9.関係
アースィーの探し物は、本当に問題ないのだろうか。
迎えに来てくれたらしいアースィーの姿を店の中から見つけて、シュジャはわずかに首を傾げた。それだけでもアースィーは気がつくようで、ぱっと笑顔を見せてくる。
「あ、お兄さん来た?」
「はい」
シュジャがバナフの店に来るときは、アースィーが送り迎えをしてくれるようになった。心配しすぎだと思うのだが、バナフも気にかけていたらしい。最初にアースィーに送り届けられたとき、二人で何やら話し込んでいた。その後、送り迎えは常態化している。むしろ、アースィーが来るまで店にいるよう、バナフに引き留められる有様だ。
話しかけてくる客たちにシュジャへの害意はないだろうし、二人が何を気にしているのか、よくわからない。ただ、アースィーやバナフだけではなく、ジューラやティンニも問題視していたようだから、何かしらの危険はあったのかもしれない。自分の対人経験が不足しているのは重々承知しているので、シュジャは大人しく従っていた。
「そうだシュジャ、ルイムが会いたがってたんだけど、少し寄っていかないか?」
「はい」
店の裏が、バナフとルイムの家だ。バナフの両親はというと、今までできなかったから、とウルジュラザートを旅して回っているらしい。隊商ルートであれば危険な獣は少ないし、時々楽しんでいるらしい手紙が届くので、バナフたちは心配していないそうだ。
町中にいるシュジャのほうが安全だと思うのだが、どうして彼らは心配されないのか。
わからんと思いつつ、バナフと店じまいをして、裏手の家に向かう。バナフとルイムの子は、そろそろ生まれそうだという話だ。ルイムは家にじっとしているのも退屈だとこぼしているらしく、シュジャに会いたいというのも、きっと気分転換の一つなのだろう。
「いらっしゃい、シュジャ。あら、ファルカさんも」
「こんにちは」
「お邪魔します」
人の家に行くときは、お邪魔しますと言うものらしい。アースィーはどこで覚えたのだろう。
二人を招き入れ、飲み物を用意しようとするルイムを慌てて止めて、バナフがキッチンらしいところに引っ込んでいく。何となく不安になったのでシュジャも声をかけ、ルイムには椅子に座ってもらった。腹が大きい女性というのは、見ているだけでどきどきしてしまう。
「大丈夫なのよ、あとは産むだけだし」
「……その産むのが、大変なんだと思いますが……」
「だってもう産むしかないし」
肝が据わっているというか、ルイムのほうが落ちついた様子だ。バナフは日々、そわそわした様子で働いている。常連客は和やかに見守ってくれている様子なのだが、あまり見ない客には怪訝な顔をされていた。そういう場合はなるべくシュジャが立ち替わるようにしているが、まあ、怪しく見えるのは仕方ないかもしれない。
カップを配り終えたバナフが、ナッツ類を入れた皿を置いてルイムの隣に座る。
「それはそうだけど、何かあったら困るよ……」
「なるようになるわよ、私もそうやって産まれてるんだもの」
苦笑するシュジャの横で、アースィーは静かにお茶を飲んでいる。ファルカとして人と接するときは、物静かでシュジャをかわいがっている兄、という設定、らしい。シュジャがルイムに相槌を打っている間もしゃべらないので、どうかしたのかと思って振り返るとアースィーはにこにことシュジャを見ていた。そのまま手が伸びてきて撫でられ、本当にどうしたのかと首を傾げる。
シュジャを眺めたり撫でたりするだけの、何が楽しいのだろう。
「ナッツを追加してくるよ」
「ありがとう、バナフ」
ルイムがぽりぽりと食べ続けていたので、ナッツの皿はすでに空っぽだ。シュジャも少しもらったが、アースィーは食べていない。ナッツ類は食べない種族なのだろうか。でも野菜やイトリィのような穀物は食べていた。肉だけで生きていけそうな様子だが、肉以外も食べられる。まるで思い当たらない。
内心で首を捻っていたら、キッチンからバナフの顔が覗いた。
「すまないんだけど、ファルカさん、ちょっと手伝ってくれないかな……?」
「何でしょう」
アースィーはシュジャを軽く撫でてから、立ち上がってキッチンに歩いていった。元々の性格なのかわからないが、アースィーはシュジャだけではなく、誰に対しても親切だ。家にいるときは、ひたすらシュジャを構ってくるものの、こうして人に何か頼まれれば、きちんと応じる。
それが普通、なのだろうか。必要以上に人と関わるのは避けてきたから、シュジャはただ、丁寧だろうと感じた人の反応をなぞってきただけだ。アースィーのシュジャへの態度はおそらく、かなり親密なのだろうとはわかるが、それがどれくらいの仲の人間に相当するものなのか、よく知らない。
「いいお兄さんね」
「……はい」
兄という設定にした理由も、わからないままだ。一緒に住んでいてもおかしくないからだろうか。
「うちの子も……」
ルイムの言葉が途切れた。
「ルイムさん?」
どうしたのだろう。何か気になるものがあったとは思えない。
「……シュジャ、ごめんなさいね、バナフを呼んできてくれる……?」
いつもと違う。ただならぬ気配だ。
急いでキッチンに行くと、アースィーとバナフが何かのビンを相手に奮戦していた。蓋が開かないのだろうか。いや、それどころではない。
「バナフさん、ルイムさんが呼んでます」
「え? 何かあったの?」
何かあった、わけではない。ただ、何か起きるのかもしれない。
うまく説明できずに戸惑っていると、アースィーがバナフの背中を押した。
「ファルカさん?」
「ルイムさんが呼んでるんだろう? シュジャ」
「あ、ああ」
「早く行ってあげたほうが」
「あっ、そうですね」
キッチンを出ていくバナフについていくと、ルイムが椅子の上で腹を抱え込んでいた。
「ルイム!?」
バナフが駆け寄って肩を抱くと、ルイムは額に汗を浮かべている。苦しげな表情だ。
「バナフ……アジュさんを、呼んで……」
「わ、わかった! シュジャ、ルイムを頼むよ!」
「えっ!?」
ばたばたと走り出ていくバナフに取り残されて、一瞬呆然としてしまった。ルイムを頼むと言われても、どうすればいいのだろう。ひとまず急いでルイムの傍に行き、背中を撫でさする。何をすればいいのか。さすがに薬は持ち歩いていないし、そもそも妊婦に対して与えていい薬がわからない。
ルイムの求めに応じてアースィーと二人で寝台に移動させると、湯を沸かすように言われたりタオル類を用意するように言われたりであたふたと動き回る。そのうちにバナフが女性を伴って戻ってきた。どうやら、産婆らしい。
手伝いらしき女性たちを引き連れていたので、タオルや湯のことを伝えて家を辞する。あのまま残っていても大した助けにはならないだろうし、どうかすると邪魔になるかもしれない。男手ならバナフがいる。
緊張感から解放されてため息を漏らすと、隣を歩いていたアースィーが苦笑するのが見えた。相変わらずシュジャの腰を抱いて、傍から離そうとはしない。
「ちょっと慌てた?」
「ああ……産気づいた女性の世話なんて、したことがない」
人間種族であっても獣であっても、出産というのは一大事だ。祝福されるべきことだとは思うが、そういう節目に関われば深い付き合いになってしまう。いろいろと知られるのを避けたいシュジャにとって、素直に喜べるものではない。バナフとルイムに関しては、もう手遅れだとは気づいているが。
家に着いて外套を脱ぐと、アースィーがさっさとシュジャを確保して、世話をしてくれる。抗う気はないが、兄弟はこういうことをするものなのだろうか。
「アースィー」
「うん?」
「弟は、こうして世話をされるものなのか?」
今は顔を拭き終わって、シュジャがただアースィーに抱えられているだけだ。こうしてくっついていれば熱くなってもおかしくないのに、アースィーの体はずっとひんやりしている。
「普通はしない、かな」
「そうか」
なら、どうしてアースィーはシュジャを眺めたり、世話をしたり、あれこれ構いたがるのだろう。
「……シュジャは、嫌?」
声に不安が含まれているような気がして、シュジャははたりと目を瞬いた。
嫌なら、大人しくアースィーの腕の中に納まっていたりなどしない。アースィーほどではないが、シュジャも人族よりは力が強いのだ。
アースィーのひんやりした体に遠慮なく体重を預けると、ぎゅっと抱え込まれる。
感じているのは、不快ではなく安心だ。
「アースィーに世話をされるのは、嫌なものではない」
「……そう?」
「ああ」
アースィーはシュジャを混ざりモノと呼んで排除しようとしないし、不老不死を得るために取って喰おうともしない。シュジャが素顔を見せて、思ったままの言葉で話しても、優しいままだ。ともすれば、父親や母親以外で、初めて恐ろしくない相手なのかもしれなかった。
ひんやりした体にすり寄ると、たくましい腕がしっかり抱きしめてくれる。
「俺は、シュジャを甘やかしたいと思ってる」
「あまやかす……?」
見上げて聞き返したシュジャを、アースィーはただ撫でてきた。
「それは、兄弟ならするものか?」
「……する人も、いるかな?」
「そうか」
それなら、アースィーの思うようにすればいいと思った。
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