第11話

 棚田のあいだのいびつな段になった畦道をすぎ、歯抜けだらけの木板をさびたチェーンでようやく支える吊り橋をぎこちない横歩きでこえて、牧場のゆがんだ柵からおおきな間抜け面をのぞかせるロバにおどろいたあと、しろく泡ぶいた小川ぞいの道を上がっていった。イミはアメリカにいたころ男子にまじりアマチュアのピッチャーとして活躍していたこともあり、太腿あたりがパツパツのジーンズに察するまま、あいかわらず体力はたいしたもので、息切れのぜえぜえした音をもらすのは自分のほうだった。こんな道、子どものころはなんでもなかったんだけどなあ、とマラソン終盤のグラウンドで大歓声を浴びつつ外から五人抜きし段ボール製の銅メダルを齧ってみせたころからもう三十年たつというのに年甲斐もなく呆れては、何度か手編みのあかい帽子をかぶった地蔵のそばに座って休ませてもらい、イミが園芸用の支柱にささったロゴのかすれている牛乳瓶で湧き水を汲んできてくれて、頭がキーンとなるぐらいつめたいそれを乾いた喉に流し込んだ。どこに向かっているのか、イミは訊かなかった。ときどき、おどろいたようにほそい目を見開いて、来たみちを振り返り、おなじ顔をこっちに向けた。

 上流でせまくなった小川のくろずんだ苔まみれな飛び石をすりきれたゴム底で慎重に踏み、妙にしかくい平地を越え、にごりきって石を落とせばどこまでも沈みそうな貯水池を囲む鉄条網をすぎ、ぐっちゃりと汚泥をふくんだ枯葉におおわれたU字の溝を這うようにしてのぼる。あちこちにへばりつく執拗なオナモミを払い、こばむかのように尖った刃みたいな茅を長袖で除けながらくぐりぬけると、そこにあらわれた景色をみて、イミは、

「Jesus……」

 と感嘆の声をあげた。

 みあげれば、幾重にもかさなりあう竹葉が古代の魔法陣みたいな幾何学模様を描いており、すりぬけた金色のひかりがほそい束になり、いくつも腐葉土のやわらかそうな地面に天からおちる槍のごとく突き刺さっていた。あちこちで原始生物のような羽虫があわくかがやきながら浮遊し、手に取ろうとするといっせいに宙にまいあがり消えた。きれいな半球形をした最下部におおきなしろい石が鎮座し、ていねいにあたらしい蛇の抜け殻がまかれている。

「ここはchurchですか?」

 イミが興奮しきりのうわずった声で尋ねてきた。そのとおりだと頷きかけて、もっと適切な言葉をみつけ、顔をあげて、こう答える。

「father」

 思ったよりおおきな声があふれ、ひびき、それをたしかめるように、しばらく立ちつくした。とおくから鳥のさえずる声がした。二羽いる。羽ばたく音が遠のいていき、息を呑むと、おなじタイミングで、イミの喉もなった。

 帰りみち、でこぼこの石垣に背中をあずけ、抜かれた雑草を山のように積みあげながら、地面にすわる夏美の姿があった。ぼんやりしていたが、顔をあわせると途端に生気をとりもどし、いきおいよく立ち上がると、ワンピースの尻についた土も払わないまま、すぐに出発するよう迫ってきた。

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