第2話

 原発の事故に伴う避難指示により、両親はとおく沖縄まで高飛びしてしまい、悩んだが、北西方向に伸びたプルームを避け、県の南端にある小都会で、安酒に浸るだけの仮住まいを終えたあとは、避難指示が解除されるやいなや、慣れ親しんだ国道六号線、通称「ロッコク」沿いに復興の拠点、などと大袈裟なものでもなく、震災に関わる資料を展示する簡素なバラックを建てることにした。名前そのまま「ロッコク堂」である。自分で言っておいて言えた義理でもないが、「復興」と口にすれば粗悪なチューイングガムでも咀嚼しながら喋るように、どうにも嚙み合わせがわるい。避難解除がされて戻ってきた住人は震災前のおよそ一割ぐらいだっただろうか。子連れは新天地にぴかぴかの家を買いどっしり根を生やすなどあたらしい生活を始めてしまったし、実測すれば雨どいのしたでガイガーカウンターの故障を疑うような値が出る放射能への懸念だとか、それ以上、政権与党が代わろうとモンタージュのように代わり映えしない政府への不信感もあっただろう、戻ってきたのはほとんどが人生というながい列車のターミナルを定めたようなお年寄りだった。もともと、原発がなければ生活が苦しいぐらい、課題先進国といえば聞こえはいいが、二極化で地方から端っこに黒石を置かれたオセロのごとく衰退していく日本の象徴的な田舎の集落で、たとえ事故がなくても遅くなく似たような廃墟が並んでいただろう、一方、三十年以上つづく廃炉作業に伴って宿泊施設や飲み屋をはじめ町が潤うし、電力会社からの見舞金も日々の食卓にならぶ一汁三菜のおかずに困らないぐらい出されたのだから、いったい何が正しいのかわからない。とかく、誇りを持つのがむずかしい生活で、「ロッコク堂」を拵えたのも底意地のわるい意地みたいなもので、少なくとも外面としては、「復興」という建前は印籠のごとく観光客に効いた。ブラックツーリズムといおうか、最近は減ったが、震災の爪痕を観たいという軽いノリで迷い込んだ他県ナンバーの豪奢なミニバンを「震災のリアル」とうそくさい言葉たくみに誘い込むのである。震災関連の施設は大小とわず多くあり、ほとんどが行政主導か、電力会社が形だけ行儀いい謝罪みたいに設えた立派なものだったが、「ロッコク堂」は成り立ちからして震災後流行ったクラウド・ファンディングに乗っかる手作りで、事大主義なマスコミも飯のタネにならないとわかればインクのキレが加齢の小便みたいにわるく、ことさらに取り上げてくれなかったぶん、広島の平和記念資料館からおそろしいオブジェを撤去したり、腫れ物をさわるような世間に気をつかうこともなく、好きなふうに、あえていえば、軽々しくはやりの炎上をおそれない攻めた展示をすることができた。津波が返してくれた泥だらけの縦笛がささるあかいランドセルの写真に穴があくほどじっと眺めていた家族連れが、泣きそうな幼女を抱きかかえて沈鬱になった面差しの去りぎわ、たくさんのフリーペーパーを胸に、書籍やポストカードに差し出した渋沢栄一のお釣りを断りながら、「ここに来てもよかったのかな」と息を呑むように漏らす言葉が痛快で、それを聞くたびうなずいて顎のひげをしゃくり、むりやり茶化すように坊主頭を叩いてみて、「ロッコク堂」を建てたやりがいを感じるのであった。いよいよ客は少なく、SNSでエゴサーチすれば「まだやってたんだ」とshe/herなはずの意識たかいアカウントにあざけるような絵文字つきで書かれたり、フェアトレードでいい豆を使っているから利ざやのすくないカフェの売上も知れたもので、ついに電力会社からの見舞金も打ち切られることを考えれば、もらいもののズタ袋にたっぷり入った玄米だけを頼りにおおめの水で炊いて腹を満たすぐらい、生活は困窮をきわめたが、家庭があるわけでもなく、つくる予定もあてもなく、あの津波や原発事故で死んでも不思議はなかったと考えれば、これがさいごの仕事、少なくとも復興住宅に住まわせてもらえるうちは、大仰なようだが命のかぎり「ロッコク堂」に尽くそうと決めている。

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