2.不審者

 賑やかな市場を通り抜け、居住区の中を喧騒から遠ざかっていくと、シュジャはさらに路地へと入り込んだ。曲がりくねった路地を用心深く進み、道と呼べるのかおぼつかない場所を抜けて、レンガ造りの建物からわずかに突き出た石を階段代わりに、上のほうへ移動する。そこも人が住んではいるのか、色あせた布が日よけに張られていて、屋根なのか通路なのか判別しがたい場所が続く。

 その中でも奥まった場所にある壁の前に立つと、シュジャは静かに辺りをうかがった。それから扉を開けて素早く中に滑り込み、すぐに閉めた扉を背にしてしばらく待つ。周囲から物音は聞こえない。

 ゆっくりと息を吐いて体の力を抜き、シュジャはそれでも慎重に周囲の気配を探って、安全だと確信できるまでじっと待っていた。どれだけ用心しても、しすぎるということはない。

 しばらくしてからようやく気を緩め、シュジャはゆるゆるとターバンに手を伸ばした。シュジャも、好きで頭から足の先まで覆い隠しているわけではない。

 しゅるしゅるとターバンが解け、端から床に落ちていくのに合わせて、褐色の肌があらわになっていく。頬に張りついた黒髪をうっとうしそうに払って、シュジャはばさばさと頭を振った。それから短い髪を手櫛で整える。顔に触れる髪をかけた耳は長く、尖っていて、何かを振り払うようにぴこっと一度動いた。


 シュジャは、エルフ族と呼ばれるものの血を継いでいた。


 シュジャの父は黒髪に褐色の肌、赤い瞳が特徴の一族で、森林に暮らす一般的なエルフとは違って、暗い洞窟で暮らしていた。しかし洞窟のエルフも森林のエルフと同じように、他の種族とはあまり交流を持とうとしない性質をしている。ただ、見た目で恐れられがちだが、他の人間種族を襲うようなものではない。

 しかし黒髪に赤い瞳という色合いが、誤解を生みやすいものであるのは間違いない。長い年月の間に、洞窟に住むエルフたちは、人間とくくられる種族たちに忌み嫌われるようになった。洞窟エルフたち自身も、攻撃的な性質こそ持たなかったが、他の種族と関わりたがらない性質を強め、排他的になっていった。


 その歴史は、シュジャにとって悪い方向に働いた。


 シュジャの父親は、洞窟エルフの中では変わり者だったのだろう。他の種族と比べて際立った特徴を持たない人族の女性と恋仲になり、子をなし、シュジャを得た。まだ幼かった頃には、シュジャも父親と暮らしていたような記憶がある。

 しかしシュジャと母親は、ついぞ他の洞窟エルフと関わることはなかった。

 他の種族と関わりたがらない洞窟エルフたちからは混ざりモノと呼ばれ、人のもとで暮らそうにもエルフ族と同じ外見が悪目立ちし、シュジャはどこにも居場所がなかった。いつしか父親は姿を消し、母親と二人流れ歩いて、故郷から離れようともそれは変わらなかった。

 そして人族の母親はシュジャを置いて亡くなり、シュジャは本当に独りぼっちになった。故郷に戻ろうとも思えず、さりとて定住できるような心安らぐ町もなく、転々と土地を流れて生きるしかなかった。エルフ族の血がわからないよう、できるだけ姿を隠し、危険を感じれば別の町へ移る生活だ。


 しかも近年では、エルフ族にまつわる妙な噂が流れていて、その身をさらすことはますます危うくなっている。


 エルフを喰らえば、不老不死が叶うという。


 どこからどう流れ出した迷信なのかわからないが、人族のいわゆる金持ちと呼ばれる類いの人間は、特に信じているものが多いようだった。人族は際立った特徴こそないが、それゆえにどのような環境にも適応して住みつき、子孫を残して増えていく。だからどの町に行っても、その噂はじっとりと暗がりにへばりついていて、洞窟エルフと人の混ざりモノであるシュジャですら、身の危険を感じるほどだった。エルフ族と見れば、見境ないと言ってもいい。

 森林に暮らすエルフと洞窟で暮らすエルフは、耳が尖っていて身体能力が高いことこそ共通しているが、暮らし向きも能力も違う。元はほぼ同じ見た目、生活だったそうだが、シュジャが生まれるよりずっと昔の、エルフ族の老人が生まれるより前の話だ。そもそも噂自体が迷信ではあるが、シュジャには、エルフ族を無闇に殺すための口実にしか感じられない。


 シュジャはため息をついてターバンを綺麗にたたみ、外套と合わせて棚にしまった。体型をごまかすために重ねて着ていた服も脱いで、身軽になってようやく表情を緩める。

 それからガラス瓶を別の棚から取り出して作業机に並べ、シュジャは丸椅子に腰を下ろした。


 シュジャの生計は、結局洞窟エルフであるから成り立っている。

 調薬の術は、父親が教えてくれた。森林エルフが森のことに詳しく薬草の知識に長けているのと同じように、洞窟エルフは洞窟のことに詳しく、父も洞窟内の植物やきのこなどを用いた調薬の知識を持っていたからだ。

 加えて、たとえ混ざりモノであっても他の人間種族よりは長いらしい寿命のおかげで、父が持っていた以外の植物の知識も得ることができた。ノスト・アル・カラズは交易拠点になっているだけあって、薬の材料を得るのに都合がよく、人が多いからよそ者が流れてきて住みついたとしても、余計な詮索をされることはない。


「待ちやがれこの泥棒!」


 ただし、シュジャの住んでいる区画は、静かな場所とは言いがたかった。シュジャがノスト・アル・カラズに来たときに、薬を売ることで生きていけるのかどうか定かではなくて、できるだけ安く住めそうなところを探したからだ。

 ウルジュラザートは厳しい気候も相まって、適応力の高い人族が多い。そうすると異種族は異種族で集まるようになり、シュジャが住んでいる区画も、獣人や鳥人が多い場所だ。リザードマンは雨期の間はよく見かけるが、乾期の今は大抵他の国へ移動している。

 すべての獣人がそうというわけではないが、獣人は騒がしいものが多くてシュジャは苦手だ。表情は読み取りにくいが、リザードマンのほうが物静かでほっとする。

 どしん、ばたん、と家が揺れるほどの騒音が続いたあと、静かになってから作業を再開する。


 先ほど老婆の薬屋に持っていったのは、簡単な傷薬や風邪薬だ。本当に需要があるのかわからなかったが、ジューラという名の老婆に普段から頼まれているのはその二つで、あとは時々、雨期になると頭痛薬を頼まれたり、流行り病のときには症状を和らげるような薬を頼まれたりしている。ついでで置いてきたのは、最近足を悪くしたというジューラのための痛み止めだ。


「サナーレ」


 生薬を集め、練って、丸薬の形にしてからまじないの言葉を唱える。つるりと丸く光った薬の粒をガラス瓶に入れて、シュジャは調薬を終わりにした。軟膏を作るにはオアシスから真新しい水を汲んでこなければならないが、そろそろ夕食を作る時間だ。


 野菜を小さめに切って炒めておき、鍋に移して水とスパイスを加えて軽く煮込み、スープごと朝の残りのイトリィにかける。この国に来たばかりのころは、あらゆるものに使われたスパイスの風味や、ぽそぽそとしたイトリィの食感に戸惑ったものだが、何事も慣れというものなのだろう。


 もすもすと食べ進めながら買い出しについて考えていると、シュジャの耳にまた騒音が聞こえてきた。獣人同士の揉め事はよくあるのだが、いつもとは毛色が違うような気もする。

 スプーンを置いてそっと玄関に近づき、シュジャは聞き耳を立てた。


「いたか!」

「くそっ、どっちへ行きやがった!」


 聞き取った限りでは、逃げている人物がいて、それを複数人で追っているようだ。関わり合いにはなりたくないが、この事態が長引けば、シュジャの家のほうまで人が上がってくるかもしれない。


「……ベッラーレ」


 呟くと、外の音がより鮮明に聞こえてくる。走り回っているのはどうやら、領主の館の警備の人間らしい。

 領主の館に、侵入者があった。何か盗まれたものもある、ようだが、詳しくはわからない。


 まじないの術を解除して、シュジャは眉間にしわを寄せた。

 今のこのこ出ていけば、面倒ごとに巻き込まれるのは間違いない。ただ、もしかしたら、シュジャの家まで警備の人間がやってきて、目立たないように偽装している家の扉に気づくかもしれない。侵入者を追っているなら、怪しい扉があったら開けようとするだろう。


 そしてシュジャを見て、純血ではないが、エルフ族がいると知られたら。


 ぞっとして身なりを整えようとシュジャが衣服の棚に寄ったところで、不意に玄関の扉が開いた。


「ッ……!」


 慌てて振り向いたものの、身構える暇もなくシュジャは床に組み伏せられた。抜け出そうとじたばたしても、腕を捻り上げる力が強まってうめく羽目になる。


「っ、ぐ……」

「隠れ家にちょうどよさそうだと思ったんだが……先客ありか」


 相手の姿を見ることすら、できていない。

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