8.剣呑
三日働きに行って、一日休み。
シュジャの働き方が定まってアースィーも落ちついたのか、必ず家で待っている、ということはなくなった。
ただ、アースィーが家にいるときには、シュジャが帰った途端捕まえられて離してもらえない。そのまま冷たいタオルで顔を拭いてくれて、今日の仕事がどうだったか聞かれる。不快ではないから構わないのだが、どうしてここまで世話をされるのか、よくわからない。
「バナフの店はどうだい?」
頼まずとも惜しみなく魔法を使って、シュジャの見た目を変えたり、服の中を涼しくしたりしてくれる。ここのところ、シュジャはほぼターバンを使わずに出かけるようになった。
慣れてしまってはいけない気もするのだが、アースィーはひたすら、シュジャに甲斐甲斐しい。
「……順調だと、思う」
それを言えば、ジューラも何くれとなく世話を焼いてくれている、のだろう。ノスト・アル・カラズに来て薬屋の場所を人に聞いて、初めて教えてもらったのがここだった。ここでいろいろと尋ねて、安く住める家を教えてもらい、シュジャに調薬の技術があるとわかると、この店に卸してもいいと言ってくれた。
「よかった! シュジャは大人しそうだし、ちょっと心配してたの!」
孫娘のティンニが快活に言って、薬の代金を入れた革袋を差し出してくる。ジューラの娘夫婦は行商人をしていて、ノスト・アル・カラズを離れている間はジューラがティンニを預かっているのだ。
快活で押し出しも強く、シュジャから見ても商売人の娘だな、と思うことが多い。
「ティンニ」
ただし、ジューラによく注意されている。
ぺろりと舌を出したティンニから革袋を受け取って、シュジャは小さく苦笑を漏らした。ティンニがきょとんと目を瞬いてから、嬉しそうな顔をする。
「やっぱりシュジャは優しいもん。お店番も向いてると思う!」
今度はシュジャがきょとんとする番になった。客商売ともなればそれなりに愛想よくしなければとがんばってはいるが、ジューラの店では柔らかい態度を取った覚えがない。
「……シュジャ、他に何か困ってたりしないかい?」
ティンニをそっと押しとどめるようにして、ジューラが心配そうに尋ねてくる。何を心配されているのだろうかと不思議に思ったが、そもそも、バナフの店での仕事にしても、金が必要でとシュジャから相談したのだった。生活が苦しくなっているのではないかと心配されているのかもしれない。
「……私ではないが、店に来て何も買わない客が増えた、とバナフさんが言っていた」
アースィーを満足に食べさせるだけの金は稼げているし、調薬の道具も新しくできた。他にほしいものはなく、シュジャとしては満ち足りた生活をしている。
だから、強いてあげるなら、バナフが困ったように漏らしていた言葉くらいだろう。
「何も買わない客?」
「ああ……品物について聞いてくるから、私も答えているんだが……話すだけ話したら満足するようだ」
すでにルイムは出産の準備に入っていて、店にいるのはシュジャとバナフだけだ。普通の買い物客もいるのだが、数人の客が代わる代わるシュジャに話しかけてきて、商品の説明や新しいものがないか聞いてくる。まだシュジャの説明では足りないかもしれないのだが、不満は見られない。シュジャではわからないものについてはバナフを呼ぼうと提案するのだが、そこまではしなくていいとも言われる。
シュジャが時間を取られてバナフが少し忙しくなってしまうので、その点については厄介なのだが、話をするだけなので何とも言えない。
そう説明するとジューラもティンニも渋い顔をしたので、シュジャはわずかに首を傾げた。
「……シュジャ、それお兄さんに言った?」
ティンニに聞かれ、シュジャは首を横に振った。
いつのまにか、ジューラの店でも、アースィーがシュジャの兄であることになっている。そう何度もこの店に連れてきた記憶はないのだが、アースィーは一人でもたまに顔を出すらしい。
「言っておいたほうがいいよ、きっと心配だろうから」
「そう……なのか……?」
アースィーは探し物もあるし、シュジャにそこまで構っていられないのではないだろうか。
しかしジューラもティンニも熱心に勧めてくるので、シュジャは素直に従うことにした。どのみち、今日はジューラの店に薬を売りに行く予定だけで、バナフの店の仕事は休みだ。アースィーが家にいるかどうかわからないが、シュジャには出歩く用事がない。
ただ、アースィーは家にいなかった。構わず外套を脱いで棚にしまうと、夕食の準備を始めておく。
探し物は、進んでいるのだろうか。アースィーが話そうとする様子がなかったから、何を探しているのか、シュジャも詳しいところは聞いていない。わざわざそのためだけにノスト・アル・カラズに来たようだし、何か大事なものではあるのだろう。おそらくそれを探すために領主の館に忍び込んだのだと思うが、領主の館から何かが盗まれたという噂は聞こえてこない。
人の家に勝手に入るのは悪いことだが、シュジャには今さらアースィーが悪い人間だとも思えなかった。
ほだされているのかもしれない。しかしアースィーは、最初にシュジャをねじ伏せたとき以外、やたらと人を攻撃するようなことはなかった。屋台の喧嘩にシュジャが巻き込まれそうになったときくらいだろうか。シュジャ以外の人にも、基本的に優しい。
あとはひたすら、家にいるときにはシュジャを世話したがって、外にいるときはシュジャの傍から離れようとしない。そのくせ、ふらりと一人で出かけていくし、どこに行くかも言わない。時間もばらばらだ。
「ただいま、シュジャ」
「ッ……!?」
するりと伸びてきた腕に後ろから抱きしめられて、シュジャは身を強張らせた。
いや、声も体温も、アースィーのものだ。
「アー、スィー……?」
「……ああ、ごめん」
ふっと存在感を増した気配に、固まった体が緩んでいく。アースィーの気配、におい、体温だ。
家に入ってきたのに、まったく気づかなかった。いや、家にいるときは外にも気を配っているのだが、それにすら引っかからなかったのだ。
気が緩んでいるのかと思ったが、改めて家の外に意識を向けても、獣人や人族の気配は把握できている。
「ごめんね、怖がらせて。ちょっとしつこかったから」
しつこかった、というのは、また誰かに追われていたのだろうか。悪いことはしない、と思うし、危ないことはしないでほしいが、勝手なことも言えない。
「……魔法か……?」
「シュジャのため以外には、魔法は使わないよ」
魔法で身を隠していたのかと思ったが、アースィー自身の技術らしい。撫でてくれる手はいつも通りの優しさで、昂った気持ちが落ちついてくる。
アースィーは、何者なのだろう。
「……料理を、している、から」
何と言えばいいのかわからなくなって、シュジャは切れ切れにそう告げた。
アースィーがシュジャのもとにいるのは、探し物が終わるまでの間だけだ。だから事情を深く聞こうとは思わないし、アースィーが何者なのか、聞くのははばかられる。
しかし、アースィーはシュジャを大事にしてくれている。当初のシュジャを守る、という約束を律儀に果たしてくれているだけだとは思うが、甲斐甲斐しく世話もしてくれる。
それが、何のためなのか、わからない。
「ごめん、邪魔して。待ってる」
アースィーの手がもう一度シュジャを撫でて、離れていく。
それで呼び起こされる感情がなぜなのかも、よくわからない。
ゆでていたイトリィを引き上げて水を切り、皿によそってソースをかけて野菜を添えていく。肉がなくても、アースィーに不満げな様子はない。大人しく食べてくれている。肉は、屋台で買い食いしているのかもしれない。
そういえば、アースィーに伝えておかなければならないこともある。
「アースィー、ジューラとティンニが、アースィーに言っておけと言っていたんだが」
「うん?」
話しているうちに、シュジャの声はだんだん小さくなっていった。
アースィーは穏やかに笑っているはずなのに、背筋がぞわぞわして仕方ない。
「シュジャ、他に何もなかった?」
「な、ない……話しかけられる、だけだ」
捕食者の目がゆっくりと細められて、潔白を証明するためにぶんぶんと首を横に振る。嘘など言っていないし、隠し事もしていない。
ふっとアースィーの空気が緩んだことで、シュジャは再度体が強張っていたのに気がついた。
「話してくれてありがとう、シュジャ」
空気は和らいだが、アースィーの目は剣呑なままだ。
何がいけなかったのかわからないが、何をどう聞いていいのかもわからない。元々シュジャは人付き合いが少なかったから、アースィーが何を喜んで何を嫌がるのか、予測がつかないのだ。
「アースィー……?」
そっと声をかけてみると、アースィーの目つきはいつも通りに戻っていた。
「俺はシュジャを守るよ。それは絶対」
「うん……?」
話しかけられるだけのシュジャを、守る必要があるのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます