Phenomena@find

 人形供養という言葉をご存知だろうか。それはもういらないのだけれど思い入れがあって捨てづらいとか、人型をしているから無碍に扱えないとかさまざまな理由のせいで家庭に取り置かれている人形やぬいぐるみを回収し、保管したり焚き上げをしたりする、アニミズム的思考に付随する行為___いや、儀式である。通常は寺や神社などの宗教組織や専門の業者が行う。

 さて、彼はおそらく日本で唯一完全に個人的な人形回収業者だ。彼はいかなる組織にも所属せず、人形供養を謳って全国を巡業し人形を集めている。いや、彼が収集しているのは正確には人形ではない。人形に込められた思い出、愛情、そして怨念である。彼の元に辿り着いた人形たちは保管されることも焼かれることもない。彼は「仕事仲間だよ」というが、私の見た限りあれではただの道具だ。手段といってもいいかもしれない。彼は反逆者だった。彼は人形供養の業者であり、詐欺師であり、所有者であり、呪術師なのである。


 私が彼に出会った時の話をしよう。私が初めてあの男を認識したのは茨城の山中だった。その時私は友人の里帰りに同行してある村に滞在していた。晦日の昼ごろに到着し、三が日をそこで過ごした。友人の両親は快く私を迎え入れてくれたのでとても楽しい四日間を過ごすことができた。そして、夜には東京に帰るという一月三日の早朝。日の出ごろに目を覚ましてしまい、私は軽く散歩でもしようと思い立ち、友人らを起こさぬようこっそり家を抜け出した。少しばかり斜面を登ると朝日に焼かれる長閑な山間の集落が見渡せた。頬を撫でる冷ややかな風が心地よかった。村を囲むように佇む小高い山々が彩度を上げていく。不意に目にかかった前髪を払った時。私は自分の右側面、五メートルほど離れたところに生えた針葉樹の根本に。見つけた。


 彼は頑なに名乗ろうとしなかった。だからと言って、今私が彼のことを詳しく思い出せないわけではない、と思う。私は確かに倒れていた男性に声をかけた。それなのに彼のことを何も覚えていないのだ。どんな風貌で、どんな格好をしていて、どんな声をしていたか、わからない。どこから来たのか、なぜあの場所に転がっていたのか、そしてそもそも何者なのか。彼は何一つ教えてくれなかった。いや、覚えさせてくれなかったというのが正確な表現なのだろう。私は確かに彼を助けたし、陽が登り切る前に彼と別れた。それだけは覚えている。そしてその朧げで、それでいて鮮明な記憶はたった今私を混乱の渦に引き摺り込むこととなった。


 きっかけは唐突な訪問者であった。彼と出会ってから(とは言ってもほとんど記憶はないのだが)二年ほど経った薄曇りの日。当時自宅警備員を自称していた私は二十三区外にあるボロアパートの一室で曜日という現代社会の悪習とは無縁の、生き物として真っ当な生活を謳歌していた。しばらく開けていない窓から曇天を見上げ、特に予定のない毎日に思いを馳せていたある日。私の巣に初めての客人がやってきた。限りなく重い体に鞭打って重力に逆らう。果たして、寄りかかるように開けたドアの向こうには一人の男が立っていた。そこで私は前述の渦にのまれた。私は目の前の男を知らなかった。それなのに。私は彼のことを、彼に関して知り得る全てを知っていた。彼は間違いなくあの時の男だ。だから私は彼が唐突に発した言葉に何の疑問も、そして何の躊躇いもなく口を開いた。

「帰れ」

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Arc(h) 雨宮照葉 @snowyowls

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