10.水滴

 アースィーに送り迎えをされるようになってしばらく、シュジャにやたらと話しかけてくる客は減った。アースィーやバナフによると店の周りをうろうろしていた人間もいたらしいのだが、そちらはいなくなったらしい。

 しかし、確かに背は高いし体格もいいが、アースィーがいるだけで人が減ってしまうのはよくないのではないか。シュジャは客足への影響が心配になったものの、バナフはこれで安心と言っていた。店の主人がよしとしているので、いいのかもしれない。


 薬の材料を入念にすり潰し、薬さじで適量を混ぜ合わせて少しずつ水を加え、練っていく。シュジャの気づかないうちにアースィーが水汲みを終わらせておいてくれるので、薬を作るためにオアシスと家を往復する必要がなくなって、ずいぶん助かっている。アースィーとしては、それもシュジャを世話する一環なのだそうだが、シュジャは困らないし不快でもないし、やりたいようにしたらいい。

 ただ、それで探し物が滞っていないのか、それは気にかかっている。


「ただいま、シュジャ」


 アースィーの魔法がふわりと解かれて、鈍い銀色の髪とオアシスのような浅い青の瞳の青年が現れる。


「……おかえり、アースィー」


 こちらの姿が、本来のアースィー。黒髪に黒い目は、身を隠すときの姿。そのときの名前はファルカ。

 いまだに少し戸惑ってしまって、どちらの名前で呼べばいいかわからなくなるときがある。それで少し反応が遅れても、アースィーはシュジャを急かすことなく待っていてくれる。

 初めにねじ伏せられたのが、嘘のようだ。


「探し物は、進んでいるのか」

「うん? あー、うん……」


 返事からすると、おそらく捗々しくないのだろう。薬を丸薬の形に丸めながら、シュジャは少し逡巡した。


「……何か、手伝えることは、あるか」


 本人が話そうとしないなら、それは踏み入られたくないことなのではないかと思う。

 ただ、アースィーを手助けしたいとも、思う。シュジャがアースィーの事情に立ち入って、不快でなければ。


「……ありがとう、シュジャ」


 穏やかな笑みは、シュジャの申し出をやんわりと断っている気がする。迷惑だったかもしれない。

 どう答えていいかわからず、シュジャはただうなずいて丸薬に視線を戻した。これはもうほぼ出来上がっていて、乾燥させておくだけだ。もう、何もすることはない。


「シュジャ」


 視線を戻すとアースィーもシュジャを見ている。少しして意図するところに気がついて、シュジャはアースィーの胡坐の中に納まった。すぐに背中を撫でられて、震える水滴のようだった気持ちが少し落ちつく。


「……もう、見つけてはあるんだ」

「そうなのか?」


 だったら早く、と口にしかけて、シュジャは中途半端な状態で動きを止めた。

 アースィーがここにいるのは、探し物のためだ。それが見つかれば、元いた場所に帰るものだろう。

 これ以上、シュジャの家にいる必要はない。


「ちょっとね、取り戻すのが難しくて苦戦してる」

「……そう、なのか」


 それなら取り戻すまでは、アースィーはこの家にいてくれる。

 そうも考えて、シュジャはうつむいた。


 アースィーは探し物のためにわざわざノスト・アル・カラズまでやってきて、ようやく見つけたのだ。応援するならまだしも、それが遅れるようなことを望むのは、いけないことだろう。

 背中を撫でてくれていた手が頬に触れて、そっと表面を撫でていく。促されているような気もして、シュジャは顔を上げた。


「……シュジャ、俺に金稼いでこいとか、言わないの?」

「え……?」


 予想もしなかった言葉に、シュジャはきょとんと眼を瞬いた。なぜ突然、金の話になったのだろう。


「肉が食いたかったら自分で稼いでこいとか、言ったっていいんだよ?」


 今のところ、バナフの店でもらった給金をそのままアースィーに渡している。シュジャは肉を買っても料理できないだろうし、あまり買いたくはない。だから屋台で食べるため、あるいは他の何かを買うにしても、アースィーが自由に使える金は必要だと思ったからだ。

 実際、アースィーはちょこちょこ使っているようだが、金がないからくれと言ってきたことはない。


「足りなかったか?」

「……シュジャ、今までヒモ男に食い物にされてたとか、ないよね?」

「ひも……?」


 不老不死の噂のせいで危ない目に遭いかけたことはあるが、今まで誰にも齧られたことはない。

 首を傾げたシュジャを、アースィーが腕の中に閉じ込めて撫でてくる。


「……心配になってきた」


 何を心配されているのか、よくわからない。紐のようにひょろひょろした種族がいるのだろうか。見たことも聞いたこともないが、アースィーの暮らしていた場所にはいるのかもしれない。


「アースィー」


 アースィーの胸に手をついて何とか体を起こし、何かを案じているらしいオアシスの瞳と目を合わせる。


「アースィーは、強いんだろう」

「そう、だね?」


 食事は狩りで済ませていたと言っていた。だが、隊商ルートとして確立している道以外では、出会えばひとたまりもない獣も多いはずだ。隊商ルートにしたところで、危険な獣に遭う確率はゼロではないし、盗賊のような人間も出ることがあるから、普通は何人もの護衛をつけて移動する。

 それを、移動する商人に便乗することもなく、アースィーは一人で砂漠を渡ってきたようなのだ。シュジャの想像できる以上の、強い種族なのだろう。


「だから……狩りをしてきて、肉を売ることで、稼げるとは思う」


 日々どれほどの肉が町中で消費されているのか知らないが、食料は毎日でも売れるだろう。人間は、食べなければ生きていけない。そして食料は、食べればなくなってしまう。だから需要は、必ずあるはずだ。


「ただ、強いアースィーが、日々たくさんの肉を持ち込めば、人々は、それに頼ってしまう」


 大量の肉を安定して手に入れられるようになることは、おそらく多くの人に歓迎されるだろう。

 しかし、たった一人の力に頼った仕組みは、いつか崩壊する。アースィーが町を離れれば、それだけで肉の流通する量は減るだろう。もしそれまでに、他の入手方法がなくなっていたら、この町の人々は肉を手に入れる手段をあっさり失ってしまうのだ。


「アースィーの力は、人の暮らしを変えてしまう。だから、使わないほうがいい」


 アースィー自身が、自分のために自分の力を使うのは、構わない。

 しかし、それが町一つの、もしかしたら国一つの営みを変えてしまうかもしれないのだとしたら、他の人のためには使わないほうがいい。

 シュジャはすでに恩恵を受けてしまっているが、それだって本当はよくないことだ。人に頼ることを覚えすぎて、自分で生きていけなくなっては困る。


 じっと見つめてくる浅い青の瞳が、捕食者に変わる様子はない。


「……シュジャは本当に、美しいね」


 何の評価だ。

 困惑したシュジャを抱えて、アースィーがぐるぐると喉を鳴らしている。何かが気に入った、ということだろうか。アースィーの感覚はよくわからない。

 ついでに、こうして抱えられると脱出はできない。


「アースィー、離してほしい」

「んー」

「アースィー」


 まるで聞いてくれない。器用にシュジャを抱えたまま、寝床に収まられてしまった。

 大型の犬か猫か、シュジャの手には余る生き物に懐かれてしまった気がする。くっつかれても熱くはないし、ひんやりして気持ちいいのも厄介だ。本気で抜け出したいと思えなくなってしまう。


「アースィー」

「……全部終わったら、シュジャにたくさん話すよ」


 何度目かの呼びかけで、ようやく意味のある言葉が返ってきた。シュジャを離す様子はないが、腕の力は弱まって、視線が合う。


「一つは早く進めたいけど、我慢しないと……あとで文句言われたくないし」


 アースィーが一人で探し物を進めているのは、種族の決まりとして、一人でやり遂げねばならないからだそうだ。今話せて、シュジャに明かしてもいいのはそこまで。あとは探し物がきちんと終わったら、ほぼ何もかも。その上で、改めてシュジャに伝えたいこともある。

 寝床でくっつきながら話すことではなかったような気もしたが、シュジャの申し出が嫌だったわけではなくて、アースィーに事情があっただけだとわかってほっとした。ひんやりした体も、たくましい腕も、変わらずシュジャを受け入れてくれている。


「俺はシュジャを守るよ。今はここまで」

「……無理、するなよ」

「しないよ」


 また喉を鳴らしたアースィーは、シュジャがジューラの店に薬を売りに行こうとするまで、傍から離れようとしなかった。

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