4.種族
自分の体を見下ろし、アースィーを見上げ、もう一度自分の体を見て、シュジャは首を傾げた。
「これは……変わってるのか?」
「本人にはわかんないんだけど、ちゃんと変わってるんだって」
シュジャがまじないの力、と呼んでいたものを、アースィーは魔法と呼んでいた。その魔法でシュジャの見た目を一時的に変えることができると言われ、ものはためしと術をかけてもらったのだ。
その結果、シュジャには何も変わっていないようにしか見えなかった。
「今のシュジャは、耳も尖ってないし超絶美人でもないし、髪も目も茶色になってるよ、大丈夫」
シュジャの家は、ノスト・アル・カラズで一般的な砂を固めて作られたレンガの家の上に、さらに砂レンガの家を作り、その上にまた重ねて、と積み上げられた家の山の一角にある。人が増えるのに家の供給量が追いつかなかった頃の名残だそうで、上に行くほど狭く小さくなるし、その分安く住めるというわけだ。住民には、アリ塚、と呼ばれている。
当初はシュジャ一人が住めればいいと思っていたから、寝床と調理場、あとは物を置く棚二つでほぼいっぱいの小さな部屋を借りた。そこにシュジャよりも大きな男が増えてしまったのだが、寝床を新しく増やすわけにもいかず、二人でぎゅうぎゅうと収まって寝る羽目になった。
これは無理をしてでも寝床をどうにかしたほうがいいと、一睡もできずに迎えた朝にシュジャは決意した。出かけるためにターバンと重ね着に手を伸ばしたところで、アースィーから魔法の申し出があったのだ。
道具を使うことも化粧をすることもなく、アースィーが何やらしただけで見た目が変わったらしい。アースィー自身も、領主館に忍び込んだときは姿を変えていたから、今の姿で外を歩いても追われることはないそうだ。
「……顔の美醜が関係あるのか?」
鏡など置いていないから、目視できるのは髪くらいのものだが、それもシュジャの目には黒いままだ。これで本当に、ターバンも重ね着もなしで歩いて大丈夫だろうか。
「美人だったらナンパしたくなるだろ」
「……考えたことがない」
森林エルフだろうと洞窟エルフだろうと、人間基準で言えば顔は整っている。シュジャは洞窟エルフと人の間に生まれた子どもだが、見た目はほとんど洞窟エルフと同じだ。なので自分の顔が整っているほうだとは知っている。ただ、顔の良しあしで付き合いを持つかどうか考えたことはない。
むしろ、幼い頃にいろいろありすぎて、人との関わりは避けるようになっていたし、不老不死の噂がある近年はますます身を隠すようになっている。
顔がいいと、声をかけたくなるものなのだろうか。
「あ、俺も変えたらわかるか!」
考え込んでいるところにアースィーが大きな声を出して、シュジャはびくっと肩を跳ねさせた。何をと聞く前にアースィーの見た目が変わって、黒髪に黒い瞳の人物が現れる。
「……アースィー?」
「おう」
近づいてよく見ても、顔立ちさえ違っている。触ってみても、目に見える顔立ちそのままだ。
「……すごいな、本当に変わってる……」
「あー……シュジャ?」
今度は戸惑った声で名前を呼ばれて、シュジャはきょとんとアースィーを見上げた。怒りはなさそうだが、どういう表情なのか読み取れない。
「何だ?」
「……俺はいいけど、人間の顔をあんまりぺたぺた触っちゃだめだからな?」
確かに。
「……すまない」
手を引いて体を離し、シュジャは素直に謝罪した。
どう考えても距離が近すぎる。シュジャだって、無遠慮に触られるのは嫌だ。気が緩んでしまっている。ほとんど眠っていないせいだろうか。
「俺はいいよ」
「よくはないだろう」
「ひんやりしてて気持ちいいってよく言われるし」
そういえば、大人二人がくっついて寝れば暑くて寝苦しいはずだが、アースィーに抱えられても暑いとは思わなかった。
「……アースィー」
「どうぞ?」
腕を広げて迎え入れる姿勢を見せてくれたので、いそいそと近づいてアースィーの頬に触れる。自己申告通り、シュジャの手よりひんやりしていて触れると気持ちいい。
「……リザードマン、では、ないよな?」
「残念、はずれ」
親しく交流したことはないからわからないが、リザードマンは人族より体温が低いと聞いたことがある。人族とエルフ族はだいたい同じくらいのはずなので、アースィーもリザードマンなのかと思ったが、それにしては人族の姿に擬態できているのがおかしい。リザードマンたちは擬態が得意ではない。
「……すまない、探るようなことを言った。食材を買いに行こう」
「別にいいのに。今から出かけるの?」
「家にあるだけでは、二人分には足りない」
少し躊躇って、シュジャは外套だけ羽織って外に出た。陽光を直接浴びると肌が痛むので、外套は欠かせない。
ただ、シュジャがターバンなし、体型をごまかす重ね着なしで外に出かけたのは、ウルジュラザートでは初めてだ。もっと昔、不老不死の噂がなかった頃はシュジャも普通にしていたが、そのときもやたらと顔を見られたのは覚えている。
「……誰にも、見られない……」
本当に、ノスト・アル・カラズならどこにでもいそうな容姿になっているらしい。隣に来たアースィーも、黒髪に黒い瞳は珍しくないので注目されていない。
「買い物できそう?」
「あ、ああ……」
戸惑っているところに話しかけられて、シュジャは曖昧にうなずいた。長い間、顔や体を隠して暮らしてきたから、外套一枚しかないのが少し不安だ。
シュジャが外套の内側でそっと拳を握ると、アースィーの手が背中に触れた。
「あれ何?」
示された方向にあるのは、通りに並んだ屋台だ。イトリィのプレートも、肉の串焼きも、ピタルカという平たいパンで肉や野菜を包んだものも、どれも珍しいものではない。アースィーが何に興味を持ったのかわからない。
「……どれのことだ?」
「あの黄色いの」
「イトリィか?」
イトリィは、ウルジュラザートのような砂の国々で食べられている、黄色のぽそぽそとした粒状の食べ物だ。これに肉や野菜を添えてソースをかけたものが、ノスト・アル・カラズではよく見られる。
「あれ食いたい」
「……なら、朝食は屋台で食べるか」
「うん」
わくわくした様子のアースィーに内心で首を傾げ、シュジャは少し緊張しながら屋台に近づいた。今まで人が屋台で食べているのを見たことはあるが、シュジャ自身がノスト・アル・カラズで屋台を利用したことはない。食事をするなら、ターバンを取らなければいけない。しかし、家の外でターバンを取るわけにはいかなかったのだ。
列に並んで、二皿注文して、ソースをかけたものを受け取って空いている席に座る。ちょっとした達成感で息をついたシュジャの横で、アースィーがスプーンでイトリィを口に運び、複雑な顔をした。
「……どうした?」
「……予想外の味」
今まで食べたことがなかったのだろうか。
ウルジュラザートにいれば、イトリィはありふれた食べ物だ。調理方法や料理は違っても、ほぼ必ずどの食事にも添えられていると言っていい。ウルジュラザート中を知っているわけではないが、味つけが極端に異なる、ということもないだろう。
アースィーが食べられないなら別の屋台を探さなければいけないかと思ったが、口に合わなかったというわけではないようで、今は普通に食べ進めている。
「……今まで食事はどうしていたんだ」
しかしそうすると、アースィーが今までウルジュラザートで食事をしたことがないという結論になってしまう。金がないと言っていたから、途中で路銀が尽きて飲まず食わずだったのかもしれない。ノスト・アル・カラズはウルジュラザートの端にあるわけではないので、それでも疑問は残るが。
「外で狩りして済ませてた」
狩りの対象にできるような動物が砂漠にいただろうか。小さなものは生きているだろうが、本来のアースィーの体が人族と同じくらいの大きさであったとしても、腹を満たせるほどではないはずだ。見つけるのも難しい、と思う。
怪訝な顔をしたシュジャに、アースィーは肩をすくめるだけだった。あまり人の種族を探るものではないが、不審な点が多すぎる。
ただ、弱みを握られているのはシュジャも同じだ。
「……肉以外も、食べられるんだな?」
だから、別のことを口にした。きょとんと目を瞬いたアースィーは、スプーンを口に運ぶことも忘れているらしい。
「もういいのか?」
「いや……食べる、けど」
何度かスプーンを口に運んだあと、シュジャにアースィーの目が向けられる。
「聞かないの?」
何を、とは言われなかったが、シュジャは聞き返さなかった。
「何でも食べられるなら助かる。私は肉が食べられない」
シュジャのプレートには、イトリィと野菜しか乗っていない。子どもの頃に肉を食べてみたことはあるのだが、気分が悪くなって吐いてしまった。父親は肉を食べなかったし、半分は人族と言っても、シュジャも肉を食べられないのだろう。
だからシュジャが買う食材といえば、野菜か果物かイトリィ、たまにピタルカといったところなのだ。肉の良しあしは知らないし、できれば買いたくない。
「だからそんなに細いのか……」
「……何の話だ?」
妙に感心したような声が聞こえて、シュジャはそれには聞き返した。
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