其の三 「産告詞」

 そもそも友達のいなかったハルカは、これまで『委員』というものに推薦された事も無ければ立候補した事も無い。……という事で、初めての委員会である。

 委員長の挨拶があったり、目標の提示があったり……

 不純な動機で委員になったハルカだったが、『クラスの皆の為に頑張れば友達も増えるかも?』等と考えるとヤル気が出てきた。

 新学期早々、やりがいのある仕事も思い出の人も見付けられたハルカは、そのキッカケとなった司馬懿のカードをこっそりと見る。ポケットを何気なく上から覗いたのだが……

「!!」

 ガタッ。

 思わず、ハルカは椅子を立った。

「……どうしました?」

 図書委員長がハルカに質問してくる。達也も、疑問の眼差しを向けていた。

 ハルカは一瞬迷ったが、すぐに決断して言い放つ。

「すみません、ちょっと……た、体調が悪くなったので……!」

 そして、一礼をしてから慌てて図書室を出た。


 目に付いたトイレに駆け込み、一番奥の個室に入ったハルカはカードの裏面を見た。

 中央には濃い水色の透明な石が付いていたが、そこから白い煙が少しずつ滲み出ている。

『……早速、バレちゃいましたか』

 声がしたのでひっくり返すと、苦笑した司馬懿の姿が。

「司馬懿さん、これってどういう事……?」

『そろそろこの札に居続けるのも難しくなってきていたのです。今までは何とか頑張って留まっていたのですが……元々、僕の力で無理矢理に札へと入っていたのでしたし』

「そ……それって、つまり……もう、司馬懿さんとは『お別れ』って意味……?」

『無事に達也さんとも仲良くなれそうですし。ハルカさんなら、きっと沢山の友達も作れますよ』

「でも、司馬懿さんがいなくなっちゃうなんて……!」

『僕は最初から「いなかった」とでも思って貰えれば……』

「そんなのヤだよ! 父だって司馬懿さんの知識は凄いって尊敬してたし、マザーも司馬懿さんの事を気に入ってたし……。もう、私達には司馬懿さんが『いなかった』なんて考えられない!!」

『そう言って頂けると嬉しいです』

 司馬懿は微笑む。


 その時、カードの裏から出る煙の量が増え、それがカード表面でくるくると回った。

 そしてそこから出て来たかの様に。司馬懿が、カードから姿を現す。

 まるで小さな人間がカードの上で浮かんでいるみたいだと、ハルカは思った。

 周囲に煙を纏いながら、司馬懿は言う。

『ハルカさん、僕が言った三つの言葉……覚えていますか?』

「あの、忠告みたいなやつ? ……えっと、抑えて行動すれば災いは免れるって事、周りが迷っている内にサッサと決断するべきって事、それから……臨機応変に行動するって事……」

『そうです。それは人生においても大事な事ですから、たまに思い出して下さいね』

「司馬懿さん、私、他にもまだまだ大事な事を聞いていたいよ……」

『それは、何も僕の口から直接で無くても良いでしょう』

 首を振るハルカ。司馬懿の周りの煙の量はどんどん増えている。

「いなくならないで……っ」

 泣きそうになりながらも、ハルカが懇願する。

 司馬懿は、こめかみに人差し指と中指を当てて考え込んだ。

『まさか、こんなに大切に思われるとは予想外でした。僕、嫌われ者ですし』

「司馬懿さんを嫌いになったりなんてしないよ……!」

『それはハルカさんが、僕の上辺だけでは無く、僕自身を知ったから。だから、そう思う様になったのです』

「え……?」

『ともかく。もう行かなくては』

「司馬懿さん! えっと、せめて最後に……何か、もうひとつ『何か』アドバイスをちょうだい!」

『アドバイス? ……そうですね……』

 二本の指をこめかみに当てたまま、司馬懿はハルカに言った。


『ハルカさんは、良い所を沢山持っています。それなのに今まで友達が出来なかったのは、きっと「言葉」が足りなかった所為ではないかと思っていました』

「コトバ……」

『どんな誤解があっても。それが違っている事だとしたら、言葉を尽くせばいずれ判り合えたと思います。今までのクラスメイトの方達とも』

 言われてみれば中学まで……ハルカは陰口に対して最初こそ抵抗していたものの、やがては諦めて――自分から話し掛けるという事もしなくなっていた。

『自分の内面を告白するのは難しい事だと思います。……けれど、言葉なくしては何も伝わらない。……懼れず、多くの言葉を産み出して下さい』

「言葉を……産み出す……?」

『はい。気持ちを判って貰うには、それを「言葉」に変換して外に出す必要があります。話すにしても、手紙にしても』

「……うん……」

『私がお仕えしていた方も「文章は大業であり、不朽のものである」と仰っていました……。私に文才は無いですが、大切な言葉は不朽であるという事、これだけは確かだと感じています』

「もしかして、その『仕えた人』から言われた事で……千八百年経った今も忘れられない、大切な言葉があるとか?」

『ええ。沢山、沢山あります。……ハルカさんが、達也さんの事を覚えていた様に』

 司馬懿は柔らかく微笑んだ。

『それでは、行きますね。出来れば御両親に「御挨拶も無く去る事を、僕が申し訳なく思っていた」とお伝え下さい』

「司馬懿さん……っ!」

『ハルカさんも、どうぞお元気で――』

 その言葉を残し、司馬懿の体は煙に包まれて見えなくなった。

 ハルカは何度も呼び掛けたが、返事は無い。

 煙が晴れると、カードは空白。何も書かれてはいなかった。

 裏返して見ると、縁の四角い模様と円の模様は組み合わさったまま。

 ただ中央の石だけが、色を失っていた。

 色と共に、司馬懿の魂も……そのカードからは、完全に消え去ってしまったという証の様に。

 

「ハルカちゃん! ……大丈夫?」

 図書室に戻ると、達也だけが残っていた。

 おそらく、とっくに委員会は終了していたのだろう。

「タッくん……」

「なんだか、目も赤いけど……」

「だ、大丈夫。体調、悪く無いから」

「そう……? 保健室にも行っていないって話だったけど」

 確かに、トイレにずっと居たのだから保健室に居た筈も無い。

 しかしそんな事を知る由も無かった達也は、残ったハルカの鞄の番も兼ねて待ってくれていたのだろう。

 つくづく優しい人だなぁ……とハルカが目線を落とすと、机の上には一冊の本が。

「タッくん、それって……?」

「ああ、ハルカちゃんがいつ戻ってくるか判らなかったから、読みながら待ってたんだ」

 そう言って持ち上げた本のタイトルは『三国志』。

「もしかして、前……私に三国志の本を貸してくれたのって、タッくん……?」

「そうそう、ハルカちゃんてば『孔明って人の魔法がスゴかった!』って言いながら返してくれたんだよね。あの感想は印象的だったよ」

「だって祈りの力で風を起こして、敵を焼き払ったんだもん……」

「それがね。本当は違うんだよ」

「えっ?」

「あの戦いは『赤壁の戦い』って呼ばれてて、確かに強大な『魏』という国を撃退してる。……けど、実際には諸葛孔明が魔法を使ったから勝った訳じゃ無くて、別の人達の状況分析や決断、それに『魏』で疫病が流行ったりとか……様々な要因があって勝ったものだったんだ」

「それじゃ孔明さんは魔法使いじゃ無かったの?」

「あの『三国志』は、実際に起こった出来事を元にした『小説』だから。本当の『歴史』とは違うんだ」

「あれって、本当の歴史の本じゃ無かったんだ……」

 てっきり勘違いをしていた。ハルカの中では卑弥呼が呪術的な力で国を統治していた様に、昔の中国でも魔法で国を動かしていても不思議では無いと思っていたから。


「……という事は、孔明さんも嘘? 『天下の奇才』って呼ばれたのも作り話?」

「そこは本当だよ。諸葛孔明が亡くなった戦いがあって……それが終わった後で、その陣営を見た『ある人』が賞賛したんだ」

「って……やっぱり孔明さんは凄かったって意味? それとも、それは御世辞だったの?」

「御世辞では無いんじゃないかな。……だってその言葉は、諸葛孔明と戦った相手が言ったものだし」

「……敵だったのに誉めたの……?」

「もしかしたら、彼は敵味方問わず『良いものは良い、悪いものは悪い』って考える性格だったのかもしれない。確か、自分の国の人が謀叛を起こすのも逸早く察知して……味方だし様子を見よう、という周りの意見を押し切ってまで対応するような人だったし」

「いつまでもグズって戦わなかった『仲達』って奴とは大違いね」

「え?」

 達也は首を傾げた。

 ハルカはその仕草で、もしや、と勘繰る。

「知らなかったけど『仲達』も、小説の中だけの創られた人物だったの……?」

 その言葉に、達也は吹き出した。

「ハルカちゃん、三国志の登場人物って全然記憶に無いんだね」

「え、あ……まあ、うん。なんかヤヤコシイ話だったし、孔明さんが魔法使ってたって位しか覚えて無くて……」

「それじゃ可哀相だよ。諸葛孔明が好きなんだったら、せめて彼の最後の相手……司馬仲達も少しは気に掛けてあげないと」

「……『司馬』……『仲達』……?」

 どうも、仲達の名字は『司馬』だったらしい。

 ハルカは達也に勢い良く尋ねた。

「し、『司馬』って! も、もしかして、あの、司馬懿さんと何か関係のある人なの!?」

「司馬懿?」

 キョトンとする達也。

「どうしてハルカちゃん、司馬懿って名前は知ってるの?」

「私にとって、司馬懿さんは大事な人! タッくん、司馬懿さんについて何か知ってるなら教えて!!」

「……教えて、って……」

 達也は苦笑する。


「そもそも、さっき言った司馬仲達と司馬懿って。……同一人物だよ?」

「は……?」

 どういつじんぶつ。

 つまり、『仲達』は『司馬懿さん』?

 混乱気味のハルカに、達也が説明をしてくれる。

「えぇっと……ややこしいと思うんだけど、名前って……姓と名、そして字ってのがあるんだ」

 確かに、司馬懿からも『孔明=字』だと聞いた。

「それで、司馬仲達の場合。姓が『司馬』で名が『懿』。字が『仲達』なんだよ」

「……」

 唖然となるハルカ。

 小説のイメージで『仲達』の事を決めつけて嫌っていたが……これでは、ハルカも今までのクラスメイトと同じという事になる。

 そういえば、司馬懿はハルカの『儀式』の声を聞いてやって来た、と言っていた。

 それに、さっきも『僕、嫌われ者ですし』と……。

「……司馬懿さん、私が司馬懿さんの事をどう思ってたか知ってて……。それでも、協力してくれてたんだ……」

 ポロポロと、涙が零れてくる。

 これに慌てたのは事情を知らない達也だ。

「ハ、ハルカちゃん? 突然どうしたの? ……やっぱり体調?」

「違うの……司馬懿さんに、申し訳なくって……」

「……司馬懿さん……?」

 益々困惑してしまう達也。

 だが、どうもハルカが司馬懿の事を考えて涙した、という事だけは察知したのだろう。元気付けようと、机の上に置いていた三国志の本をめくりながら喋り出した。

「ハルカちゃん、知ってる? 司馬仲達の奥さんの名前!」

「お……おくさん……?」

「確か、俺の記憶だとチョウシュンカ……」

「……?」

 達也が何を言いたいのかが判らない。

 だが、差し出されたページを見てハルカは理解した。

「この名前……」

「そう、『張』が名字で『春華』が名前。中国での読み方はともかく、日本読みだと……これって、ハルカちゃんと同じ名前だよね」

 偶然なのか、それとも司馬懿の妻と同じ名前だからこそ、彼に儀式の声が届いたのか。それは、ハルカには判らない。

 しかし、ハルカは何かの運命だったのかも、と考えたかった。

 きっと自分と司馬懿さんには、何らかの繋がりがある。……だから、もしかしたらこれからも。再び会える時が来るかもしれない。

 

「あのね、タッくん」

「何?」

 泣き止んだハルカにほっとしつつ、達也は返事した。

「信じてくれないかもしれないけど……私、この三日間で大切な思い出が出来たの」

「そうなんだ?」

「うん。大事な人が出来た。タッくんとこうやって委員になったのも、その人のお陰だし」

「へぇ……?」

「それでね。……もしかしたら、またその人に会えるかもしれないと思って。私、それまでに調べておきたい事があるの」

「調べ物って……」

「三国志の事」

 多分、歴史の本を探せば……司馬懿の事を、もっと知る事が出来る筈だ。

 そう思って、ハルカはこれからの計画を練り始めた。元々、興味のある事を研究するのは好きな性質でもあるし。

「でも、その前に私達……まずは下校しなくちゃ、だよね」

「あと……お昼ごはんも食べないと」

 俺、実はさっきから腹ペコで……と、達也が苦笑する。

 ハルカは頷いて、机の上に出しっぱなしであった筆記用具を片付け始めた。

 それから……司馬懿の言葉を思い出して、達也に提案する。


「まだ、決まって無い?」

「……何が?」

「お昼ごはん、どこで食べるか」

「ああ、今日は母さんもいないし……家で食べるか食べて帰るか、まだ決めて無かったっけ」

「それじゃあ、一緒に食べない?」

「え?」

 突然の誘いに、達也が驚く。

「タッくんの好きなお店があるならそこでも良いし、なんならウチに来ても食べられるし」

 どちらにせよ、おそらく電話をすればマザーは喜んでオーケーを出すだろう。

「……ハルカちゃん……なんだか、前よりずっとダイタンになったね……」

「そのキッカケの話も、お昼しながら話そうかと思って。……どう?」

「う~ん……」

 考えてはみたが、達也に断わる理由は全く無く。少し悩んだ後にハルカへ『じゃあ、この近くに安くて美味しいお店を知っているから』と、達也は返事をした。


 ――その言葉の前、達也が悩んだ時に。

 実は彼が二本の指をこめかみに当てて考えていたという事を……ハルカは片付けの最中で、見逃していた。


 達也が考え事をする時の癖、その仕草を。

 ハルカは、それから『三刻』の後に『知』ったのであった。

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ハルカへ3の『サンゴクシ』 水月 梨沙 @eaulune

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