第28話 また参ります



 枕元で喜んでいる善兵衛を見ていると、ひどく心配をかけてしまったのだな、と思った。


「善兵衛も希久もありがとう」


 二人にお礼を云うと、希久が首を振った。


「お兄様のお声を聞けて安堵いたしました」


 希久のほほ笑む顔を見て、英之助はどうなったのだろう、と思った。しかし、今の自分にそれを発言する権利などないような気がして、口を開くのもこわかった。


「何か、召し上がった方がよいのではないでしょうか」


 希久がふと、思いついたように云うと、善兵衛は即立ち上がり、何かもらってきます、とすぐさま部屋を出て行った。


 再び二人きりになると、また、虫の声が聞こえてきた。近くにいるのだろうか、小三郎がふっと笑うと、希久がおや、という顔をした。


「どうかなさいましたか?」


 小三郎は説明しようと思ったが、声を出すと腹が痛いので、考えながら言葉を選んだ。虫の声よりも、どうして希久がここにいるのか、その方が知りたかった。

 聞いていいものだろうか。

 そもそも、何年も会っていなかったのに、どうして勝平は、希久に伝えたのだろうか。


「勝平はどこにいる?」


 何より先にその言葉が出てきた。

 希久は、最初、きょとんとしたが目をぱちぱちさせて、少し天井を見上げるしぐさをした。


「さあ、どうでしょう。わたくしは会っていませんの」


 希久は、小三郎が話すたびに痛そうな顔をするのに気づいて、気を利かせて説明してくれた。


「勝平さんは、お兄様がケガをして臥せっているので、よければ手伝ってくれまいか、とわたくしの元へ参られたのです。幼馴染で女は希久しかいないから、誰にも頼めない、とおっしゃられて」


 希久は、小三郎を自分の兄と思ってずっと慕っていたので、すぐにお手伝いがしたいと思って参りましたと云った。

 それからここは、江戸の町からも少し離れた場所にあるので、めったに人は来ないから、そのせいで勝平も来ないのだ、と云った。


 どうやらここは、小三郎が、はたし状に書いた場所に近いところにいるらしい。

 小三郎は、希久はどこまで知っているのだろうかと思ったが、希久は何も知らないのか、知らないふりをしているのかまでは、顔を見ても分からなかった。

 と、そこへどたどたと足音がして、善兵衛がお盆に白湯と粥と大根の漬物を載せて入ってきた。その顔は心なしかニコニコしている。


 小三郎の背後にまわり、起きられますか? と体を起こしてくれた。

 腹はかなり痛かったが、傷は塞がっているし、精はつけた方がいいとのことだった。

 漬物を噛んでは腹が引きつったがその漬物の味は、しょっぱさに大根の野菜特有の甘味が口の中に拡がり唾が出て、うまみを感じると生きている、と実感した。

 お湯で薄くしたやわらかい粥も、食べ物がおいしかった。


 手を合わせて食器を下げてもらうと、善兵衛が下がり際に云った。


「柾木様が若旦那様のご様子を気にされてよく見舞いに来られますが、当分の間、病人が気を遣うので会わないでほしい、と伝えています」


 小三郎はびくっと肩を揺らした。そばで希久が不思議そうな顔をした。

 ああ、希久は何も知らない、と思った。


「ああ、それでかまわないよ」


 小三郎の答えに善兵衛は頭を下げて出て行った。


「けんかされたのですね」


 希久は武家の娘だから、噂を知ってか知らない意味の発言か、余計な詮索などはしないと思われた。

 小三郎は苦笑すると、希久が少し、考えるように顔を伏せていたが、顔を上げると、


「わたくしは幼い時分より、ずっとお兄様を見てきているのです。お兄様を信用しております」


 ときっぱり云った。

 俺はそんなにたいそうな男ではないのだが。

 小三郎は困ったが、希久の目は凛としていて、まっすぐ自分を見ていた。

 幼い妹がいつの間にか成長して立派になったのだなと思う。

 その後、善兵衛が戻り、希久に少し休まれるよう伝えて、彼女は一度、組屋敷に戻って行った。

 去り際に希久が、また参りますと静かに云った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る