第2話

 警察を呼ばないことで、皆が同意したものの、状況は何も変わっていない。しだいに心に不安が満ち、空気もだんだん澱んでくる。


「どうしましょう。私たちどうしたら……」

 心配そうなマダムの呟きは、静かな湖面に広がる波紋のようだった。

「状況を確認しましょう」

 物音に気づいた鳥たちが一斉に飛び去るように、皆がこちらを向く。

 探偵はこんな注目の中、推理を披露しているのだ。自分の考えに自信を持って。

「もう一度、ドアが動くところを見せていただけますか?」

 自分の中の探偵像をなぞるように、堂々とした振る舞いをする。

 マスターが頷くと、自然と全員がドアを囲むようにして集まる。


 ドアの横には、初めに退店しようとした老紳士。マダムと、そのお友達らしき人は一番見えやすい場所に位置取っている。

 端正なマスターの顔からは人好きのする笑みが消え、表情がなくなる。

 真剣な目つきと相まって、峻厳な雪山のような冷たさが表れた。

 そのままゆっくりドアノブを回し、ドアを押す。何かに当たったようにも聞こえる小さな雑音。ドアは数センチだけ開いて、それ以上は動かなかった。


 変わらない結果に、どこかから落胆のため息が聞こえた。

 細く開いた数センチの隙間を確認する。手を出そうにも出せない。

 やはり別の方法を探さないといけない。そのためにも、まずは現状確認。原因を見つけるのが最重要だ。

 私がそう提案しようとしたとき

「俺が押してもいいですか?」

 スーツの男が先に言葉を放っていた。

「これでも高校、大学はラグビーで鍛えてて」

 白い歯を見せたあと、シャツの袖のボタンを外し、ドアに両手を付いた。

 二の腕の筋肉がシャツを盛り上げ、生地の張りがキツそうだ。現役のラグビー選手とも遜色ない筋肉。きっと、スクラムのメンバーだったのだろう。

 そんな彼が目一杯押しても、ドアは少しも動かなかった。

「俺が入ってきた時は問題なかったのに」

 肩で息をしている彼を見ていると、思い出したことがある。

「そういえば、あなたが最後に入店した方では?」

 私が確認すると、スーツの男は驚き、そして頭を傾げた。けれど、どうにも思い出せないようで、躍起になった彼は、しだいに他人には見せられないような表情を披露し出した。


「そうです! 彼が最後のお客様でした。ちょうど注文を取ろうとしていたので」

 慌ててマスターが証言すると、彼の百面相は止まった。


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 もう少し観察していたかったような……馬鹿なことを考えていると、皆の視線が私に突き刺さっていた。

 スーツの男は尊敬の眼差しで、マダムの目にも希望の光が満ちている。老紳士は顎に手を添え興味深そうにしながらも、見定めるような鋭い目つきだ。

 話を受け入れてもらえるだろうか? ドキドキと鼓動が耳元で大きく聞こえる。

 マスターは、柔らかな笑みを浮かべていた。

 自らも閉じ込められている状況は同じだろうに、この店の主人あるじとして客の不安を少しでも減らそうとしているのだろうか?

 人を魅了させる麗しいかんばせと滲み出る穏やかな人柄が縒り合って、過ちさえも許す、母なる大地のような慈愛を感じる。

 そうすると、失敗への恐れやプレッシャーが小さくなって消えていった。


「ドア前の状況を確認しましょう」

 無駄な力が抜けて、思考が明瞭になる。

「しかし、ドアの隙間は小さすぎて確認すらできないのでは?」

 すかさず、老紳士が反論する。

 私は老紳士の言葉に頷き、ドアの横、さっきから目をつけていたの窓の方へ歩いていく。

 一対二の縦長の窓、横は三十センチほどだろうか? たしかに、先ほどマスターが言ったようにこの滑り出し窓からは出れないが、十五センチほどの幅がひらいている。

 ドアの隙間よりずっと大きく、様子を伺うこともできるだろう。

「この窓から確認しようと思うのですが、何か、長い棒のようなものを持っている方はいませんか?」

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その謎、私が解きましょう! 鏡水たまり @n1811th

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