第21話

 おなじような日々はつづいていく。夏美はおなかがボールを入れたように張ってもピンクのマタニティマークを鞄からぶらさげて大学に通いつづけ、父親のいない子を孕んだ顛末を「処女堕胎」がどうのこうのおもしろおかしく話しているようだった。ただ、ロッコク堂に来ることはとんとなくなり、あの帰りみち、インスタグラムの「彼氏」のフォローも外してしまったらしい。

「つよい子ですよね」

 毎日ロッコク堂に来て、夏美の様子を教えてくれるイミが、十一枚つづりのチケットでたのんだコーヒーに灰色のミルクをまぜながら笑って言った。

「そうだね」

 そろそろアイスコーヒーをはじめる季節だなと、新調した注文票にボールペンを走らせつつ、素直にそう応える。かたくなに原発で働こうとしなかった海晴に似てる。相談してきたときのつきだした喉ぼとけや、ひくい声の色っぽさを思い出し、海晴のそんなところが好きだったのだと気持ちをふさいだ。

「行かないんですか?」

 イミのとうめいな声が降ってきて、責めているようには聞こえなかった。かといって、促しているようでもなかった。学校のトイレで破水した夏美をイミが病院に連れていってくれたという。ロッコク堂に駆けつけてすぐはおおげさな身ぶり手ぶりとともに英語でまくしたてるぐらい慌てていたが、無事産まれたことを本人からの電話で聞くと、ようやく「がんばったね」とつぶやきながら力が抜けたかのごとくパイプ椅子にくずれおちた。こっそり片思いのフォローをしているインスタグラムには、ピースサインにあごをのせた汗だくの夏美とくしゃくしゃな赤ん坊のほほを寄せあわせる写真がはやくも載って、たくさんの「いいね!」をもらっていた。押そうとしたが、「震災でパパも何もかも失ったわたしに誇りを与えてくれた昔からずっと好きだった人との子どもです」という絵文字も句読点もないリプライが目にはいり、人差し指を引っこめる。

「行く意味はないだろ」

 そう答えて顔をあげ、いや「資格」だったなと、言葉をまちがえる自分は思ったよりびっくりしているのかもしれない。日本語話者でないイミにはわからないかもしれないけれど、けっこうその違いは大事だったりするんだぜ。だからイミと話すときはあけすけになれた。同性愛者であることを、イミにだけは伝えることができた。海晴への気持ちをひとしきり聞きおえたイミは、「愛するmeaningってなんなんでしょうね」となぐさめてくれた。「no idea」としか返しようのないその問いがとてもよかった。

「夏美は、恥ずかしいだけですよ」

 イミは言った。わらうなよ。俺だって恥ずかしいし。そんなこと、言えるはずもなく。

「行くか」

 テーブルのうえに置かれたミニの鍵を手に取り、指先でくるくる回す。コーヒーカップはとっくに空になっていた。

「Where to go?」

 わかってるだろ。

「Sunny sea」

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