6.縄張

 ふっと目が覚めて、シュジャは少しだけぼんやりしたあと、ごそごそとアースィーの腕を抜け出した。

 最初の数日は別の寝床を作らなければと思っていたのに、いつのまにか一緒に寝るのが苦にならなくなってしまった。昼でも夜でも、アースィーは一人でふらりとどこかへ出かけていくのだが、朝には必ずシュジャを抱えて眠っている。探し物をしているらしいし、いい大人だろうからとやかく言うつもりはないが、夜出かけたときにはきちんと眠れているのかが気にかかる。

 あれこれと世話を焼かれているシュジャが心配することでもないかもしれないが。


 イトリィを入れた鍋を火にかけて、二人分を用意しながらあくびをする。スープは昨日食べきってしまったのだったか。別の鍋も竃に置いて、水とスパイスを適当に混ぜてソースを作っていく。アースィーには物足りないかもしれないが、我慢してもらうしかない。


 シュジャだって、この状況を何とかしようと、薬を売りに行く頻度を高めてみた。それから、一度に作れる量を増やそうと、少しだけ無理をして調合道具を新しくした。

 それに、金がないというアースィーに、自由に使える金を少しばかり渡してもいる。


 結果、シュジャの財布は涸れ果てていた。

 仕方ない部分もあるのだが、これでは生活が続かない。


 後ろでごそごそと物音がして、背中にひんやりとした感触が触れてくる。


「おはよう、シュジャ」

「おはよう、アースィー」


 涼しいほうが好き、と認識されたのか、シュジャが家にいると、アースィーはたいがいくっついてくる。後ろから抱きしめられていると料理がしにくいのだが、今はソースをかき混ぜているだけなので、止めるほどではない。

 それに、暑いノスト・アル・カラズにおいて、アースィーの低い体温は魅力的すぎる。


「肉……」

「屋台に行け」


 いろいろ試して魚は食べられるらしいことはわかっているが、シュジャは基本的に野菜か果物、木の実やきのこしか食べない。肉が食べたいと言われても普段から買わないし今は買えないし、アースィーの手元にあるお小遣いでどうにかしてもらうしかないのだ。


「シュージャー……」


 アースィーはおそらく、肉を食べる種族なのだろう。食事の話にも、狩りをしていたと言っていたから、もしかしたら肉だけでも生きていける種族かもしれない。

 肉を食べたら、体つきがたくましくなるものなのだろうか。背中に触れる感触は、硬すぎず柔らかすぎず、しっかりと肉がついて力強い。


「……アースィー、ないものはない」


 すりすりと頬を寄せてくるアースィーにきっぱりと告げ、シュジャは手を伸ばして頭を撫でてやった。大型の犬でも相手にしているような気分だが、こうするとだいたいアースィーは機嫌がよくなる。そうして素直に、テーブル代わりの箱の用意を始めてくれるので、あとはイトリィにソースをかけてアースィーの前に置くだけだ。

 不揃いな食器でもすもすと食事を進めながら、何か考えているらしいアースィーを眺める。


 シュジャより体格がいいといっても、アースィーの体はいかにも鍛え上げているというほどではない。

 ただ、シュジャの体はエルフ族の性質の影響か、どれだけ鍛えても華奢な体つきは変わらない。その上平均的な人族より背は高いから、どうにもひょろりとして見える。それと比べたら、誰だってたくましく見えるかもしれない。

 しかしアースィーは、不意を突いたとはいえシュジャをねじ伏せてびくともしなかったし、屋台で食事をしていたときに近くで起きた喧嘩も、あっさりと片づけてしまった。力自体、強いのだとは思う。


「どうかした?」


 この体を維持するならたくさん食べるだろうな、などと考えていたら尋ねられて、シュジャはぱたりと目を瞬いた。

 何だっけ。


「……嫌でなかったら、協力してほしいんだが」


 話そうと思っていたことを思い出しつつ、食べ終わってシュジャに相槌を打つのが仕事らしいアースィーに説明する。


「仕事を増やすことにした。だから、姿を変える魔法を、使ってほしい」


 アースィー頼りにはなってしまうが、シュジャの姿がエルフ族でなければ、姿を隠してひっそりと薬だけを売る必要はない。一応、エルフ族の見た目であることを気にしなくていいなら、シュジャはそれなりに人と接することができているはずだ。

 先日ジューラの店で相談して、知り合いの道具屋が人手を欲しがっているのでどうか、と教えてもらった。ずっと続けてほしい、という話でもないし、店の中で客相手に道具を売ればいいだけで、賃金も、その日の終わりにその日の分を払ってもらえるらしい。


「……聞いてないけど?」


 ただ、アースィーは不機嫌にそう言った。


「……アースィー?」


 食卓の反対側にいたアースィーが返事もなく立ち上がり、見上げているシュジャを苦もなく抱え上げて寝床に下ろし、体全体で囲ってくる。まるでシュジャが逃げるのを拒むような行動だが、シュジャにそんなつもりはない。

 不思議に思って見上げていると、オアシスのような瞳がいくぶんか濃くなっているような気がした。


「俺、聞いてない」


 シュジャは薬を作るために家にいるか、買い物のために出かけるか、薬を売るために出かけるか、行動パターンはだいたいその三つだ。ノスト・アル・カラズなら基本的な薬の材料は買って済ませられるので、採集に出かけることもないし、水もオアシスで汲めば済む。

 アースィーは、探し物のために出かけているのでなければ、だいたいシュジャにくっついている。初めは戸惑ったが、シュジャを守るという約束を律儀に果たしているらしいことがそのうちわかった。

 ただ、シュジャが普段と違うものを買いに行こうとしてもアースィーは止めなかったし、シュジャの予定をそこまで気にしている様子もなかったはずだ。


「……言わないといけなかったのか?」


 新しい仕事にアースィーが反応する理由がわからない。聞いていない、と怒る理由もわからない。

 だったら聞いてみるしかないと思ったのだが、アースィーの目つきがすっと変わって、それからシュジャの上で脱力した。


「……まだ、シュジャはまだだけどさ……」


 何がまだなのか。

 それよりも別の問題もあるが。


「アースィー、重い」


 体だけでなく腕まで使ってシュジャを囲い込んでいたアースィーが、そのままのしかかってきたのだ。当然重い。抜け出そうにも、脱力した人間の体は異様に重い。

 しかしどいてはくれず、そのうち器用にぐるぐると喉を鳴らし始めて、いったい何の種族なのかという疑問がまた浮上してくる。猫科の獣人が喉を鳴らすようなことはあるらしいが、犬科は唸るだけだ。リザードマンが特殊な音を鳴らしてコミュニケーションを取るという話もあるが、リザードマンではないと本人が否定している。


「アースィー!」


 半ば怒鳴るような形になってしまったが、気にした様子もなく、アースィーはシュジャの上からどいた。

 そして、シュジャを抱え込んだ。

 上にのしかかる形でなくとも、アースィーがシュジャを抱え込めば逃れようがない。先ほどはシュジャを逃がさないようにしていると感じたが、むしろ手放すまいとしている、といったところだろうか。アースィーから離れようとしているとか、特にそういうこともないのだが。だいたい、探し物の間だけ居候させてくれ、と言ってきたのはアースィーのほうだ。

 とにかく、シュジャを捕まえて喉を鳴らしているアースィーをどうにかしないと、いつまででも放してもらえない気がする。


「アースィー、何が嫌なのか話してくれ」


 胸元に抱え込まれようが、アースィーの体はひんやりとして気持ちいいので構わないが、動けないのは困る。

 なかなか口を開かないアースィーに、できるだけ優しい言葉をかけてみたり撫でてみたり、子どもをあやしている気分になってきた。そろそろめんどくさいなと思い始めたころに、ようやくアースィーがぽつりとこぼす。


「……シュジャが俺のテリトリーから出るのはやだ」


 アースィーの種族は、縄張り意識が強いらしい。その縄張りから、自分の庇護下にあるものが出ていくのが嫌。

 庇護されている意識はないのだが、守ると約束されているし、アースィーがなるべくシュジャの傍にいようとするのもそれが目的だ。庇護下にいると認識されても、仕方ない状況ではある。

 しかし人間の町にいてテリトリーも何もない気がするが、何をどう区切っているのだろう。シュジャの普段の行動範囲が、アースィーのテリトリーとして認識されているということだろうか。


「なら、初日は一緒に行くか? どういうところなのか見られたら、少しは気が休まるだろう?」


 ぐるる、と喉を鳴らして、アースィーの目がシュジャに向く。擬態が少し解けているのか肉食獣の瞳に捕捉されている状態だが、アースィーだからと気が緩んでいるのか、恐怖はない。


「シュジャは、行かなきゃだめ……?」

「アースィーの食費を稼がないといけないから」


 目に見えてショックを受けた顔をされた。

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