第4話

 あのころ空っぽのランドセルを土手に投げ捨てて日がとっぷり暮れるまで用水路のなか遊んでいたおてんば娘が、もう就職を考える大学生になったのか。忘れもしない金曜日の午後二時四十六分、呑みにいく算段を頭のなかでととのえながら、郵便配達をしていた。もともと、日本海溝に沈みこむプレートに由来してふるくから地震がおおい地域である。ちょっとの揺れでは原付に乗っているとわからないこともあって、のちにニュースを見れば「震度3だったのか」と気づいたり、いまさら驚かないのだが、そのときは、ちょうど赤信号で停まりケータイをいじっていたし、不気味な鳴動につづく体験したことのない揺れにエンジンを掛けたままの原付を転がし、アラームを響かせるケータイと散らかった郵便物を蹴飛ばして道路わきの溝のなかにあわててベルトを着け直したヘルメットを抱えてうずくまった。何分間揺れていただろうか、ようやくシダ植物のあいだから見開いた目をのぞかせれば、信号が消えていたぐらいで、カブの規則ただしいアイドリング音が耳に痛いぐらい静かだし、光景はそれほど変わっていなかったが、土地柄、津波のこわさは幼いころから祖母のおぞましい語りによって骨身に叩き込まれていたため、脊髄をはじかれたように海から離れることを考えた。事実、通りがかりに見た海沿いの小学校は津波によって二階までが浸水したとのちに知る。幸いなことに、校庭に避難していた子らは野生の勘とでもいおうか、みずからの機転により裏山に逃げ、人命に被害は及ばなかったらしいが、震源にちかくリアス式海岸のためいっそう波のたかかった北方では逃げ遅れた子だとか、逆にはやく逃げるべく親に引き渡した子が津波に呑まれる痛ましい事故も少なくなかった。みな津波からの避難をまっさきに考えたのだろう、血走った蟲の瞳みたいなテールランプをひからせる、そのわりに異様なほどおとなしくクラクションを鳴らすわけでもない渋滞の車列をじぐざぐに擦り抜け、昔からよく知る山の急な石段を一段飛ばしで転がるように駆けのぼった。貞観のころよりある寺社は津波の被害を受けないと知っていた。こけむした鳥居のしたには顔なじみのひとらが左右で色の違うサンダルといった着のみ着のままの身を寄せ合わせ、まっさおな唇をガチガチ鳴る歯ごと震わせていた。

「来るぞ!」

 誰かがしろい霧のような息とともに吐いたその声で、ふもとを睨むと、くろい粘土がうごめくかのごとく、思ったよりゆるやかに訪れた津波の第一波は、川をずいぶん遡上したものの、かろうじて泡ぶきながら堤防に堰き止められた。が、見たことのないぐらい海が遠くまで引いていくのを見て、ああこの町は終わった、とひざの裏を打たれたみたいに力がへなへな抜けた。

 文字通り巣に水を入れられた蟻のように逃げまどう人々を見おろして、「逃げろ!」と叫ぶひっくりかえった悲鳴ですら、どこか他人事のように感じられた。たとえばうしろに目をむければそこにレフ板とテレビカメラがあるんじゃないかというような、三人称のまま山頂で余震におびえながら一夜を過ごし、眠れないくせ海に吞まれ足をばたつかせる夢ばかりみて、明け方、地上に降りても、きんいろの朝日に照らされた瓦礫だらけの世界も、いまだに現実感がなく、「こういうの何処かで見た気がする」と深夜にB級のホラー映画を観るみたいな半笑いを不謹慎と自覚しつつ、くたくたに湿った運動靴を見つめてこぶしをにぎりしめたりした。さらにさかのぼること数年前、とおく離れた土地で百人ちかい死者を記録した大規模な鉄道の脱線事故があった折り、車両が紙細工みたいにおしつぶされた報道写真に衝撃を受けて、声が出なくなったことを言い訳にショートメール一本で仕事をほっぽりだし現地に駆けつけたことがあった。他人のことであればいくらでも痛みを感じることができるのに、自分の痛みにはずいぶん鈍感なんだな、というのも、震災後数年し、避難先から戻った部屋の学習机に生えたかびを指先でぬぐい、「絵の具じゃねえじゃん」とひとりごちた苛立ちとともに、やっと感じられたことである。防御反応という意味では一連の脈絡にあるのかもしれなかった。どうしようもなく立ち向かえないものからは、逃げるのが圧倒的に正しい。

 たしかに海沿いにあった木造アパートはひらべったい能の舞台みたいな基礎だけのこして流されたけれど、もともとふるい漫画本以外モノの少ないひとり暮らしであったし、丘のうえの実家のほうは土塀に入った稲妻のような亀裂をのぞけばほとんど無傷のまま残っていて、「こんなこともあろうかと」が茶目っ気たっぷりの口癖だった母親のいうとおり非常食だとか「水のいらないシャンプー」がしっかり確保され、それほど生活に困ったわけではなかったから、しばらくは避難民の手助けに従事した。この町に暮らすものなら誰しもがうっすら予想したとおり、原発の事故があって、日めくりで政府の答弁と避難すべき地域が変わり、まさしく難民のごとくあちこちの体育館へ逃げ回っているうち、高校のころからの幼なじみである愁香を見つけた。彼女も、娘の夏美も無事だと分かり、胸を撫でおろしたのも束の間、彼女の夫であり、自分の親友でもある海晴の姿がないことにはっと気づく。うつろな眼差しでぶつぶつ呟きながらひとりで端のよれたトランプの神経衰弱をあそぶ夏美を置き去りに、うすい段ボールを敷いた床でパンツのラインが透けたジャージの尻をむけて寝転がったままの愁香に尋ねることはできなかった。漁師をしていた海晴の同僚を何人か見つけ、なかば問い詰めるように確かめたところ、海晴は、港町に残ったお年寄りを救うため、さいごまで奔走したのだという。「立派な男だった」と手をすりあわせる彼らの胸ぐらをつかみ、「お前が言うな」と殴りつけたくなった。しかし、ほんとうに怒りたい相手は誰だったのか。津波か、原発か、国か、自分か、はたまた、海晴か。少なくとも、その燃料が自分でもはかりしれない海晴への愛だったことを思えば、それは神さまへの嫉妬と呼んだほうが近しい感情だったのかもしれない。

 原発事故の被害が広がるにつれ、臭いものにふたをするように避難民自体が各地に離散させられたため、本意ではないにせよ、追うかたちで家族ごと南方の町に避難した。まだこのころはすぐに帰れるものと高を括り、郵便局に置いていた籍もどうなるのか分からなかったし、電力会社からの見舞金が出たためバイトすらしなかった。が、日々つよくもない酒に酔い、キャバクラでくだを巻くだけのあの生活ほど、無為なものはなかったと思う。「お金出てるんでしょ」とからかわれ、やけくそでできるだけ高いボトルを入れ、財布をすっからかんにするたび、潤沢な振り込みがあって、ドラえもんの四次元ポケットみたいだと自嘲すれば、自尊心は震災前から履いていたジーンズよりずたぼろになる。数年たち、ホールボディーカウンターよりもさきに、腎臓の値があやしくなりはじめたころ、世間の関心が原発から離れ、オリンピックがもともと玉虫色だった「復興」の色合いをはっきりくろからしろへ変えた時期に足なみをそろえて、「政府は信用できない」と沖縄に逃げた家族の反対を押し切り、避難指示が報道らしい報道もなく気まずそうに解除された町へと帰った。そこは津波にさらわれたあのころより何もないように見えた。荒野には一面のすすきが風にふかれていた。かつて外来種の泡立ち草に追いやられたすすきが、いまは勢力を取り戻しているのだと、名もしらぬ老人に聞かされ、黄金にもえる視界に、胸があつくなる。「復興」という言葉にやっと手ざわりの体温を感じられたのはそのころだった。思うところがあったのか、娘の夏美を関西に逃がした愁香の協力を仰ぎ、クラウド・ファンディングで採用した「双葉と呼ばれた町に、双葉を取り戻す」はまさしく彼女が考えたコピーなのだが、それなりのお金とわずか帰ってきた地元民の協力が得られ、そのまま木製の看板からして手作りで「ロッコク堂」を建てた。お金とは信頼のことなのだと、文化祭の出し物のため鍋敷きをあつめた頃からいかつい自分より人好きのする愁香に感謝をして、夫の海晴を失った愁香の気丈な姿を見れば、泣き言はいわないで済んだ。海晴と愁香と過ごした高校三年間、海晴のことも好きだったが、おなじぐらい愁香も好きだったことを思い出した。あるいは、生涯で唯一好きになった女性が愁香だった。あるいは、机を向かい合わせて弁当を食べていたころ箸が転げても笑っていたように、彼女を笑わせたかっただけかもしれない。いつもその隣には渾身のギャグを披露してもむずかしい顔の海晴がいて、あえていえば、「ふたり」が好きだった。そしてふたりの娘である夏美が、震災から十年以上たち、恋人の女性を連れて、この町に帰ってきたとき、やっと「復興」という言葉が答えでない問いであったことに思いをはせるとともに、恥ずかしそうに恋人の手をにぎった夏美の笑顔が満点の回答であったように思った。

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