第9話

 翌朝、深酒のわりにおもいのほか早く目覚めれば、夏美もイミもおたがいイエベだというおなじ色の口紅まで引きおえており、インスタントのブラックコーヒーで眠気をごまかしたあと、夏美にせかされるかたちでシャワーを浴びることもなく、短パンのはだしにクロックスを履いた途端、「ないものはあっちで買えばいいでしょ」と、フロントガラスから推しキャラのキーホルダーがぶらさがるミニの運転席に蹴りとばされた。早朝の常磐道はさきをいそぐ長距離トラックに抜かされつつ左端をクルコンで快走できたが、圏央道では片側一車線区間で通勤ラッシュとおもわれる大規模な渋滞にまきこまれ(どうやらこの日は平日らしかった)、やっと首都圏を抜けてすぐの足柄サービスエリアで朝ごはんを兼ねてのおそい昼ごはんにありつけた。後部座席にすわる夏美とイミは手をつないだまま、そっぽを向くように窓のそとを眺め、ほとんど口をひらくことがなかった。

「おお」

 東名と新東名に分岐する手前のサービスエリアはトラック運転手なのか外回りのサラリーマンだかでごったがえしており、ようやく確保できたボックス席で海鮮茶漬けを食べていた夏美は、ハムスターのようにほほを膨らませたまま、しばらく化粧を控えていたはずが、みかん色のマスカラが以前より映える目をまるくして顔をあげた。口元にはつややかなごはんつぶが付いていた。

 ふりかえれば、視線のさきに、天井からぶらさがるちいさな液晶テレビがあった。

「潮目の海か」

 ぷちぷちのイクラを食みながら、そう相槌を打ったものの、音声はワイプで手が叩かれるわらいごえ以外、喧噪で聞きとれないし、それほどの興味はない。みなれた地元の魚をあじわう旅番組で、さきのおおきな漫才コンテストで優勝をかっさらった今をときめく芸人コンビが、さすがプロだと感心する派手なリアクションとともに、かおみしりの有名店であかい身のりっぱな海老の寿司をほおばっていた。なるほどあの町では、沖で暖流と寒流がぶつかりあい、それぞれに由来する様々な魚が採れるうえ、プランクトンも豊かだから、とろけるぐらい脂がのった魚をたのしめる。皮肉にも処理水の放出がはじまってすぐ、いわゆる「潮目の海」の魚のおいしさがキー局でも取り上げられるようになったようだが、もとをただせば原発も首都圏の電力をまかなうために作られたものであるから、観光客でうるおう地元の経済を居酒屋で一品おおくなったお通しなどで享受しつつ、どうにも東京に翻弄されるしかない地方のちいさな町を苦々しく思うのだった。

「海はつながってるんですよね」

 イミが湯気のたつ無料のほうじ茶をすすると、ちからなく息を吐きながら、そう言葉をついだ。なんでもない言葉のように聞こえて、わずかへしゃげた紙コップのへりに貼りついたいびつな紅は訳ありだし、どきりとするような響きがあった。海の向こうから夏美に連れられてやってきたイミである。彼女の地元は、ベーリング海に面した漁業の町だったという。すなわち原発の事故はとおく三千キロメートル以上離れた対岸にもおよんだ。放射能汚染が懸念され、採れた魚にまったく値がつかなくなったちいさな港町は、一度だけ酔いにまかせイミが舌たらずに話してくれた内容によれば「hellのようだった」らしく、まだウォシュレットの「マイルド」をwildと読みまちがえてトイレから出てこなかったぐらい、日本語にたどたどしかった彼女が過去形を選んだのは果たして正しかったのか、いわば「復興」はイミの町のテーマでもあり、いわく彼女の個人的テーマでもあった。「reconstructionを学ぶために来た」と空港で初めて会ったときの凜とした言い口と、ぴかぴかのトランクをモノレールに積むとき手をうたがうぐらい軽かったことをよく覚えている。

 うん、とうなずいた夏美は、ごはんとわさびだけ食べ残した木のお椀に割り箸をそろえて置き、うつむいて、ながれるように右手をおなかに添えた。食事のあとだからか、いつもよりおなかはふくらんで、ふかい呼吸のたび上下した。

「お父さんに会いたいんだよね」

 おべんとうを口元に付けたままのいっぽう、おなかをみおろした目は、はっとするほど大人びて見えた。

「べつに連れて帰ったり、結婚したいわけではないんだろ? イミもいるし」

 しばらく沈黙をはさんだのち、あたりまえのことを尋ねると(しかしそういえば、面とむかって確認したことはなかった)、斜め前にすわるイミが夏美をかばうように薬指のあかいゆびわがめだつ手で制し、初対面のころそうだったようなきつい口調で言った。

「そういうことじゃなくって」

 視線を夏美にもどす。はずかしそうに顔を伏せ、口元をむすんだまま頬をそめた表情を見ると、心臓がおよいだあとのように苦しくなる。

 海晴だ。夏美がほんとうに会いたいのは、彼女の父親の、海晴なのだ。

 そこからさきの行程でも、あいかわらず、夏美とイミのあいだに会話が交わされることはなかった。しかしそれほど気まずそうでもない沈黙は、ふたりのあいだですでに十分な対話が終えられているようにも感じられた。

 どうしてこの旅に自分が同席することになったのか、よんどころなく考える。イミはアメリカにいたころちいさなバイクで移動することが多かったらしく、車の運転はあまりうまくないし、それに一度ハンドルを任せたら制限速度のままずっと追い越し車線を走り納期とクレームに駆り立てられたねずみ色のプロボックスにパッシングで煽られたほど、日本の高速道路には慣れていない。夏美は「相双のイニⅮ」を自称するぐらい車が好きで、「最大積載量:愛」なんてふるいラメ入りステッカーをリアの目立つところに貼りつけたり、週末には円安とともに百の桁がひとつ上がったハイオクの値段を気にすることもなくイミとよく峠を攻めていたが、さすがにもう電車で席をゆずられるぐらいの妊婦であるから、長時間シートベルトを掛けて走るのはくるしいだろう。そこで運転手として白羽の矢ならぬちょうどいいところにいたのが自分だった、と、保護者のような立場からすれば明確なくせ、それ以外の理由を考えてみる。おそらく、触媒なのだ。夏美とイミが、夏美と父が、父と子が、化学反応をおこすとき、あるべきふたつが元にもどる衝撃をやわらげるように、選ばれたのが完全な他者である自分ではなかったか。震災後、「当事者」という言葉がさかんに叫ばれたのを思い出した。震災だとか原発事故は、言葉をえらばずにいえば「外」の人間にとっては格好のズリネタだったようで、いまでこそ減ったが土足で入ってきて許可もなく被災者の憔悴しきった顔のうつる写真を誌に掲載するような取材には手を焼かされたし、現地を見てもいないのにそれらしく書かれた小説が「震災のリアル」とぎょうぎょうしい帯をつけられ高名な純文学の賞をあたえられたこともあった。そんなとき、町の人間は酒場のかたすみでまっかな顔をそろえ異口同音にこんな言葉を口にしたりした。「当事者じゃないやつに何がわかる」。ありていな「感動」としてやすい涙で消費されたくない自尊心は持ち合わせているから、同時に杯をかたむけつつ頷いたいっぽう、とりわけロッコク堂をはじめてから感じたことだったが、「当事者じゃない」外のかれらが奇妙にも救いなように感じることはあった。いわば当事者とそうでない者にわけることは、およそ解決しようも未来志向もない断裂なのだ。ロッコク堂を始めたのは、あの凄惨な過去を知ったゆえ前に進めないかれらと知らないがゆえに前向きなかれらを埋める触媒になりたかったのかもしれない。そもそも自分だって、家がなくなったわけでも、家族をうしなったわけでもなく、もっとずっと被害のおおきい人間がいたことを考えれば、当事者たりえない。ほんとうの当事者は声なき死者に他ならないのだから。

 新東名のはてのおおきなサービスエリアで夕餉にぱりぱりの耳がはえた焼き餃子をたのみ、ゲンコツみたいなおおきさと舌を焼くような熱い肉汁に向かいあわせた顔をほころばせながら食べ終えると、さすが音楽の街、夏美とイミがストリートピアノをあそんだところ「レット・イット・ゴー」のジェットコースターみたいな連弾で部活の大会がえりらしいジャージ姿をそろえた子どもたちの注目と割れるような拍手からのアンコールを集めたこともあり、コンビニで買ったブリックパックのジュースをみっつ抱えて外に出るころには、春のはやい陽はとっくに残照すらうしなわれ、駐車場のアスファルトをぬらぬらとLEDの街路灯だけが照らしていた。ナビによれば、目的地に着くころには日をまたぐとのことである。通りみちの観覧車が七色にひかるほど立派なパーキングエリアは春特有のつよい風もふかない低地にあってそれほど寒くなかったこともあり、カーテンの隙間から薄明かりをこぼすキャンピングカーにまじって車中泊をととのえることにした。夏美のおなかの状態が懸念され、子ができてからトイレタンクに水でみたしたいろはすのペットボトルを沈めるなどけなげな節約をはじめたことも知っていたし、自分が金を出すから宿を取るよう予約サイトを検索しつつたのむような口調で提案したのだが、「車中泊してみたかったんだよね」と夏美は意に介さず、化粧を落とすためハローキティのポーチだけ持ってイミと手をつなぎ暗闇にうかびあがるお手洗いに吸い込まれてしまった。ミニのシートアレンジでは真っ平らにはならない。とりあえずリアシートを前に倒して広くなったラゲッジルームの対角線上に背のひくい夏美とイミが寝転がり、持ってきた衣類をすべて布団がわりに投げ込んで、自分はでこぼこしていささか寝心地のわるいフロントシートに足も伸ばせないまま横たわった。もういい年だし、腰も背中もいたいのに、冒険じみたいきなりの車中泊がおもしろくて、どきどきしたり、なぜか安心した。転校生として各地を巡ったころの自分を思い出した。引っ越しのトラックの威圧感たくましい革張りの助手席に緊張しながらまだすね毛もうすい半ズボンのひざをそろえて座り、知らない歌謡曲や、慣れない煙草臭さが妙に気持ちよかったりとか、分けてもらって飲んだはじめての缶コーヒーのあじけなさにトイレを我慢しつつ、車から降りても歩けないほど下半身が強張ったことを思い出した。それに窮屈なフロントシートで体をちぢこませていると、ずいぶん昔、母親に抱きしめられたことを、夏美かイミがお手洗いで顔を洗ったのだろう、ただようやすっぽい石鹸の香りのなかに思い出した。転校が決まるたび、母親はどこの町でもかならずイチゴのぷりっとしたショートケーキを用意してくれて、血液型占いどおりのわかりやすいB型でときに苛立つほど気ままだった彼女らしからず、申し訳なさそうに「ごめんね」と聞きとれないような声で言った。そんな顔をさせた自分がたまらなく嫌だった。ほんとうはイチゴは酸っぱいからあんまり好きじゃないことと、ヴァギナではきもちわるくて勃起できない同性愛者であることはさいごまで話せなかった。誰もが誰かの子どもである、というやるせなさに、ぐっと目をつぶっているうち、眠ってしまっていた。ときおりトラックだろうディーゼルのうなるような走行音が聞こえるほか、荷室の奥からはひそめた声でくつくつ笑う夏美とイミの気配があった。子どもを産もうとする夏美がやはり羨ましくて、悔しくて、小学生のころ男子のさそいをことわって女子と遊んだときに「ガッツくん」とならびそう称されたとおり、父親になれない自分のことを「卑怯」だと罵りたくなった。いつかどうにかなる楽観も若いころはあって、あるいは建前なのか、むこうみずなお見合いをしたこともあるけれど、練習といいオナニーをしたのちのぞめばなおさらぴくりとも勃たなくて、いまもかわいそうなイチゴは「好きだから」と言い訳をしつつぎりぎりまで残しておく。

 さいごのサービスエリアにあった人のすくないスターバックスのほうれんそうキッシュで小腹を満たしたのち、終点の急なインターチェンジをセカンドギアで滑りおりた。田舎らしいといおうか、政権与党の要職がムカつくほどしろい歯をみせた笑顔で高速道路の開通を訴える立派なポスターがあちこちに目立っている。この地域は南海トラフの巨大地震による津波が懸念されていたはずだが、地元ほど立派な防潮堤があるわけでもなく、円筒形をした打ちっぱなしのコンクリートにきりもみ状の階段がはりついた避難タワーこそ言い訳がましく点在するけれど、予想された津波の高さからすれば不十分なように見えたし、まさしくわかっていながら対策をおこたった震災前の地元そのものじゃないか、あの恐ろしい災害がとおく離れた地のなんの教訓にもなっていない有様に「なにが高速道路だ」と毒づいてしまう。あるいは、どっしりしたコンビナートをならべる工業地帯から県境を越えればとたんに町並みがくたびれるあたり、ああ税収がすくなく生きる余力もないのだと、そのため原発を誘致した地元を重ねれば、同情とも共感とも言いがたいものの、路傍をあるく紺色のプリーツスカートが長いがにまたの女子高生をみれば口元がゆるむぐらい釈然としたりした。ともかく、いまさらながら夏美が「音楽かけよう」と提案し、まだ肌寒いけれど天気がいいためウィンドウを全開にし、イミのスマホからBluetoothで拾った陽気なクラブミュージックを垂れ流しながら、かぐわしい潮風をあび、みわたすかぎり青い空と白い雲がひろがる海沿いのワインディングロードで、きもちよさそうに尻をあげたサイクリストを何人も追い越し、こきざみなアクセルワークでぐねぐねと駆け抜けた。アメリカのドキュメンタリー映画でも取り上げられたほど、捕鯨でしられた町にあるおもいのほか観光客がおおい道の駅で、地元ではあまり馴染みのない鯨肉の唐揚げを立ったままほおばり、めずらしいイルカを模したあおいポストのまえで黒飴のソフトクリームをなめる夏美とイミを写真におさめたのちAirDropで共有し、純正のナビは海外製だからかそのさきの道案内をあきらめたので、電波のよわさに難渋しつつスマホの地図アプリの指南をあおぎながら、普通車ではすれ違えないぐらい狭い木々を漏れるモザイクみたいな陽射しのしたを、「シカに注意」の看板と汚れたカーブミラーに気をつけて、ゆっくり通過した。イミが調べたという「夏美の子の父親がいる住所」がやがてくすんだ道路標識にあらわれ、距離からすればあと三十分ぐらいだろうか。このころになると、夏美は一転、饒舌になり、父親はどういう人かという予想をワイドショーのコメンテーターみたいにおおげさな言い回しで披露した。夏美いわく「彼氏」であり、夏美の子の父親であるだろう相手とは、いちおうインスタグラムで繋がっており、背中とはいえ映りこんだ姿を見たこともあるという。「すらっとした足を見てるだけで濡れちゃった」と下品に手を叩いてわらいながら感想を述べたのち、そっちに走るのはたいてい緊張をごまかしたいときなのだが、たぶんふたつかみっつぐらい年下で、背は十五センチ高くて、韓国の俳優みたいな切れ長のひとえまぶたで、こけた頬に野性味のある無精髭が似合い、髪の毛にかざりっけこそないけれどほどよい癖が色っぽく、かたそうなくちびるが細く、無口で、でもたまに口を開けば、うっとりするぐらいキザな台詞を耳元でささやいてくれるのだと、SNSの宣伝によくある少女漫画の読みすぎじゃないのか、どうにも類型的な彼氏予想が当をえない。「そんな男は精子バンクに登録しないと思うよ」という正論をのみこんで、「そんでいぼ痔なんだろ」と軽口をたたけば、「それはガッチャンでしょ」とヘッドレストごしに両の頬をつねられた。脱肛に悶絶したとき「こんなになってるんだ」と観察しつつ中指で押しこんで治してくれた夏美とは、性感帯にすら触れられているし、呑みの席のポッキーゲームでくちびるが触れたこともあるし、肌をあわせても心をゆるさない街角でひろう若い男娼よりよっぽど、気をつかう間柄でもない。おそらくこの旅が終われば、自分は夏美のそばを離れるだろう。すでに引っ越し先をみつくろったり、ロッコク堂の売却手続きを秘密裏に進めているくせ、そのことはさびしく、しかし何故さびしいのかについては、近すぎるものの焦点があわない老眼そのまま、わからないのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る