは思いついていないが、少なくとも、そのときに洞窟エルフの見た目のままでは困るだろう。アースィーの魔法とまったく同じ通りに、とはいかないにしても、近い容姿は目指せるはずだ。
水薬を小分けの瓶に移していき、一息つく。
本当に、できるだろうか。
でも、やらなければ。
もう何十年も、いや、百年は過ぎただろうか。それだけ生きていてなお、不安になることもあるらしい。戦う術を身につける時間ならいくらでもあったはずだが、シュジャはそれを選ばず、大人しく町の中で生きてきた。
危ないことはしないように、と父親も母親も、乗り気ではないようだったから。シュジャ自身も、剣の類いを振り回すとか体を武器に戦うとか、荒っぽいことは苦手だ。アースィーと初めて会ったときに抵抗はしたが、エルフ族の生まれつきの身体能力に頼っただけで、結局は押さえ込まれてしまった。
ため息を漏らして、シュジャは水薬に一つずつ封をしていった。一瓶で半日ももたないだろうが、忍び込んでアースィーを探す時間くらいは稼げると思いたい。
見つけたとして、そのあとはどうすればいいだろう。アースィーがどこかに閉じ込められているなら、そこから出られるようにしなければいけない。縄で縛られているかもしれないから、ナイフか何か、縄を切れるものが必要だろうか。もし鎖だったら、ナイフでは切れないから、ハンマーのほうがいいだろうか。
考え込んで、はっとしてシュジャは首を振った。
今はできることを考えなければ、不安ばかり大きくなって、動けなくなる。あれこれ考えても今アースィーがどうなっているかなどわからないし、シュジャにできることをして、それで、アースィーが自由になればそれでいい。
大丈夫。
言い聞かせている時点で不安が拭いきれていないのはわかっていたが、シュジャは何度も唱えて、その日をやり過ごした。
明くる日に再びジューラの店に行って、目論見通り、領主が薬師を探していることを確認する。
ここからだ。
「領主様が、ぜひとも薬師にお礼がしたいって言ってるらしくてねぇ……シュジャ、そういうの、苦手だろう?」
「……得意ではないな」
普段なら、絶対に断るだろう。
しかし、ここを糸口にして、アースィーを助ける方法を見つけなければいけない。
ジューラにも不審がられないように、慎重に、情報を得なければ。
「困ったねぇ……よっぽどの病だったのか、薬の効き目に喜んでらしてるようでねぇ……」
シュジャの作った薬では劇的な変化とはいかないだろうが、それでも効果が感じられたらしい。不快な症状が軽くなって、この薬を作った薬師を連れてこいと上機嫌だった、とは組合に来た屋敷からの使いの言葉だそうだ。
しかし、連れてこい、というのはお礼をしたいという意味には聞こえないのだが、シュジャがおかしいのだろうか。ジューラは大して気にしていないようだが。
「……行ったほうが、ジューラは困らない、のか?」
「……シュジャが嫌なら、やめておきなさい」
純粋なお礼の気持ちとして解釈できなかったのは、シュジャだけではなかったようだ。ジューラの渋い顔に、シュジャはターバンの内側で苦笑した。
ただ、領主側が薬師を屋敷に招き入れようとしているなら、それを利用してもいいだろう。
「ジューラが困るなら、行く」
「妹さんの結婚式はどうするの」
「……ファルカが何とかしてくれる……たぶん……」
その点についてアースィー頼りなのは仕方ないだろう。何せシュジャには妹などいないし、そもそもアースィーと兄弟でもない。話を作り出した本人に委ねるしかない。
頼りなく答えたシュジャにちょっと呆れたような顔をして、ジューラは思案気に視線を巡らせた。
ここで焦って、ぜひとも領主の館に行きたい、という様子に見せてはならない。駆け引きなどまったく知らないシュジャだが、一応考えてはいる。あくまでも、シュジャが行きたいわけではなく、領主が求めているから、行かなければ周りの人が困るから、仕方なく。領主の館に行かなければならない理由がある、などと思われてはならない。
「……行ってくれるなら、ありがたいけど……領主様は、あんまりいい噂を聞かないお人だよ」
「行く。ジューラには、世話になっている」
それでも、行くという意思は示さなければならない。
シュジャの助けなどもしかしたら必要ないかもしれないし、事態をややこしくしてしまうだけかもしれない。しかし、何もしないで待つのは無理、とこの一日で痛感した。シュジャは何かあればすぐに行動して、今まで逃げ延びてきたのだ。数十年か百年か、それだけ生きてきて初めて自分に堪え性がないと知るのも、どうかと思わないでもないが、とにかく、大人しくしていられないのだけはわかっている。
シュジャは、アースィーを助けに行くことに決めているのだ。
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