第9話:何も知らない肉片は、ただ世界の理だけを知る。

「絶対に顔を出したらダメだからね」


「リゼッタたん、オレのこと、猫かなんかと思ってません?」


 リゼッタたんはオレの言葉を華麗にスルーして無理やり袋の中に押し込むと、それを自身のローブの中に隠した。だが、オレが外の様子が見えないことにねちねち抗議すると、渋々左眼球が外の様子を見える位置に調整してくれた。ローブの中のリゼッタたんの柔らかなぬくもりに包まれないのは至極残念だが、しかし、どうせなら異世界の様子を見てみたいじゃん。


「よし、……じゃあ行くよ」


 意を決したように村の入り口で大きな深呼吸をしたリゼッタたんが村に姿を現すと、そこにいた村人たちは一斉に彼女を睨みつけた。


 市場で賑わっていたはずの活気ある通りは、リゼッタたんが足を踏み入れるや否や静まり返った。まるで村全体に急に冷気が流れ込んだみたいだった。そんな絶対零度を放出する幼女、リゼッタたんが一歩踏み出すたび、人々は彼女の冷気を避けるように道の端に寄っていった。


 村人全員から嫌われているとリゼッタたんは言っていた。


 それは、村人の反応からもすぐにわかった。


 母親が近くの子供を引き寄せ、低い声で「見ちゃいけません」と囁く。小さな子供も母親の鬼気迫る表情と態度を怖がって、母親のスカートの後ろに隠れる。おいおい、こんなに可愛いリゼッタたんを見ちゃいけないとかどんな拷問だ、むしろ目に焼き付けておかなくてどうする。


 老人は杖をつきながらリゼッタたんを睨みつけ、「ここにはお前の居場所なんかない!」と唾を吐き散らしながら喚いた。今にもその杖をリゼッタたんに振り上げそうな勢いに、オレも思わず叫んでしまいそうになった。「ダメでしょ、隠れてなさい」「オレ、ガチで猫かなにか?」


 若い男が友人と共にリゼッタたんを指差し、嘲笑混じりに「おい、またあの魔女が来たぞ!」と大声で言う。友人たちも同じように乾いた笑い声を上げるが、その目には恐怖が見え隠れしている。


 たった数歩歩いただけでこれだ、リゼッタたんは何もしていないのに、だ。


「いいの、慣れてるから」


 オレの憤慨が袋越しに伝わったのか、リゼッタたんは声を潜めてそう言った。


 けど、慣れているってなんだ? こんな可愛い幼女が森の奥深くでたった一人ひっそりと暮らしているのも、これと何か関係があるんじゃないのか? そもそもリゼッタたんが何をしたっていうんだ。あまりにも可愛いからか? 嫉妬か? ガチで許せんぞ!


 リゼッタたんはその場の雰囲気に気付かないふりをして歩き続けていたけど、肩に冷たい視線が突き刺さるのをひしひしと感じていたことだろう。こんな幼女にこの仕打ちはひどすぎる。何なんだ、異世界って。


 市場に行っても同じだった。


 果物屋の店主は、リゼッタたんが近づくと急いで店を閉め、「今日はもう売り切れだ!」と吐き捨てながら、悲しそうな彼女の視線を避けた。「おい、こっちは客だぞ」「いいの、黙ってて」


 パン屋の主人は、リゼッタたんが店の前に立つと、冷たく「他のところで買え」と言い放つ。それでも粘ろうとしたリゼッタたんの小さな身体に向かって、こともあろうか大の大人が大きなパン切り包丁を振り上げたせいで、オレ達はここから逃げるしかなかった。


 肉屋は、その大柄な身体を無駄に小さく縮こまらせて、彼女が立ち止まる前に店のシャッターを下ろし、「ひいいいい、魔女には売らない!」とヒステリックに喚き立てた。普段ならきっとその滑稽な姿に思わず笑えるのだろうが、なんだか今は全然笑えるような気分じゃなかった。


 そうして、罵声と怒号と悲鳴を浴びせられながらようやく手に入れた食べ物は、全然足りていないらしいおつりと一緒に乱暴に地面に投げ捨てられた一切れのカビたパンと小さなチーズのような何かの塊だけだった。


「これだけ買えれば十分よ」


 リゼッタたんは素っ気なくそう言いながら、パンやチーズに付いた砂を払って手提げ鞄に乱暴に突っ込んだ。明らかに全然足りていないのは一目瞭然だ。どこからどう見ても十分じゃない。これじゃあ、旅はおろか今日の晩飯にもならないぞ。


 オレはリゼッタたんが寂しそうに買ったパンを見つめているその間、あまりにもひどすぎる村人たちの扱いにもずっと何も言えないままだった。

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