5.理由

「今回はずいぶん来るのが早かったねぇ」

「……そろそろ調薬の道具を新調したいんだ」


 苦しい言い訳のようにも感じたが、ジューラは追究することもなく薬の代金を渡してくれた。礼を言って受け取り外に出ると、いつも通り、日差しが眩しくて一瞬視界を失う。

 シュジャの服装もいつも通り、ターバンと重ね着と外套だ。アースィーは魔法を使うかと申し出てくれたが、シュジャは礼儀正しく断った。普段と違う格好で訪ねても、ジューラたちのほうがシュジャを判別できないだろう。


 薬屋のある通りを抜けて、活気づいた大通りに出る。呼び込みの声はいつもと変わらないし、シュジャがなるべく喧騒を避けたいのも変わらない。


「シュジャ」

「……ファルカ」


 変わったといえば、アースィーのことだろう。

 雑踏の中からふらっと現れてシュジャの隣に並んだ男は、黒髪に黒い瞳をしている。この姿のときは、ファルカという名前で呼ぶ取り決めだ。


「暑くないの?」

「……少し」


 日差しを直接浴びるよりはいいが、気温の高い日に着込んでいれば、当然のように暑い。

 それが、突然なくなった。


「涼しくなった?」


 思わず立ち止まりそうになって、シュジャの背中に当てられたアースィーの手にそのまま歩かされる。アースィーが微笑んで尋ねてくるということは、つまり。


「魔法か……?」

「そう」


 アースィーは、呼吸をするのと同じように魔法を使う。シュジャはまじないの言葉を唱えなければいけないのに、言葉もいらないらしい。

 ターバンの陰の下で視線を落として、シュジャは少し言葉を探した。


「……ありがとう」


 まずは、魔法を使ってくれたことへのお礼が必要だろう。アースィーが嬉しそうな顔をしたので、これは正しい応対だ。


「ただ、これは私が必要だと思ってやっていることだから、アースィーが気にかけて何かする必要はない」


 すごくショックを受けた顔をされた。何か間違えただろうか。


「……何だ?」

「俺、嫌なことした?」


 何かされただろうか。初対面でいきなり組み伏せられたが、謝罪は受けたし、そのあとは無邪気な犬のようというか何というか、懐かれているだけだと思う。


「いや? なぜだ?」


 強いて言えば、出費に関してはかなり胃が痛い。単純に二人分の食料を買わなければならなくなったし、アースィーはシュジャより遥かによく食べる。前回からあまり日を跨がず薬を売りに行くことになったのも、それが理由だ。


「……俺は、シュジャの嬉しいことしたい」


 困ったような顔をされても、こちらも困ってしまう。


「……ファルカ、今日の用事は終わったのか?」

「え? ああ、終わってる」

「そうか、なら帰ろう。ちゃんと話がしたい」


 シュジャにとって、誰かと一緒に暮らした記憶は遠い過去のものだ。それも、父親はいつのまにか姿を消してしまって、母親と二人だけ。血の繋がりも何もない相手と生活を共にしたことはないし、そもそも、誰かと親しく付き合ったことがほとんどない。

 だから、アースィーとどう距離を取ればいいのかわからない。

 ただ、しばらく一緒に暮らして、アースィーはシュジャを見て目の色を変えることはなかった。シュジャがエルフ族の血を引いていることが露見しないよう、気を遣ってくれているのもわかった。

 だから、アースィーとは話をしてみようと思える。


「わかった、帰ろう」


 にこりと表情を穏やかにして、アースィーがシュジャの腰に手を回して歩き始めた。

 これも、初めの頃は慣れなくて歩きにくかったのだが、今ではアースィーとうまく歩調を合わせられるようになった。他にこうやって歩いている人間は多くないので気になったものの、こうしていたほうがはぐれないからと言われてそのままにしている。大通りは確かに人が多くて、はぐれた同行者を探そうと辺りをきょろきょろしている人間も多い。


「この町は広いな」

「ああ……交易拠点から発展した町だからな」


 人が集まっていた場所がそのまま町になったようなところだ。オアシスも涸れる兆候がなく、人は増え続けているらしい。

 人が多いところは好きではないのだが、そのおかげでシュジャも紛れていられるので、ままならないものだなと思う。あまり小さな村では、よそ者の話はすぐに知れ渡って、一挙手一投足を見張られる。


 まだ若かった頃の失敗を思い出してシュジャがため息を漏らすと、触れているアースィーの手に力がこもった。不思議に思って見上げると、アースィーもじっとシュジャを見下ろしている。


「どうかしたのか」

「……シュジャの快適生活のためにがんばるから」

「うん……?」


 何がどうなった。

 アースィーがなぜそこまでシュジャの生活やら感情やらにこだわるのか、よくわからない。


 周囲に意識を払いつつ、家に戻って気配を探る。シュジャの家のほうをうかがうものはない。

 ほっとしてターバンを脱ぎ、シュジャは外套も軽く払って棚にしまった。家でなら、顔を覆っていなくて済む。


「シュジャ」


 振り返ると待ち構えているアースィーがいて、シュジャは苦笑を漏らした。

 こうなると断っても諦めないので、座っているアースィーの前に素直に腰を下ろし、顔を向ける。おそらくアースィーの魔法で冷えた濡れタオルを用意していて、甲斐甲斐しく顔を拭いてくれるのだ。ターバンで暑かった顔が冷やされて気持ちいいのだが、シュジャは大人なのだから放っておいてもいいのに、とも思う。

 ただ、大人しく世話をされている状態なので、説得力も何もない自覚もある。


「はい、おしまい」

「うん……」


 アースィーは他の人間種族より体温が低くて、くっついていると気持ちいい。顔を拭いてもらうのは終わったというのに、シュジャが腕の中に居座っても、嫌がらず抱き寄せて冷やしてくれるから、甘えてしまう。


「エルフは、涼しいところに住んでるもの?」

「普通は、森や洞窟の……中だから……涼しい、のかもしれない……」


 シュジャ自身は、洞窟に住んだことはない。父親は母親に合わせて人の家に住んでいたし、洞窟エルフのいる洞窟に入ろうものなら、よくて追い出された。彼らは混ざりモノが好きではない。

 だからシュジャが持っているエルフ族の知識など、父親から聞いただけのことがほとんどで、詳しいことは知らないも同然だ。そもそも、シュジャがどこまでエルフ族の特性を持っているのか、それもはっきりしていない。


「……アースィー、話を、しないと」

「さっきもそんなこと言ってたな」


 名残惜しく思いつつ体を起こしたものの、アースィーの腕はシュジャの背中に回ったままだ。


「アースィー?」

「うん?」


 背中をぽんぽんと軽くたたいたり、髪の毛を撫でつけたりしてくる。子どものころに母親がこういうことをしてくれたような気もするが、大人同士でもやるものなのだろうか。


「その……アースィー、この状態で言っても、説得力はないが、私は大人なのだから、アースィーがあれこれと世話をする必要はない」


 アースィーの手が頬に触れると気持ちいい。つい頬をすり寄せてしまうのだが、これではますます疑わしくなってしまうだろう。我慢しなければと思うのに、人とこうして触れ合うのは初めてで、それがどうしても心地よくて、抗いがたい。

 こうして手を出してくるのはアースィーからなので、アースィーが嫌々やっているということはないだろう。ただ、シュジャに気を遣って世話をしてくれているなら、無理をしなくていい。


 そう思って伝えたつもりなのだが、アースィーは柔和な笑みを浮かべてシュジャを撫でている。手が止まる様子もなければ、先ほどのようにショックを受ける様子もない。


「シュジャは、俺にこういうことされるの嫌?」


 聞き返されて、シュジャはきょとんと眼を瞬いた。


「嫌ではないが……アースィーが私の世話をする理由が、ないだろう?」


 言葉にしてみて、理由がわからなかったのかと自分でも納得する。子どもなら世話をされるだろうなどと考えていたのは、シュジャの想像できる理由がそれくらいしかなかったからだ。


「俺がやりたくてやってるのは、だめ?」

「……やりたい、のか……?」

「シュジャにいろいろしたい」


 帰ってきたら顔を拭いたり、こうして撫でたり、いろいろ世話をしたい、らしい。

 シュジャに断る理由はないが、してもらうわけもわからないので、首を傾げることになった。


「俺はシュジャに、気持ちよく過ごしてほしい」

「どうして……」


 シュジャの両頬をむにゅっと包んだアースィーの両手は、ずっとシュジャに触れているのにひんやりしたままだ。


「探し物が終わったら、教えるよ」

「……そうか」


 隠されなくてほっとしたような、先延ばしして隠されたような。どちらとも取りかねて、シュジャはゆっくりと返事をした。

 アースィーは、穏やかに笑ったままだった。

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