はぐれエルフは愛とか恋とかよく知らない

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1.隠遁

 なだらかな起伏の砂の大地に、強い日差しが照りつけていた。時折吹く風が砂に風紋を描き、また散らしていく。一部の砂がその風で宙にさらわれ、なすすべもなく運ばれていった。

 そうしてさらさらと砂の飛んでいく風下には、旺盛なヤシの木に囲まれたオアシスがあった。木の下には灌木や下生えも見えていて、砂漠を抜けてきた旅人がいれば、まさしく救われたような心持ちになっただろう。

 砂漠にあるその他のオアシスの例に漏れず、ここも交易の中継拠点として発展し、いつしか、ウルジュラザート王国南西の一大商業都市として栄えることとなった。


「ノスト・アル・カラズに来たならヤジュパーは食べなきゃ損だよ!」

「はいエードお待ち!」

「この町は初めてかい? それならこいつをお守りに買っていきな!」


 賑やかな呼び込みの声や、屋台に群がる客に品物を提供する声が雑多に飛び交い、店のほうも、屋台、日よけを広げた露店に近いもの、しっかりとした建物に看板を出したものと様々で、日差しに負けない熱気に溢れている。


 その中を一人、そぞろ歩くでもなく先を急ぐでもなく、静かに歩くものがいた。


 容赦なく注がれる日差しから肌を守るためか、外套やターバンですっぽりと体を覆っている、というのは、砂漠の町なら珍しい装いではない。肌をさらしたままの通行人も、足の先まで体を覆った人物も、ごちゃ混ぜになって道を歩いているのがノスト・アル・カラズだ。特段目立つものでもない。

 ただ、ターバンから目元くらいはのぞかせるのが普通だが、件の人物はそこも陰になって判然としないところが不自然ではあった。

 しかしオアシス都市ノスト・アル・カラズには、装いの少し変わった人物よりも、見るべきものがたくさんある。


 そういうわけで、自身をすっぽりと覆い隠した人物は、誰に注目されることもなく、目的の場所に向かって静かに歩いていた。

 旅行者や隊商など、外からの来訪者も多い中央市場を抜けて、やや落ちついた住民向けの商業区をさらに進み、少し狭い路地を進んで一軒の店に足を踏み入れる。


「あ、こんにちは!」

「ああ」


 店番らしい少女に短く答え、声の限りでは男であるらしい人物が、店の奥に設けられたカウンターに近づいていく。

 壁際に並んだ棚には、色とりどりのガラス瓶に入った液体、丸薬、小さな壺などが並んでおり、どうやら薬屋であるらしかった。


「おばあちゃん呼んでくるね!」


 持っていたものをカウンターに置き、ぱっと椅子から降りて店の奥に引っ込んだ少女に向かって、男が伸ばしかけた手が所在なさげにさまよう。

 やがて少女の投げ出した刺繍途中らしい布をよけて、男は下げていた鞄から紙袋を取り出し、カウンターの上に置いた。そのまま立ち尽くし、そっと入口に視線を向けるが、客の入ってくる様子はない。


 そのうちこつこつと音がして、男はカウンターの奥に顔を向けた。しばらく待つと杖をついた老婆が、先ほどの少女に付き添われながら店に現れる。


「待たせて悪いわねぇ」

「……いや」


 老婆がゆっくりとカウンターの椅子に腰かけ、男が置いた紙袋を手に取って中身を取り出していく。

 手の中に握りこめてしまいそうな、小さな壺が五つほど。それよりは少し大きな壺を開けると、黒い丸薬が詰められている。慎重に丸薬の数を数えると、老婆は元通りに壺のふたを閉めて、男に向かって柔らかい笑みを見せた。


「いつもありがとうね」

「仕事だ」


 素っ気なく答える男にまた微笑み、老婆が視線を向けた少女が奥に引っ込んでいく。

 そこへ一人の男が駆け込んできて、老婆の姿を見つけると、慌てた様子でカウンターに駆け寄った。


「ジューラ! あの薬あるかい!?」


 なお、始めにいた男は素早くカウンターの傍から避難しており、新しく来た客はその存在に気づいた様子すらない。


「こんにちは、サルウ。この軟膏のことなら、たった今入ったところだよ」


 老婆が示してみせたのは、男が持ってきた小さな壺のほうだ。駆け込んできた客がぱっと顔を輝かせ、あたふたと財布を取り出してカウンターに硬貨を置いていく。


「ああ神様、助かった! ウーファのやつが怪我したんだ、これ、もらってくよ!」

「はい、ありがとうね」


 壺を手に取った男は、またばたばたと店を走り出ていった。

 呆気に取られたように見送った男が、老婆が硬貨を片づける音ではっと顔を戻す。


「言っただろう、シュジャ。お前の薬は、本当に人気があるんだよ」


 シュジャと呼ばれた男は、特に返事をしなかった。言葉を探しているのか、それとも返事をする気がないのか、目元も陰になって隠された姿からはわからない。

 そこへ少女が戻ってきて、手に持っていた革袋を老婆に手渡す。


「ありがとうね」


 受け取ると、老婆は中から硬貨を出してカウンターに積み始めた。

 シュジャがどこか戸惑った様子で革袋を差し出すと、少女がそこに硬貨を入れていく。


「ねぇシュジャ、暑くないの?」


 黙って様子を見守っていたシュジャは、少女の問いに少し身じろいだ。

 屋内に入ったからといって、シュジャは外套を脱ぐようなことはしていない。対して、老婆と少女は刺繍の入ったチュニックとスカートを着ているだけだ。ベールを頭からかぶったり、服で覆いきれない部分をローブで隠したりといったことはしていない。

 ノスト・アル・カラズに限らず、室内ではわずらわしいターバンやベールは外したいという人が一般的だ。


「……暑くはない」

「ほんとー? 信じらんなーい」

「ティンニ」


 とがめるように名前を呼ばれ、少女はきゅっと口を結んだ。ちゃちゃっと硬貨を収めた革袋をシュジャに差し出し、笑顔を作ってみせる。


「いつもありがとうございます!」

「……ああ」


 少し間を置いて答えると、シュジャは革袋を受け取って鞄にしまった。そのまま鞄の中をじっと見て、別の紙袋を取り出す。


「これはついでだ」

「ついで……?」


 少女の声にうなずいて返すと、シュジャは返事を聞かないまま店を出た。相変わらず日差しは容赦なく、シュジャの視界が一瞬失われる。

 慣らすようにゆっくりと一歩を踏み出して、シュジャは先ほど歩いてきた道をそのまま戻った。狭い路地を通り、商業区を抜けて中央市場に足を踏み入れる。


「渇いた体に喉越しのいいエードはいかが!」


 途端に威勢のいい声が四方から聞こえてきて、シュジャはターバンの下で顔をしかめた。

 市場というのはすべての物音が大きくて困る。店主や店員が大きな声で喋るから、自然と客も大声になって、物音など気にする必要がないから、がちゃがちゃばさばさと物が乱雑に扱われてうるさい。シュジャからすれば、可能な限り近づきたくない場所だ。

 しかし、ここを通らなければ老婆の店には行けないし、シュジャの家にも帰れない。もっと老婆の家に近い、市場を通らなくてもいいところに住めばこの煩わしさはないが、身を守ることを考えればそうもいかないのだ。

 シュジャには、己でもどうしようもない秘密がある。


「聞いてた通り、ほんとにいろんな種族がいるなぁ……」


 ふと聞こえてきた声に、シュジャはちらりと視線を向けた。獣の前腕で器用にコップを掴み、もふもふとした尻尾をズボンからのぞかせている集団が、傘のある屋台の座席でぐったりしている。


「それにしたって獣人には向いてない」

「この日差しはきついな」


 チュニックの襟首を掴んでぱたぱたと動かし、一人が目をすがめて空を仰ぎ見る。今は乾期だから、ウルジュラザートでは日が照るばかりだ。被毛を備えた獣人には暑すぎるだろうし、体温が上がりすぎるので、この時期にリザードマンを見ることはほぼない。

 シュジャはそっとターバンに手を伸ばし、解けていないか確認した。どこにも緩みはない。これが解ければ、シュジャはこの先、ノスト・アル・カラズはおろか、ウルジュラザートにいることはできなくなる。

 そもそも、居場所と思えるようなところがあっただろうかとふと浮かんで、シュジャは顔を元に戻した。

 考えたところで、生まれついたものなど変えようがないのだから、どうすることだってできやしない。

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