第5話 トラウマを克服せよ



 勉強時間が終わった。


 好きなだけ話せて満足そうな母さんは鼻歌を歌いながら昼食を作りに台所へと向かい、俺は歴史の教科書を改めて読む。


 料理の良い匂いが辺りにただよい、腹が減って集中力が切れてきた頃、父さんが仕事場から帰ってくる。

 そして家族三人で食卓を囲んだ。


 机に並べられた料理は、パンを主食としてスープや野菜炒めなど他数品。


 俺が1番好きなのはこのスープで、ホクホクとした芋や甘みのある玉葱たまねぎが入っており、野菜の旨みがよく感じられる。


 料理は全て美味しいが、肉料理が無いので少し物足りない気もする。まあ、この村では家畜は少ないし、冬明けは狩猟も難しいから仕方ないんだけどな。


 昼食を終えたら皿を台所へ持って行き、石鹸で洗う。


 その後、ホースの付いた箱型の魔道具に青色の魔石を投入し、ボタンを押す。すると、魔力から生まれた水がホースを通って流れ、皿に着いた石鹸の泡を落としていく。


 皿洗いがひと段落したところで父さんから声がかかる。何やら話したいことがあるらしいが。


「どうしたの父さん」


 手の水気を飛ばした後、席に着く俺。母さんはおらず、父さんと一対一で正面に座る。

 随分ずいぶんと真剣な表情をしているな。


「ハクアから聞いたよ。……学園に興味があるんだって? あそこがどんな場所か分かってるのかい?」


 なるほど、ついにその話をする気になったのか。


「優秀な人が15歳から18歳までの間、高度な教育を受けられる場所。神のお告げによって作られたため、国中に多大な影響を与えている。って書いてあったね」


「うん。その通り。でも、一つ付け加えるとするなら……優秀な人というのは『の事だよ。だから残念だけどクロウは入れないんだ」


 俺が学園に入れないという事を優しく諭すように伝えてくる父さん。少しうつむいており、メガネの反射も相まって顔がよく見えない。

 

 ふーん、なるほどな。そうやって嘘を付くために学園について隠していたのか。でも、俺は知ってるんだよなぁ。


「それって、本当? 嘘ついてないよね? 例えば、貴族には学園に入る義務があるとか。『スキル』を持ってなくても入れるクラスがある……とかさ」


「……ッ!? どこでそんな事を知って……」


 目を見開き、信じられないような顔で見てくる。しばしの沈黙の後、やがて観念したような表情で席を立つ父さん。

 「少し待っててくれ」という言葉を残し部屋へ向かった後、一枚の冊子を持って戻ってきた。


「これが学園――マルリナ神恵学園しんけいがくえんからの入学案内書だよ」


「これが……」


 手渡された冊子を読むと、そこには入学のための詳細な情報が書かれていた。俺の知っていることから知らないことまで。

 というか、入学試験もう終わってんじゃねえか!? 15歳に入学できるってことしか覚えてなくて、完っっ全に試験の事忘れてた……。あれ、これやばくね?


 冷や汗が流れ、体が震える。

 「分かったかい?」という質問にすら答えられず、頭の中ではヤバいを連呼するのみ。


「……貴族に学園に入る義務があるというのは少し違うんだ。実際には、貴族として認められるためには学園に入り、優秀な成績を残す必要があるというだけ。

 つまり、入学するは無いんだよ」


 なるほど。そう言う事が言いたかった訳ね。

「でも俺は」

 学園に行きたい、そう言い出す前に話は続

けられる。


「確かに、『スキル』を持たなくても実力次第では入ることは出来る。でも、僕は入ってほしく無いなぁ」


 嘘をついていた時とは違って弱々しく、だが、目を合わせて自分の意見を言ってくる。


「学園は実力主義だから、弱い人ほどしいたげられる。そこに入って無事で済むとは思えない。

 貴族として生きられなくても良いじゃ無いか。クロウは賢いからいくらでも道はあるさ。文官にだってなれるよ。だから……行かないでほしい」


 学園での何があったのかよく分からないが、俺の事を守りたいという思いは伝わってくる。

 少し陰湿だったけど、学園の事を隠して嘘までついたのは父さんなりの、不器用な思いやりだったのだろう。


 父さんは悪くない。悪いのは……俺だ。俺が弱いせいだ。臆病なせいだ。


 トラウマのせいで村の門に近づくだけで体が震えて動けなくなる。だから一歩も村の外に出られず、レベルも上げれず、実力を見せれて無いから心配をかけてしまう。


 本当なら強引に耐えられる筈なのに。自分のようで自分でないこの体が壊れる可能性を恐れてしまい、挑戦出来なかった。


 悪いのは……俺だ。俺には覚悟が足りなかったんだ。たとえ誰に恨まれようとも、何を失おうとも、自分の決意をやり遂げる覚悟が!


 決心し、前を向く。


「父さん。俺にチャンスをくれないか? あの時のトラウマを克服して見せる。もし無理だったら諦めて父さんに従うよ。だから……俺の覚悟を見ていて欲しい!」


「――ッ!? …………ふぅ。……ハクアに、怒られるかもしれないなぁ」


 驚き、悩み、そして諦めたように笑いかけてくる父さん。

 そして二人揃って10年越しにあの場所へと向かった。



 歩くこと1分ほど。


 今、目の前には巨大な門がある。丸太の壁に囲われた村の出入り口。

 そして合図に合わせてだんだんと開かれる扉。


 何故か知らないが、今日は調子がいい。緊張で体が強張って、心臓の鼓動がうるさい――だけで済んでいるんだから。

 

 扉が開いていくにつれて、世界が広がるように雄大な景色が目に入ってきた。


 土が耕されて、うねが作られる前の畑。

 短い草たちが風に揺られる草原。

 

 そして、それらを囲んでいる柵――を超えて遠く離れた不気味な森。

 そこに佇む黒き獅子。


 こちらを睨む2つの鋭い眼光に貫かれ、死そのものが牙を剥き喉元に噛み付いてくる幻が、想起される記憶と重なった。


 あの時の恐怖を思い出した体が大きく震え出し立っていられなくなる。呼吸が乱れて満足に息も吸い込めない。


 そして視界はせばまり、父さんに掛けられている声も遠くなる。



――敵に容赦しちゃダメだってことぐらい分かるよねぇ?

  ……誰が敵か分からないって? そうだねぇ……取り敢えず、こっちに武器を向けてきたり、殺気を向けてきた相手は容赦なく殺しちゃっていいよぉ。

 

 そう言っていたのは一体誰だったか。


「キミってば頭おかしいんじゃないのぉ? 普通、自分から洗脳されようとしないでしょ」

 

「そう、自分への戒めとして、ねぇ。でも、ちゃんとデメリットが分かってるのかい? 君はこれから逃げることすら許されなくなるんだよぉ? 後、私の実験台にされちゃう。……えっ、本当にいいの?」

 

「しょうがないねぇ。そこまでの覚悟を見せられたら断る訳にはいかないじゃないか。

 それじゃあ、いくよ――」



 ドクン。心臓が跳ねる。

 

 ドクン。血が全身に巡る。


 体の震えは止まり、ただ、殺意だけが沸いてくる。顔を上げれば、こちらを睨みながら殺気をぶつけてくるクソ獅子ライオンが視界に入る。

 

 敵は殺す。


 地面を蹴り、前傾姿勢のまま全力で走る。

 

 畑を踏み越え、草原を駆け抜けて最短距離で敵へと近づいていく。

 それにともなって威圧と死の気配が強くなるが、それを意に介することはない。


 そして、村の領域を囲む、柵の近くまで来たところでふと気づいて立ち止まる。


「これは……結界?」


 祖父のスキルによって張られた大規模な結界。この半透明の壁が今まであらゆる外敵から守ってくれていたんだ。


 触れてみるとその力強さが直接伝わってくる。先程までの衝動的な殺意が収まり、冷静になっていく。


「ハッ、何だ、恐れる必要なんてなかったじゃねえか」


 クソ獅子ライオンへの恐怖を鼻で笑い飛ばしていると父さんが心配そうに駆け寄ってくる。


「クロウ、大丈夫かい?」

 

「ん? いやぁ、大丈夫、大丈夫。ちょっとあの獅子をぶん殴りたくなっただけだから」


 俺の言葉を聞いた父さんは、訳がわからない、とばかりに今までで一番間抜けな顔をしていた。


 






 

 

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