其の二 「珊瑚駆使」

 翌朝。

 真新しい制服に着替えたハルカは部屋を出て、リビングへと向かった。

『あの法でしたら使う液体に塩分を混ぜた方が馴染みますよ』

「そうだったのか! じゃあ、その後に入れる鉱物についてなのだが……」

 いつから始まったのか、それとも昨日からノンストップで繰り広げられているのか……今朝ハルカが起きた時から、ずっと司馬懿と父は呪術についての会話をしている。

「……ねえ父」

「おおハルカ? すまんが今は取り込み中で……」

「って、昨日もずっとそう言っていたじゃない! そろそろ学校へ行くから司馬懿さん返してよ」

「あ、もしかしてマザー達の代わりに司馬懿ちゃんを式へ連れて行くのね?」

「うん。……やっぱり、一人ぽっちは淋しいし」

「でもハルカ、もうちょっと……」

「そう言いながらダーリンてば、昨日からずっと司馬懿ちゃんを一人占めしてるじゃない。それはハルカへのプレゼントなんだから、少しは我慢してあげて」

「うぅ……。まあ、ハニーの言う事は正しいけど……」

「ハイハイ手を離す」

 そう言って母は父の手からカードを取った。

「それじゃ司馬懿ちゃん。ワタクシ達の代わりに、ハルカの事……宜しくお願いしますね」

『ええ。お任せ下さい』

 母の手の中から司馬懿は微笑む。

「はいハルカ。……気を付けて行ってくるのよ」

「うん、それじゃ二人共、いってきまーす」

『行ってきます』

 挨拶をして、明るい外へ。

 

 学校に着いてから。入学式での自分の席を確認すると、ハルカはトイレへと向かった。

 ここを選んだのは(本当は座って司馬懿と色々な話をしたかったのだが、『カードと会話していると不審に思われてしまいますよ』と心配されたので)、姿を隠す為だ。

「ここでなら携帯で話してると思われるし、良いよね?」

『ですが、なるべく小声にしておきましょう』

「だけど今日って入学式だし。まだ知り合いもいないから大丈夫だよ」

『いいえ。「之を損して、また之を損する。以って免るべきを庶はんか」です』

「…………は?」

『僕が生前から言っていた事なのですが……抑えた上に抑えて我慢する事によって、災いというものは避ける事が出来る、という意味です』

「へえ……。司馬懿さんって、じゃあ我慢ばっかりの人生だったんだ?」

『まぁ、比較的……』

「だったらその事を父にも言ってあげた方が良いかもね。父は思い込んだら我慢なんてせずに突っ走っちゃうタチだから」

『確かに、昨日からの質問攻めは凄かったです』

 そう言って司馬懿が苦笑する。

「……もしかして、完徹?」

『はい。最初の内は色々な角度から眺められたりしていましたけど、それから段々と僕の事を訊いてきて……最後は、呪法の疑問を投げかけられました』

「そっか、司馬懿さんって色んな経験してるから、そういう事とかも詳しいんだね」

『と言っても僕は、そちらの分野にはあまり興味が無いのですけど』

「そうだったの? ……ごめんね、父がウルサくて」

『いえいえ、彼は別に悪気がある訳では無かったですし、それに良い人だという事も話している内に判りましたから』

「うん。父って少し変だけど、性格は悪く無いんだよ。皆は上辺だけ見て近寄らないけど……」

『いつの世でも、そんなものですよ。その人物の内面まで探る事をせずに、噂や思い込みで「こういう人だ」と決め付ける……。哀しい事です』


 それはハルカがよく体験している事だった。

 両親の暖かい人柄を知ろうともせずに、文句ばかりを言う同級生。そして、その子どもだからといってハルカに近寄ろうともしなかったクラスメイト達……。

 けれど今度こそ、友達を作ってみせる。周りの人間がそんな風にしか他人を見られないというのなら、それこそ両親の事を話すのを『抑えて』嫌われるのを免れてやる。

 ハルカは決意も新たに、トイレから入学式の席へと向かった。

 

『………ハルカさん?』

 急に立ち止まって動かなくなってしまったハルカを心配して、司馬懿がポケットの中から小さく声を掛けた。

 場所は、ハルカのクラスの少し前。

 ハルカは今から入る教室の中に『ある人物』を見付けて、固まってしまったのだ。

「タッくん……」

『?』

 ハルカの目線の先には、一人の男子生徒。

 彼は別の男子生徒と会話していて、ハルカの視線には気付いていない。

「司馬懿さん、どうしよ」

『え?』

「あの人、絶対タッくんだよ……」

『タッくん……?』

 突然、ハルカは走り出した。教室の向こうにあるトイレに駆け込んで、鍵を掛ける。

 そしてカードを両手で掴んで、司馬懿に訴えた。

「小学生の時に転校しちゃった人。……まさか、こんな所で会うなんて……!」

『知人ですか。……もしかして、ハルカさんの家の事も知っている……?』

 こくん、と頷くハルカ。

『これでは折角の「知り合いのいない所で友達を作る計画」が台無しになってしまいますね……』

「それが、違うの」

『違う?』

「タッくんは、ウチに来ても唯一マザーや父の事を変に思わなかった人なの!」

 ――そう、小学生の時。

 ハルカの家でパーティーを開く事になり、クラスメイト達を呼んだ日の事だ。

 皆が家や両親を見て不気味がる中、彼だけは違った。

 怪しいものも『個性』と受け取ってくれた、ただ一人の男の子。


『成る程……。もしかして、これはチャンスなのでは?』

「チャンス?」

『知り合いなら、まず彼から友達になれば良いのですよ。ハルカさんにとってここは遠い場所にある高校ですが、逆に彼は近所に住んでいるのかもしれません。そして、彼の友達も……』

「タッくんと友達になればタッくんの友達とも友達になれるかもしれない?」

『可能性は充分にあります。……なにより、既にハルカさんは彼の人柄を知っているのでしょう?』

「うん。タッくんは良い人だよ。……私、タッくんがいなくなった時、すごく悲しくて……ずっと泣いてたのを覚えてる」

『それだけ大切に思っていた人でしたら。是非、声を掛けるべきです』

「でも、でもタッくんって……今も前みたいな人なのかな? 性格とか、すんごい変わってたりしてたらどうしよう」

『それは話してみないと判りません。……何にせよ、彼とは同じクラスなのですよね? 嫌でも一年間は同じ教室で過ごすのですから』

「うーん……」

 確かに、ぐちゃぐちゃと考えてみても仕方が無い。

 こうなったら当たって砕けろ、と思い直して、ハルカは教室に入った。

 

 ――砕けた。

 これが今のハルカの心境である。


 タッくん、と声を掛けた時の彼の反応。それは『どうしてその呼び方を?』というものだった。

 つまり、彼はハルカの顔を全然覚えていなかったのである。

『元気を出して下さい、ハルカさん』

「うう……。そんな事言われても……」

 因みに今はハルカの部屋。机の上にカードを立て掛けて、ハルカはその前で頬杖をつきながらションボリしていた。

 溜め息を繰り返すハルカを見て、司馬懿が二本の指をこめかみに当てる。

『――そうだ。ハルカさん、確か今日は座席表と、今週の日程の書かれた紙を貰いましたよね?』

「うん」

『それを僕に見せて下さい』

 司馬懿に言われて、がさごそとプリントを取り出すハルカ。

 そして目当ての紙を見付けると、それをカードの前に広げて置いた。

「……これで見える?」

『はい、見えます。……確か、彼は窓から三列目の、一番後ろの席だったんですよね?』

「そうだったよ」

『名前は……「中井達也」さん、ですか』

「あー、そうそう、タツヤでタッくん」

『彼についての情報はこのプリントからは読み取れませんが……話した感じでは、彼はとても性格の良い人物みたいでしたね』

「うんうん、相変わらずウサンクサイとか言わないでいてくれたもんね。イキナリ覚えの無い女が話し掛けたっていうのに……」

『そう落ち込まないで下さい。彼に覚えが無くても、ハルカさんが「自分の事を知っている」というのは伝わった筈ですから……別に、胡散臭いとまでは考えなかったでしょう』

「でもなぁ……」

『ハルカさんも、達也さんの性格が変わっていないと判って、益々お友達になりたい、と思ったのでしょう? ……だったらその為の近道は「昔の事を思い出して貰う」というのが一番なのではないですか?』

「昔の事……」

『転校する前も、ハルカさんと達也さんは同じクラスだったのですから。共通の思い出があるのでは』

「でも小学校一年生の時だよ?」

『まだ十年も経っていないじゃないですか』

「私達にとっての十年っていったら、生きてきた年月の半分以上だよ……」

『それでも、何年経っても消えない思い出というのは存在します。きっと、達也さんだって……』

「思い出、思い出……」

『ハルカさんはどうなんですか? 達也さんとの思い出の中で、一番印象的だったのは?』

「それなら、皆がウチに来たパーティーの日かな。タッくんだけが気にしないでいてくれて……」

『そのパーティー、他の方は気にされたという事は……結局は開かれなかったのですか?』

「皆は帰っちゃったけど、タッくんは残ってくれたから、マザーと三人でパーティーしたよ」

『三人?』

「父は買い付けに行ってたから。それで、タッくんが帰る時になって父が帰ってきたの。……その時タッくん、スッゴクびっくりしてたっけ……」

『どうしてですか?』

「だって父ったら、両手で抱えるのも精一杯なくらいに大きな珊瑚の塊を買って帰ってきてたもの。こんなに大きいのは見た事ないって、タッくん目をまんまるにしてたよ」

『それです!』

「ソレ?」

『その珊瑚を見せれば思い出すのではないですか? そこまで巨大な珊瑚を他に間近で見る機会は滅多に無いでしょうし、インパクトも大ですよ』

「けど、もうあの珊瑚は売れちゃってるから……」

『ハルカさん。その前に、そんなに大きな珊瑚は持ち歩けないでしょう……』

「あ、確かに先生に見つかって没収されそう」

『代わりに、そのサブバッグに入れられるくらいの大きさの珊瑚を持って行くのです。大きな珊瑚を見せられてパーティーの事を話せば、達也さんも思い出すに違いありません』

「そうかな……?」

『失敗しても、その時はまた別の手を考えれば良いのです。幸い、達也さんは何を見ても嫌がる性格では無いのですし』

「駄目でモトモトってやつだね。確か五十センチくらいの珊瑚ならマザーのお店の飾りとして置いてあるし、あれを借りよう」

『ここで注意しておきたいのですが……ハルカさん、タイミングは大事ですよ?』

「え? 明日学校に行ってスグ見せるのじゃダメなの?」

『それだと他のクラスメイトも珊瑚を見るでしょう』

「けど、皆はあの日のパーティーの事を知らないよ……?」

『知っていても知らなくても、大きな珊瑚を学校に持って来るクラスメイトって……普通の生徒はどんな風に思うでしょうか?』

 言われてみれば、少なくとも『なんだコイツ』と思われるのは免れないだろう。

「……でも、そしたら一体いつ見せれば良いの?」

『そこで、この予定表を見て下さい』

 司馬懿はプリントの一枚を指差した。

『明日はオリエンテーリングやクラス委員の選出などがあります』

「そうだね」

『そして、どの委員も基本的には男女一組ずつをクラスから選出するという話でした』

「担任の先生が言ってたっけ。……それで?」

『今日、達也さんの友人は「また達也は図書委員か?」と話していました。彼は「出来ればね」と言っていましたし、図書委員に立候補する可能性が高いでしょう』

「タッくんって真面目なんだねー……」

『ハルカさん。……あなたも図書委員になるのですよ』

「は?」

『表の放課後の所に「各クラスの委員は定められた場所で開かれる委員会に出席する」と書いてありますよね? 二人で移動する間に珊瑚を見せれば……』

「……って、私が委員に!? そんな、考えられないって!」

『委員会を通じて別のクラスの友達も出来るかもしれませんよ』

「でもでも、委員って最初にヤル気のある人が立候補して、それで決まらなかったら委員になってない人から選ばれるんだよ? そこでどれになるかなんて……」

『何を言っているんですか。ハルカさんが最初に立候補しないと』

「えぇえっ? 私から立候補!?」

『良いですか、「當に其の未だ定まらざるに及び、促やかに之を決すべし」です。決まっていない時こそが絶好の機会なのですから、そこを逃さずにやるのですよ』

「司馬懿さん……。朝はガマンしろとか言ってたのに、今度はダイタンに行けって事……?」

『いつも同じ作戦では駄目です。「それ兵とは詭道にして、善く事によりて變ず」といいます。物事は、臨機応変に、ですよ』

 司馬懿は不敵に微笑んだ。


 ――そういえば、孔明さんと知り合いっていう話だったけれど……司馬懿さんって何者なんだろう――と。ハルカはチョッピリ気になってきた。

 

 翌日の委員選出は、司馬懿の言う通りに立候補した結果……めでたく、達也と二人で図書委員になる事が出来た。

 そして放課後、委員会のある『図書室』まで二人で向かっていると――

『好機ですよ』

 小さく、司馬懿の声が聞こえた。

 ずっとドキドキしながら達也の後ろを歩いていたハルカは、その声にハッとする。

 今、階段を上っている二人の他に……誰の姿も、見えない。

「あ……あのっ」

 司馬懿に急かされたハルカは、達也を見上げて声を掛けた。

 その声に振り向いて、達也が三段降りてくる。

「何?」

「え、えっと……。……さ、サン……」

「さん?」

 何だろう、と見返してくる達也の目。

 それを見ているのが、とてもとても恥ずかしく思えてしまって。ハルカはサブバッグを開けて、中身を晒しながらバッグで顔を隠した。

「……」

「……」

 気まずい。

 そもそも急にこんな事をされて、変に思われなかっただろうか。

(いくら何でも、珊瑚で視線を塞ぐってどうなの……?)

 そう考えて、ハルカが心配になってきた時。

「やっぱり、ハルカちゃん……?」

 達也の声が聞こえた。

 慌ててバッグから顔を上げると、そこには達也の微笑みがあった。

「タッくん、やっぱりあの珊瑚の事……覚えてたんだね……」

 思い出して貰えてホッとしていると。達也はゴメン、と謝った。

「本当は、昨日……ハルカちゃんから昔の呼び方をされて、ずっと考えてたんだ。そしたら『一丁目の黒い家』の事を思い出して。もしかしたら、あの家に住んでたハルカちゃんだったのかも……って」

「考えてた、って――昨日から?」

「うん。でも、違ってたら悪いかなーって思って、聞きそびれてたんだ。だってハルカちゃん、お家の事を言われるのって嫌そうだった記憶があったし……」

「確かに、他の人にウチの話をされるのは嫌い……。その所為で友達がどんどん減っちゃったから」

「でも、前のクラスに『ハルカ』って女の子は二人いただろ?」

「……そうだっけ?」

「うん。それで、黒い家の方のハルカちゃんかって訊くのを躊躇ってたんだ。……俺、もう一人の『ハルカちゃん』とは仲良くなかったし」

「そうなんだ……」

 良かった、とハルカが安堵すると、達也は反対に不安そうな顔をした。

「ところでソレ……」

「どれ?」

「その珊瑚。……ひょっとして、あのパーティーの日の……?」

「ううん、あれはもっと大きくて、こっちは別のなんだけど。タッくんに見せたら、もしかしたら私の事を思い出して貰えるかもしれないと思って……」

「思って、重いのにワザワザ持ってきてくれたんだ?」

「う、うん……」

「ごめんね、俺が昨日スグに判ってたら良かったんだけど……」

「いいの! だってタッくんは昔と同じタッくんだったし、それが一番嬉しかったから」

「……ハルカちゃん……」

 達也が照れながら苦笑する。

 この様に(ハルカは色々と心配していたが)結局、珊瑚作戦は成功に終わったのであった。

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