11.知覚

 いつもの通りに薬を納め、代金を受け取ったところで、シュジャはジューラの表情に気がついた。


「何かあったのか」


 わかりやすく不機嫌そうだとか、逆にいいことがあったようだとか、そこまでは読み取れない。

 ただ、何か気にかけていることがあるように、見える。


「……あったというか、あるというか、ねえ」


 ノスト・アル・カラズは大きな都市であるため、一つの町の中に同じものを商う店がいくつもある。そのどれもが同じような規模というわけでもなく、移動できる屋台から大通りに面した大店まで様々だ。しかし同じものを取り扱っているという共通点はあるのだからと、情報を共有したり、品物を融通し合ったり、組合という協力体制を築いているのだという。その互助組織である薬屋組合にジューラの店も参加しており、ある話が回ってきた。

 領主が、病を得た。すでに医者に診せてはいるし、薬も飲んだのだがどうにもよくならない。一刻も早く有効な薬を納めるべし、と矢の催促なのだそうだ。


「でも、もう薬はあれこれ持っていっているからねぇ」


 ノスト・アル・カラズにある薬屋なら、品揃えはどこもだいたい同じ。多少差はあったとしても、組合に話が寄せられたならすべての薬屋にその情報が行き渡って、効果のありそうな薬はすでに提供されているはずなのだ。

 そこからさらに薬を出せと言われても、ないものは出せない、という状況になっている。


「……症状は?」


 ためらいつつ、シュジャは質問を返した。


「疲れが取れない、あちこちがかゆい、たまに手足がちくちくする、とか、そういうところらしいんだけど……何かいい薬を知っているかい?」


 答えに窮して、シュジャは視線を逸らした。それで察してくれたのか、ジューラもそれ以上何か言うことはなく、新たに入ってきた客のほうへ移ってくれる。


 店を出て、シュジャは一つため息をついた。


 ノスト・アル・カラズの領主カザールは、エルフ族を喰らえば不老不死になれるという話を信じている、という噂がある。できれば近づきたくないし、近づくべきではない相手だ。それでなぜシュジャがノスト・アル・カラズに来たのかといえば、肌が褐色でも目立たないのと、人の出入りが多いこと、薬の材料が集めやすいことが理由だ。

 そのおかげで、ターバンで顔を隠しているという怪しげな人物であっても、どうにか住み着くことができた。無論、ジューラがシュジャの薬を買ってくれていることや、バナフの店に繋いでくれた恩は大きい。

 だから、領主の病に心当たりはなくとも、ジューラを助けたいという気持ちはある。


 シュジャが家に帰ると、アースィーは留守だった。外套を脱いで丁寧にたたみ、ここのところ置きっぱなしになっているターバンの横に置く。

 アースィーが魔法でシュジャの見た目を変えてくれるから、シュジャはターバンなしで出かけられるようになった。周囲の目を気にせず、洞窟エルフの血を引いていることを必死で隠さなくても済む。

 だが、アースィーが探し物を取り戻せば、それも終わりだ。道具屋の仕事はできなくなるし、またターバンで顔を隠す生活に戻ることになる。


 実のところ、見た目を変える薬を、作れないわけではない。しかしアースィーの魔法ほど長くは持たないし、ノスト・アル・カラズであっても、材料が簡単には手に入らない。日々の生活のために使うというよりは、この町から急いで逃げ出さなければならなくなったときのために、過去に集めておいた材料を残してあるだけだ。アースィーがいなくなれば、シュジャが身を隠さなければならないのは間違いない。


 だとしたら、領主の病に合わせて作った薬をジューラに渡すのを最後に、そろそろノスト・アル・カラズを去ってもいいのではないだろうか。ウルジュラザートにある町がノスト・アル・カラズだけというわけでもないし、ウルジュラザートが交易路にある以上、人の出入りが多い町は必ず発生する。他にも都合のいい場所があるはずだ。


 シュジャの見た目は、当分変わっていない。洞窟エルフの血を引いている影響だろう。過去にそれを人族に気味悪がられたことがあって、しばらく住んだら町を移動する暮らしに変えた。今は不老不死の噂があるから、あまり町に根付きすぎないようにもしている。

 ノスト・アル・カラズに居続けなければならない理由は、何もない。


 ジューラから聞いた領主の症状を思い出しながら、シュジャは瓶や袋をいくつか手に取った。普段使っている料理用の鍋をどけて調薬用の鍋を火にかけ、きのこを放り込んで煮出していく。その間に木の実を割って中身を取り出し、細かく刻む。


 そういえば、父親が調薬について教えてくれたとき、たまにだが歌っていたような記憶がある。意味を教えてもらったことはないが、あれもまじないの言葉の一つだったのかもしれない。

 記憶を呼び起こしつつ、思い出に従って口ずさんでみる。少し曖昧だった部分もあったのだが、歌っているうちに思い出してきた。やはり言葉の意味はわからないが、サナーレと何回か言っているから、薬を作るときに歌うものだろう。まじないの力が働いているのも、何となく感じ取れる。

 歌い終わる頃にちょうど薬が出来上がって、つるりと丸く光った。丸薬の完成だ。


「……シュジャ?」


 かけられた声に振り向くと、アースィーがじっとシュジャを見つめていた。


「おかえり、アースィー」


 返事をしたものの、アースィーは扉の前に立ち尽くしている。シュジャがわずかに首を傾げるとようやく、ゆっくりと足を踏み出した。伸びてきた手に頭を撫でられて、どうしたのかと首の傾きを強める。


「俺、エルフ族のこと、あまり知らないや」

「そうか」

「……絶対早く終わらせる……」

「……そうか」


 何のことか一瞬悩んだが、おそらく探し物の話だろう。ぎゅっと抱きしめてきたかと思うと、アースィーはまた扉のほうへ歩き出した。


「アースィー?」


 半身ほど振り返ったアースィーには、特に気負った様子はない。


「出かけてくるよ」


 ただ、帰ってきたところのはずなのにまたすぐ出ていこうとするので、シュジャは戸惑ってじっとアースィーを見つめた。

 まだ日はあるが、傾いてきているところだ。ちょっと買い忘れに気づいて行ってくる、程度の外出ならともかく、何か用事を済ませるには遅い時間だろう。

 いや、子どもではないのだから、夜に出かけてもおかしくはない。今までも、夜まで出かけていることはあったのだ。

 そもそも、シュジャがアースィーの行動に口を出すべきでもない。


「……無理はするなよ」

「ありがとう、シュジャ。行ってくるね」


 ぽんぽんとシュジャを撫でると、アースィーはあっさり出ていってしまった。夕食はどうするだろう。屋台で済ませてくるだろうか。聞いておけばよかった。こういうとき、とっさに考えを回すことができない。

 ため息とともに首を振って、シュジャは片づけを始めた。アースィーの分も作るにせよ、食事の用意をするなら調薬の道具や薬自体は片づけなければいけない。丸薬をどけて薬用の棚にしまい、道具類を丁寧に洗って別の段に片づけておく。


 しかし、シュジャがゆっくり夕食を用意して二人分をテーブルに並べても、アースィーは帰ってこなかった。仕方なく一人で食事を済ませ、洗い物をし、残っている夕食に布巾をかけて寝床に潜り込む。

 どうしてか、落ちつかない。一人で寝るのが普通だったはずなのに、アースィーと触れ合っていないことのほうに、違和感がある。


 きっと、アースィーは早く探し物を取り戻そうとしているのだろう。それが終われば、アースィーはここを出ていく。シュジャはまた、一人ぼっちになる。

 それが普通。一人でいるのが、普段通りだ。アースィーがシュジャのもとにいるのは、一時的なことであって、ずっとここにいるわけではない。

 言い聞かせるように何度も頭の中でくり返して、シュジャは寝返りもくり返した。

 アースィーがいない。ひんやりした体が、傍にない。ウルジュラザートは暑くて、寝苦しくて、本当はシュジャには向いていない国だ。それでも、眠らなければ。


 ふっと気がつくと、部屋の中はほのかに明るくなっていた。なかなか寝つけなかったはずだが、眠ることはできたらしい。

 朝だから少しは過ごしやすいのかもしれない。暑くない、と思ってから、シュジャは体にかかる重みに気がついた。ひんやりした感触が、後ろにいる。そっと布団をめくって確かめると、たくましい腕がシュジャの体を抱えていた。シュジャが寝ている間に、アースィーが帰ってきていたらしい。

 起こさないようにそっと体の向きを変え、鈍い銀色の髪を見てほっとする。無事に帰ってきたならよかった。ただ、のんきにすやすやと眠っているアースィーに、少々苛立たしさもある。


 人の気も知らないで。


 思ってから、シュジャははたりと目を瞬いた。アースィーがシュジャの考えていることを、わかるはずもない。二人は別々の生き物で、少し前に会ったばかりで、シュジャは自分の考えを伝えることが下手だ。そもそも、自分が何をどう感じているのか、言葉にすることさえできないときもある。

 アースィーに何かわかってほしいのか。でも、何を。

 言葉にしようとして、ためらわれて、シュジャはアースィーの腕を抜け出すことに決めた。

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