第7話

 ながい夏になるかと思った。が、ほんの一ヶ月もしないうち夏美は日本に帰ってきて、まだ妊娠したかどうかも分かっていないんじゃないか、しかしアメリカで肩までのおかっぱに切った髪を黒くもどした夏美は、会わないうちすっかり大人になったかのようで、風呂上がりも巻き方があまいバスタオル一枚でうろつくのを止めたような、落ち着きに息を呑む。結論からいえば、夏美は受胎に成功したのだった。「結果が出てからだと遅いから」と鼻息あらく、マスコミではとりわけ早期化した就活のインターンシップを利用し、いくつかの内々定をババ抜きでさいごのカードを引くみたいに迷ったのち地元の大手出版社への就職を「はい上がりー!」と一発で決める首尾のよさである。十月十日というふるくからの四字熟語にしたがえば、つぎの初夏には出産できるだろうということで、彼女の母である愁香や、弟や、叔母夫婦が「こんにちは赤ちゃん」と垂れ幕をつくりクラッカーを飛ばしたり、「夏」の一字をいれるしばりで名前を決める書道大会をひらくぐらい、かれらに文学的な懊悩というのはないのか、ほとんどお祭りのように前向きだったこともあり、子育てと仕事の両立にも、彼女の計算どおり、苦労しないだろうということらしかった。もちろんイミも、おくるみの型紙をデザインし、性別もわかっていないうちから似合う色を夏美にたずねるなど、うれしそうだった。拍子抜けするようなあっさりとした展開がくやしいのは何故だろう。おなじ同性愛者でありながら、子どもを持てない自分の身のうえを省みたからではなかった。むしろその逆だと知る。仕事は捗らなかった。いやそもそも、ロッコク堂の仕事の意義なんて確定申告のさい哀れみを受けるぐらい、あってないようなものだったはずが、急にそのことを突きつけられたかのごとく、いきなりの休みを入れる日がふえる。クーラーもつけず、トランクス一枚で窓を網戸ごと開けっ放しにした部屋に寝転がったまま、液晶に線がはいりファンの排気音ばかりうるさいノートパソコンをひらいて、できるだけとおくの町の不動産を検索する。1Kで二万八千円、共益費込み。今より家賃がやすいし、近隣にコンビニがあり、たぶんバイトにも困らない。震災後はじめて、この土地を離れたくなった。おもえば守りたいものなど、海晴との思い出をのぞけば何もなかった。もっとずっと自由だった、「ガッツくん」だったころの、各地をめぐる転校生だったころの暮らしが、胸をつまらせるほどに懐かしくなった。山のなかで鏡張りの水をたたえた棚田にひらたい石を投げあってどっちがたくさん跳ねるか競争した町だとか、自衛隊機の飛び交う空を見あげたままならんで言葉をうしなった町だとか、ぬすんだ魚をくわえ坂をのぼっていくどら猫をいっしょに棒きれで追いかけまわした町だとか、思えば、すべての町に好きな男たちがいた。ひとりひとりに再会して、好きな気持ちをたしかめたくなった。そうすることで、やっとさいごに愛した男である海晴への伝えられなかった思慕を捨てきれるんじゃないか、そんなことを「復興」と呼んでもいいんじゃないか……。

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