13.当惑

 道具屋での仕事が終わる頃、アースィーがシュジャを迎えに来た。まだ本格的な復帰ではないが、ルイムもすでに店に戻ってきており、その背には赤ん坊が背負われている。


「それじゃ、これが今日の分」

「はい」


 バナフから給金を受け取り、シュジャはそのままアースィーに渡した。受け取ったアースィーは、シュジャの荷物入れの中に押し込んだ。


「ファルカ?」

「……持ってて」


 これはアースィーの食費を補うためのものなのだが、シュジャが持っていていいのだろうか。不思議に思いつつも、アースィーが持っていてほしいというなら、特に断る理由もない。

 見上げたシュジャの髪を撫でてから、アースィーはそっと背中に手を添えた。シュジャもはっとして思い出す。


「バナフさん、ルイムさん、その、話したいことが……」


 切り出したものの、シュジャはこの後をどう続けていいかわからなくなった。しばらく沈黙し、バナフとルイムの子があうあうと不明瞭な声をあげたのに合わせ、単刀直入に口にした。


「今日で、仕事を終わりにさせてほしい」

「えっ!?」

「そんな、急に……」


 そして、今のがうまくない話し方だったことは理解できた。

 理由を正直に話すわけにもいかないし、どう言えばよかったのか。


「すみません、ちょっと事情があって、故郷まで戻らなければならなくなりまして」


 戸惑ってさらに言葉が見つからなくなったシュジャの肩を抱いて、アースィーが柔らかく笑みを浮かべた。それを伝えればよかったのか、と少しだけ落ちついたシュジャに、アースィーがそっと寄り添ってくれる。


「昨日手紙が届いたものですから。すみません、急なお話になってしまって」

「いえ……そうなんですね、あの、驚いちゃって……」


 事前に考えていたのか、アースィーの口からさらさらと事情が語られる。

 昨日、シュジャとアースィーの故郷の村から手紙が届いた。何事かと慌てて中身を見れば、妹が近々結婚することになったので、二人とも帰ってきなさい、と書かれている。こちらの生活もあるし、急に言われても、とは思ったものの、妹の晴れ舞台に不在というわけにもいかない。方々に頭を下げ、急いで戻れるよう手配して回っているところである。

 よく思いつくものだと感心してしまうのだが、シュジャもこれくらいは機転が利くようにならなければいけない。うまくできる気はしないが。

 ただし今は、口を挟めばアースィーの話を台無しにしてしまう可能性があるので、大人しくしていることにする。


「本当にすみません、タウードくんが生まれたばかりで、お二人も大変だとは思うんですが……」


 タウードというのが、バナフとルイムの子の名前だ。ルイムの親に面倒を見てもらうこともあるそうだが、こうして店に連れてくることも多い。気にするような客もあまりいないし、タウードも物珍しそうにあれこれ眺めていて、見知らぬ大人を怖がることもない。

 あうあうと手を伸ばしてくるタウードに指先を掴ませて、シュジャは小さな手の力強さに頬を緩ませた。


「妹さんの一大事ですから、きちんと帰らないとだめですよ」

「私も戻ってこられるようにはなってるし、お店のことは気にしないで。あっ、もちろんまたここに帰ってきてくれても大歓迎!」


 二人を気遣った言葉をかけつつ、ちゃっかり告げるルイムに苦笑する。確かにシュジャが戻ってこないとも限らないし、一度仕事を教えた相手なら、また初めから教える手間はいらない。

 また戻ってくることがあれば、と伝えるにとどめ、シュジャはバナフの店をあとにした。相変わらずアースィーの手はシュジャの腰に回っているが、その感触もあとわずかだと思うと、胸のあたりが妙にもやもやする。わずかに首を傾げたシュジャの仕草に、アースィーも首を捻る。


「シュジャ?」


 かけられた声に顔を上げ、シュジャはアースィーのオアシスの瞳をじっと見つめた。


「……嫌だ」


 とっさに思ったものの、何が嫌なのか、シュジャ自身面食らった。

 生きている間に起きることはどれもこれも、仕方のないことで、嫌だと思ったところでどうにかなるようなものではない。ほどほどのところで諦めなければ、胸の奥がすり減って何も喉を通らなくなる。

 眉を寄せ、顔を逸らしてうつむいたシュジャの頭を、アースィーが撫でてくる。


「このあと、薬を届けに行くんだよね?」

「……ああ」


 昨日作った薬を、ジューラの店に届けに行く。それをいつ頃領主の屋敷に納めるのか聞き出して、その夜にアースィーが忍び込む。計画とも言いきれない計画だが、シュジャが大々的に手伝うわけにもいかないので、ふんわりした関わり方になってしまうのは仕方ない。

 狭い路地に入ってジューラの店を目指しながら、シュジャは仕方ない、とくり返した。何に言い聞かせようとしているのか、自分でもよくわからないものの、そうやって何かを押さえ込まないといけないような気がしたからだ。

 薄暗い店に入ってジューラの姿を見つけると、シュジャの意識はようやくそこから離れた。


「おや、どうしたね、シュジャ」

「……薬がほしいと、言っていたから」


 それでは伝わらない気がする。どうにも、話を切り出すということが得意でない。


「領主が、薬を探しているんだろう? 効くかどうかわからないが、作ってみたから、持ってきたんだ」


 説明しながら薬を取り出し、カウンターに置く。紙に包んだだけだが、ただの丸薬なので問題はない。包みを手に取ったジューラが紙を開くと、つるりとした丸薬が九つほど乗っている。


「これ……いいのかい」

「害はないと思うが、効くかわからない。それでもよければ」


 本人に会って状態や症状を確かめたわけではないから、劇的に回復するということはないだろう。つまり効果が弱いものなので、別の症状を誘発したり、悪化させたりといったこともないはずだ。それでも一日に三つ、三日も飲めば、本人なら症状の変化は感じ取れるだろう。それで効けばよし、変化がなければ効かなかったとあきらめてもらうしかない。

 後ろでアースィーが嬉しそうにしている気がするのだが、なぜだろうか。


「ありがとうねぇ……早速、組合から領主様に連絡してもらうよ」


 さすがに領主の館に今すぐのこのこ行ったところで、追い返されてしまうらしい。きちんと連絡をして、その上で品物を届け、数日して代金が支払われる。品物がどうなるのか、屋敷の中に入ったあとのことはわからない。

 ただ、領主が薬についてせっついてきているので、今日連絡して明日か明後日には届けることになるだろう、という話だった。


「……それと、近々この町を出ようと思っている」

「おや……急だねぇ」

「……妹が、結婚するらしいから」


 そこから先はうまく話せそうにない。シュジャが視線を向けるとアースィーが嬉しそうな顔をして、ジューラに話し始めてくれる。

 シュジャとしてはアースィーに会話を押しつけたようなものなのだが、嬉しそうなのはなぜだろう。ありもしない尻尾がアースィーに生えていて、ぶんぶん振られてシュジャに当たっているような幻覚さえ感じる。

 今のどこに喜ぶようなところがあったのか、アースィーの感情の動きはよくわからない。


「まあ、それなら仕方ないねぇ。気をつけてお帰り」

「ええ、ありがとうございます。ほら、シュジャも」

「……ありがとう、ジューラ」


 そう言って店を出ると、アースィーがぽんぽんと頭を撫でてきた。何だと見上げれば、シュジャを労うように微笑んでいる。人との会話は疲れる、と思ったのがばれているのかもしれない。


 シュジャのほうが年上だと思うのだが、アースィーに世話を焼かれるのが普通になっている。人とのかかわり方については特に、シュジャがぱっと気づけないので助かってはいるが、これでまた元の生活に戻れるだろうか。ウルジュラザートを出ることになるし、改めて、警戒心を戻さなければならない。

 少なくとも、明日からはアースィーがいないのだから、油断してエルフ族であることが知られないように気をつけなければ、自分の身が危うい。


「……シュジャ」


 アースィーに呼ばれ、シュジャは素直に顔を上げた。また頭を撫でられるが、意図がよくわからない。


「家に着いたら、少し休憩したいな。たくさん喋って喉が渇いた」

「……そうか」


 それなら、ただの水ではなく何か飲み物を用意したほうがいいだろうか。

 アースィーでも話し疲れることがあるらしい、とシュジャはのんきに思っていた。

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