7.居心地

 ジューラの書いてくれた地図を持って、シュジャはノスト・アル・カラズに来てから初めての通りに足を踏み入れていた。ノスト・アル・カラズが広いのもあるが、シュジャがほとんど、自分の生活圏を広げないのも原因だ。新しい場所へ行ってみようとか、普段と違うことをしてみようといった欲があまりない。

 その点少しはアースィーを見習ったほうがいいのかもしれない、とシュジャは視線を横に向けた。アースィーは、物珍しそうにわくわくした顔で周囲を見回している。不安や警戒心といったものはまるで感じられない。

 まあ、アースィーは強いし体も大きいし、シュジャのようにエルフの噂を気にする必要もない。人間の町で警戒しなければならないこともないのだろう。


「……ファルカ」

「大丈夫、シュジャの傍にいる」


 不安が勝って声をかけたわけではないのだが、アースィーにふらふらとどこかへ行かれても困る。初めての場所なのでシュジャの腰を捕まえるのはやめてもらっているから、アースィーが離れてもとっさに対応できない。

 それも不安の一種かと考え直し、ジューラにもらった地図をもう一度確認する。


「こっちか」


 目印として書き込まれていた店を見つけたら、その横の通りを入って三件目。

 砂レンガでしっかりと作られた建物だが、ランプがいくつも下がっていて明るい雰囲気の道具屋だ。


「こんにちは」

「はーい、いらっしゃい」


 人族の女性が出てきて、シュジャとアースィーを見とめると愛想よく微笑んでくれた。確か夫婦で道具屋を営んでいて、出産を控えているので産前産後の手伝いを探している、と聞いている。腹が膨らんでいるので、彼女が妻のほうだろう。


「……はじめまして、ジューラさんに紹介されて来ました、シュジャといいます」

「ああ、お手伝いの人!」


 今の応対でよかったのだろうか。なぜか知らないが、後ろでアースィーが嬉しそうにしている気がする。今のどこに喜ぶようなところがあったのか。

 女性がぱたぱたと店の奥に引っ込んでいくと、人族の男性を連れて戻ってきた。


「あっ、ごめんなさい、名前も言わずに。私はルイム、こっちは夫のバナフ」

「シュジャです。あー……後ろはファルカです」


 ルイムとバナフの目がシュジャの後ろにも向いたので、一応紹介しておく。二人が愛想よく挨拶していたので、アースィーも感じよくしただろう。


「ジューラさんからは、一人と聞いていたけど……?」

「あの、ファルカは手伝いではなくて、私だけで」


 不思議そうな顔をされた。それはそうだろう、子どもでもないのに付き添いか何かがついてきている。


「すみません、聞いたことのないお店だったので、品揃えを見てみたくてついてきちゃいました」


 シュジャが言葉に詰まっているうちに、アースィーがへらっと話を作り出していた。思わず後ろを見ると、黒髪に黒い瞳という目立たない色合いのアースィーが、にこりと笑う。そのままシュジャの腰に手が回ってきて、何だと目をやっているうちにルイムとアースィーの間で会話が弾んでいく。


「ええ、そうなの、素敵でしょう? 友人がランプ職人でね、試作品は売り物にならないからって言ってたのを、もらってきたの」

「こんな綺麗なランプなら、うちにも飾りたいくらいです」

「本当? 嬉しい、天井のは売り物じゃないんだけど、似たようなのを作ってもらうこともできるから、もし気に入ったのがあったら教えてね」


 シュジャの家では、この綺麗なランプを飾るのは難しいのではなかろうか。狭いし天井も高くない。

 戸惑っているとバナフが苦笑するのが見えて、シュジャは視線を戻した。


「すまん、こうなると止められないんだ、うちの奥さん」

「いえ……こちらこそすみません、ファルカがこんなに話に夢中になると思っていませんでした」


 ここは元々バナフの両親が食器を商っていた店で、バナフが跡を継いだのだそうだ。ルイムはこの店に皿を納めている職人の娘で、その人脈で様々な道具を取り扱うことになり、食器だけでなくランプ、ランプに使う油、その油を入れるツボ、手入れのためのタオル類、タオル職人の本業は絨毯織りなのでその絨毯、などなど、もはや何屋とも言いがたく道具屋で通している。

 それだけ商品の種類が多いせいで、人を雇うにも教えるのが大変と夫婦二人で済ませていたのだが、さすがに出産ともなればしばらくは店に立てない。どうしたものか、とバナフの両親の知り合いであるジューラに相談し、シュジャがやってきた、ということらしい。

 ただ、ジューラが信用してくれているのかどうかわからないが、それだけの種類の品をシュジャが覚えきれるだろうか。


「初めはルイムと一緒に店に立って、いろいろ慣れてもらう予定ですから。大丈夫ですよ」

「すみません……がんばります。よろしくお願いします」


 顔に出ていただろうか。あまり不安げな様子を見せてもいけないだろう。

 表情を引きしめてシュジャが頭を下げると、ルイムが少し慌てたようだった。


「ごめんなさい、おしゃべりに夢中になっちゃって。こちらこそよろしくお願いしますね、シュジャさん」

「はい」


 おしゃべりが好きというよりは、これはと見込んだ品物については熱弁してしまうタイプらしい。微笑ましいなと思ってうなずくと、シュジャの腰に回っていたアースィーの手にぐっと力が入った。

 見上げた先の顔は、柔和に笑っている。


「それじゃ、俺は行くね。シュジャ、がんばってね」

「ああ……」


 今は茶色になっているらしいが、黒にしか見えないシュジャの髪を撫でて、アースィーがにこりと笑って店を出ていく。気配がなくなると、どうしてか落ちつかない気持ちになった。


「心配性のお兄さんね」

「え」


 アースィーとルイムの話にはついていけず、バナフから経緯や仕事の話を聞くことに終始していたから、思わず戸惑いの声を漏らしてしまった。どうやらアースィーがそういう事情にしたらしい。アースィーが兄で、シュジャが弟。

 なぜだ。シュジャのほうが年上だと思うのだが。


 それから、シュジャは茶色の髪と茶色の目であり、ウルジュラザートに住んでいるにしては色が薄いので、比較的陽光に弱く、外套やターバンで体や顔を覆うようにしていることが多い、らしい。

 そうだけども。そんな虚弱体質の設定はいらない。


 アースィーがどう話を作っているのかわからない。矛盾が生まれないよう注意しつつ、あれこれと教えてくれるルイムの説明を必死に覚える。アースィーのおかげで商品説明以外にも覚えることがあって、少々大変だ。


「大丈夫、一回で覚えなくていいから。何回でも聞いてね」

「……ありがとうございます」


 その間にも客は来るので、ルイムに紹介されつつ、客自身を覚えたり商品を覚えたりしていく。

 シュジャにとっては人間のほうが、覚えるのは難しくない。気配も、においも、声も、その声で話すことでわかる考え方も、その人間を識別するための重要な情報だ。


「俺ァアフマルっつーんだけどよ! これからよろしく頼むな、にーちゃん!」

「はい、今後ともよろしくお願いします」


 豪気な印象の男性に背中を叩かれ、よろめきつつ頭を下げる。アフマルは大工で、タオル類をよく買っていくそうだ。


「俺ァアフダルっつーんだけどよ! これからよろしく頼むな、にーちゃん!」

「……はい、今後ともよろしくお願いします」


 同じように背中を叩かれ、常連客だという男性が店を出ていくのを見送る。アフダルは屋台の主人だそうで、食器類を買っていくことが多いらしい。


 なお、アフマルとアフダルは家族でも親戚でもない、赤の他人だ。

 名前が似すぎではないだろうか。それに職業も違うのに顔もそっくりだった。本当に赤の他人だろうか。


 少しくらくらしながらシュジャが今日の分の給金を受け取って家に戻ると、アースィーが待っていた。


「おかえり、シュジャ」

「ただいま……」


 外套を脱ぐとアースィーに抱えられて、そのまま膝の上に乗せて顔を拭いてくれる。今日はアースィーの魔法のおかげでターバンをしていなかったから暑くないのだが、それでも、冷たいタオルで拭いてもらえるのは気持ちがいい。


「疲れたね、シュジャ」

「ん……」


 アースィーの膝の上に抱えられて、撫でてもらえるのは気持ちがいい。疲れてぼんやりしていたからとろとろと眠くなってきて、アースィーのひんやりした体を求めて頬をすり寄せる。


「今日はどうだった?」

「……そっくりなおじさんが来た」

「……そっくりなおじさん?」

「見分けがつかない……」


 アースィーが撫でてくれるのは気持ちいい。アースィーのひんやりした体に触れているのも気持ちいい。

 でも、ここで眠ってはアースィーの夕飯がない。


「……アースィー……ごはん……」


 もらった給金の袋を押しつけて、それが限界だった。シュジャはそのまますやすやと眠りに落ちていた。

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