3.居候
行動が遅かった。判断が遅かった。
あげようとすれば反省点はいくらでも出てくるが、今はこの場を切り抜けなければいけない。どうにか拘束から抜け出して、この町からも急いで脱出しなければ。
森林エルフや洞窟エルフの純血でなくても、不老不死の迷信のせいで殺されるかもしれない。
逃げ道を探して必死でもがくシュジャの上に陣取っている男は、びくともせずにからからと笑った。
「まあそう焦るなよ、美人さん。ここで会ったのも何かの縁だ、取引といこうぜ?」
取引も何も、組み伏せられた状態で公平な会話になるとは思えない。肩越しに振り返ろうとしても、不審者の顔かたちは見えない。
「ベッラ」
「“解除”」
まじないの言葉を即座に止められて、シュジャは唇を噛んだ。
人や獣人相手だったら間に合ったはずだ。上にいる男は、もっと強い力を持った種族なのだろう。
「落ちつけって。俺はここに探し物をしにきただけ」
「……それを信用しろと?」
腕を捻り上げる力が緩んだかと思うとぐるっと体を反転させられて、シュジャは急な動きに思わず目をつぶってしまった。頭がぐらぐらして気持ち悪い。
「あ、悪い、大丈夫か?」
慎重に目を開けて、シュジャはようやく、上からどかない男を見ることができた。
濃い灰色にも見える鈍い銀色の髪は長く、布か何かで一つにまとめているらしい。浅いオアシスのような薄い水色の瞳は、快活そうに見えるのになぜか捕食者のような獰猛さをのぞかせている。
一瞬感じた怯えをごまかすように、シュジャは男を精いっぱいの威嚇を込めてにらみつけた。シュジャを捻じ伏せている男は、歯牙にもかけない様子だったが。
「探し物が見つかるまで、ここに匿ってくれ。それが俺の条件」
どこ吹く風で飄々と言ってのける顔に嘘はなさそうだが、はいそうですかと頷けるものでもない。シュジャは表情を緩めず、押さえつける男の力が緩む隙はないかと気を張り続けた。
シュジャのほうが隙を見せれば、それは死に繋がるかもしれないのだ。
「……こちらのメリットは」
しかし、自分を苦もなく捻じ伏せ、抗おうにもびくともしない男に、これ以上力で抵抗しようとしても無理がある、というのもわかっていた。
エルフ族は人族よりは力が強いはずだが、この男にはまじないも打ち消されてしまうようだし、知恵を使う必要がある。少しでも余裕ができれば、この町から逃げ延びることくらいはできるはずだ。
問いかけたシュジャに対し、男は事もなげに言った。
「滞在中、俺がアンタを必ず守る。不老不死の噂で、苦労してんだろ?」
冷静さを保とうと、シュジャは拳を握りしめた。
勝手に人の家に侵入しておきながら、ぬけぬけと。
「領主邸に侵入したのはお前だろう。そんな男が私を守る? 苦労してるんだろう? 同情か? 断る。出ていけ」
湧き上がったものを何というのか、シュジャにもよくわからなかった。ただ、押さえつけるべき感情を表に出してしまったことには気づいていたし、引っ込めるべきともわかっていた。
しかし、男を跳ね除ける力はないにしても、誰かにすがって生かされたいなどとは思わない。
シュジャの上でにやにやと笑っていた男は、きょとんと目を瞬き、真摯な顔になってぽつりとこぼした。
「悪かった、アンタの誇りを見くびっていた」
今度はシュジャが呆気に取られて、ぽかんと男を見上げることになった。それどころかシュジャの上からあっさりと下りて、床に手をついて頭を下げてくる。
「この通り謝る」
「え……っと……」
起き上がったものの、シュジャは戸惑ったまま男を見つめた。その場を切り抜けるためだけに謝っているのではなく、本気で頭を下げている、ように見える。
急いで抜け出して逃げなければいけなかったはずなのだが、気をそがれてしまった。ただの侵入者なのだから今すぐ叩き出していいはずなのに、話だけでも聞こうかとつい思ってしまう。
「……私を売るつもりは、ないのか」
しかし話を聞く姿勢を見せるのも不用心すぎる気がして、シュジャは違う質問を重ねた。少なくとも、この男自身にシュジャを食べるつもりがあろうがなかろうが、情報を売られれば同じことだ。
「ない。エルフ食ったら不老不死とか、どんな願望だよって話だろ」
ぱっと顔を上げた男の表情からは、肉食獣のような鋭さは消えていた。その代わりというのか、人懐こさのにじみ出るような笑みを見せていて、落差に戸惑ってしまう。
「……信じていないのか?」
見た目からは若そうに見えるのに、不老不死の噂を端から信じていない。何者だろうか。
「え、嘘、アンタ信じてんの?」
「……まさか」
顔をしかめて言い返し、シュジャは少しだけ体の力を抜いた。警戒はしてもしすぎることはないのだが、今この場においては、侵入者に対して気を張り続けても仕方ないと判断したからだ。
「エルフを食べたところで、食あたりがせいぜいだろう」
「食、あた……ぶふ……っ」
今の何が面白かったのだろうか。食用でないものを口にすれば、腹を下すのが道理だと思うのだが。
男が腹を抱えて笑い出し、どういう顔をしたものか、シュジャは転げ回っている男を何とも言えずに見下ろした。掃除していないわけではないから床はそこまで汚くないが、服が砂まみれになるのではないだろうか。砂浴びをするような種族なら、気にしないのかもしれない。いや、いくらなんでも服を着たまま砂浴びをする種族はいないだろう。
「……お前は何がしたいんだ」
待っていても埒が明かないような気もしたので、シュジャはさらに問いかけた。聞くべきことがそれなのか、もはやよくわからなかったが、何を聞いていいかもよくわからなくなっている。
「や……ここに置いてほしいのはわりとマジ。探し物もホント」
目尻に涙を浮かべ、笑いの余韻を引きずりながら男が起き上がって、シュジャに向き直った。他に情報がない以上、そこについて疑っても何もできはしない。ただ、他に何を隠しているのかと目をすがめて真意を探ろうとすると、きゅっと子犬のような顔をされた。
「マジで真剣に探してんだよ、拠点が必要なんだ。な、助けると思って!」
「……信じろと?」
「信じてくれとしか言えないけど、俺は絶対アンタを守るよ。約束する」
約束する、という言葉のところにまじないの力が込められている気配がして、シュジャはじっと男を見つめた。
まじないの解呪をしてのけたくらいだから、この男自身もまじないを操る力くらい持っているだろう。信じてくれという言葉だけではなく、まじないの力を使ってみせたわけだ。
「……私は、シュジャだ」
会ったばかりの男を信用してもいいものか、いささかためらいはあったが、シュジャは男から目を逸らさないまま口にした。きょとんと眼を瞬いた男が、ぱっと快活な笑みを浮かべてみせる。
「俺はアースィー!」
珍しい響きの名前だ。人族ではないだろうし、獣人でも鳥人でもない。ウルジュラザートの人間でもなさそうだが、ずっと一緒に住むわけでもないのに、あまり個人的なことに立ち入るのも不躾だろう。
アースィーにうなずいてみせると、シュジャは立ち上がって手を差し出した。
「……すまないが、この家に人を泊めたことがない」
立ち上がるのに手を貸してやり、顔を見上げることになったアースィーにシュジャは眉をひそめた。シュジャは背の高いほうなのだが、それよりも縦も横も大きい。外見と実年齢の相関しない種族なのだろうが、シュジャもそれなりに長く生きているので、年下であろう男に見下ろされるのは少々癪だ。
「……お前、金はあるのか?」
シュジャの家には一人で生活するための道具しかないので、食器も布団も買いに行かなければならない。さすがに、そこまでシュジャが世話をしてやることはないだろう。
「ない」
「……お前……」
胸倉を掴んで捻り上げたくなったが、シュジャは腕力がないしアースィーはそこそこ重量もありそうだ。ため息をつくだけで我慢して、財布の中身を思い返す。
次の納品を、少し早めることになりそうだ。
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