第22話

 ちょうど引き潮で、海は凪いでいた。梅雨が明けたのか、ソフトクリームのようにふくらみはじめた雲がまっかな夕陽に溶けている。日焼けしたたくましい胸板を派手な金色のネックレスでかざったサーファーがじぐざぐの足跡だけのこして去ると、イミとふたりきりになった。体育ずわりを並べた目のまえを、爪のひらたい蟹がからかうような横歩きで過ぎていく。波打ちぎわに座っていたはずが、いつのまにか渚はとおく、まだ潮は引いていくらしい。

 暗くなったころ、どうして精子バンクにあずけようと思ったのか、あしたの天気を訊くような口調で、イミに尋ねられた。イミにはそれを訊く資格があるように思った。

「俺は海晴との子を持ちたかったんだ」

 それで答えになっているのか、半袖だと夜はまだはだざむいことを理由に、噛んだくちびるを震わせてみる。このおおきな海に、精子を放ちたかった。あの日、だいすきな人の命を呑みこんだ、この海に。

「実際にbabyができて、満足ですか?」

 イミは立ちあがり、いくつかガラスの破片を見繕うと、足をたかく上げ、みごとなスリークォーターで、それを投げた。水しぶきの跳ねるやわらかい音がうすくらがりに遠ざかっていった。

 夏美が海晴の子とはいえ、彼女との子が海晴の子なはずはない。それでも、うれしかった。そんなこと言ってもイミにはそれこそ「no idea」だろうし、けれど、わからないといけないのかもしれない、と、いよいよ咎めるようなイミの声色で思った。

「おい!」

 ざぶさぶとよろめきながら海に入っていくイミを呼び止める。あっというまに、水色のスキニージーンズが地図もようの群青に染まっていく。止まろうとしないため、追いかけて、思わずうしろから抱きすくめると、女のものとは思えないぐらい骨ばっていて、こらえた口元から嗚咽があふれていた。

「私は、fatherをreconstructしたかったんです」

 それを聞いて、股間がむくむくと膨らんだ。

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